第12話

文字数 4,414文字

「申し訳、ありませんでした……」
 惨憺たる庭を見渡していた草薙たちが深く俯いて、蚊の鳴くような声で謝罪した。それを見て、一介が再び杖を支えに腰を上げ、車椅子の横に移動した。と思ったら、こちらを振り向いて一信と共にその場に正座をした。縁側の氏子たちからうろたえたどよめきが上がる。
「皆様、多大なご迷惑をおかけして、心よりお詫び致します。本当に、本当に申し訳ありません」
 一介がぐるりと視線を巡らせてそう告げたあと、二人は深く頭を下げた。
 日本の製薬会社の中でもトップクラスの大企業である、草薙製薬会社。一介が社長で、一信は副社長だろうか。何にせよ、そんな肩書を持った人たちが、こうして潔く頭を下げるなんて。元々潔い人たちなのかもしれないけれど、それだけ草薙たちが犯した罪が大きい証拠でもある。
 動いたのは、ずっと沈黙を守っていた晴だ。陽を促して、一緒に一介と一信の前で足を止めた。陽がゆっくりと両膝を折った。
「一介さん、一信さん。顔を上げてください」
 呼びかけに、二人はゆっくりと顔を上げた。
「もう、十分です。十分な決断をしていただきました。きっと、父や兄もそう言います。ね、晴兄さん」
 振り向いて問うと、晴は「ああ」と頷いて怜司へ視線を投げた。倣うように、一介と一信も顔を向ける。
「香穂も、同じことを言います」
 怜司は口元に笑みを浮かべ、隣の樹を見やる。
「まあ、冬馬さんたちがいたら、同じこと言うだろうね」
 少々不満そうではあるが樹が承諾すると、晴が大河を振り向いた。
「大河」
 突然手招きをされながら呼ばれ、大河は小首を傾げて小走りに駆け寄った。晴の隣に並ぶと、陽が腰を上げて横に避けた。
「ご紹介します。刀倉大河です。大河、会長の一介さんと、社長の一信さん」
「えっ、かいちょ……っ」
 一つずつ役職が上だった。あ、大河くん今日は察しが悪い日だ、と樹の茶々が入り、目を剥いた大河に宗一郎たちから苦笑いが漏れる。
「では、彼の……」
「ええ」
 一信の問いに、宗一郎が短く答えた。一介と一信が、改めて大河を見据える。
「おじい様のお話は聞いております。謝って済むことではありませんが、大変申し訳ありませんでした」
 もう一度頭を下げられてしまい、驚きを通り越してひっと引き攣った悲鳴が上がった。
「えっ、いや、あの……っ」
 大河は目に見えてうろたえながら、慌てて膝をついた。会長と社長にどう声をかけていいのか分からない。えーと、えーと、と混乱していると、情けない顔をした草薙たちが目に映った。
 一介と一信は、見限る決断をした。それでも頭を下げるのは、見限ればいいわけではないと、きちんと理解しているから。それに、草薙たちが警察に捕まれば、報道されないわけがない。対応に追われ、ネットで叩かれ、不買運動なんか起こるかもしれない。会社だけでなく、プライベートでも大変になるだろう。一介たちは、これで終わりではないのだ。
 加害者家族を恨む被害者や家族の気持ちは、痛いほどよく分かる。あんたたちがもっとよく見ていればとか、好き勝手させていたせいだとか、責めようと思えばいくらでも責められる。そうやって悲しみを誰かにぶつけないと、心が壊れてしまうから。
 だからあの時、影正を運んでくれた柴と紫苑を責めた。
 大河は、ゆっくり深呼吸をした。地位や立場がどうとかではなく、あんな決断をし、誠心誠意謝罪してくれるのだ。もちろん、家族なんだから当然だとも思うし、共謀した草薙たちを憎む気持ちは消えない。一生。けれど、憎む相手を間違えてはいけない。影正がいたら、きっとこの人たちを責めたりしない。
「……あの」
 大河が恐る恐る声をかけると、二人は顔を上げた。
「俺も、じいちゃんも、十分だと思ってると思います」
 あれ、なんかおかしい。ん? と大河が首を傾げると、いの一番に宗一郎が噴き出した。つられるように陽が口を覆って顔を逸らし、紺野や志季、弘貴たちからは残念な溜め息が漏れた。
「大河、少し落ち着け。自分のことも他人事みたいに言ってるぞ」
「ほんっと締まらねぇよな、お前」
「だって大河くんだもん」
 苦笑いの怜司と晴に続いたのは、樹のフォローにならないフォローだ。あー、と納得の声が上がり、大河はむっとして鋭い視線で晴たちを睨んだ。大企業の会長と社長に頭を下げられて慌てない方がどうかしている。
「そ、そういうことですので……っ、おふ、お二人とも……っ」
「笑うか喋るかどっちかにしてくださいよ!」
 笑いを噛み殺し切れていない宗一郎に思わず噛み付くと、選ばれたのは前者だった。おふって何だ。確かにおかしかったけど、こんな時に笑い上戸を発動させなくてもいいのに。膨れ面をして一介と一信を見やると、きょとんとした顔をしていた。
 恥ずかしさから、もー、と意味のない声を漏らしながら顔を覆い、はたと気付く。
「あの、足っ。足悪いんじゃ……っ」
 車椅子に杖を使っているのなら多分間違いない。もし膝が痛いのなら、正座は良くないのでは。勢いよく顔を上げて心配顔をする大河に、一介はふと笑った。
「大丈夫だよ。ありがとう」
 ゆっくりとした動きで腰を上げた一介を、一信が支える。ここで手を貸したら逆にバランスが取りづらいだろうか。などと考えながら見守っている間に二人は立ち上がり、改めて頭を下げた。
「ありがとうございます」
 大企業の社長や会長と聞くと、もっと尊大で横暴なイメージをしていたけれど、見事に覆された。もちろん、中にはそんな人もいるのだろうが。
「座ってください」
 大河が笑顔で促すと、二人は顔を上げて笑顔を返した。ゆっくりと移動する一介のスラックスは、砂だらけだ。大河は車椅子に腰を下ろした一介の足元にしゃがみ込み、優しく砂を払い落とす。
 当たり前のようにそうした大河を驚いた顔で見下ろして、一介が少しだけ悲しげに眉を寄せた。
 もう宗一郎さん指示出してよどうするの、と樹の苦言が飛ぶ中、大河はよしと一人ごちた。
「はい、いいですよ」
 にっこり笑って一介を見上げ、はっと我に返る。やってしまった、と思ったと同時に、あの日のことが脳裏に蘇った。昴にも、同じことをした。
 顔を曇らせた大河に一介が小首を傾げる。
「ありがとう。……どうかしたかい?」
「あ、いえ。何でもないです」
 咄嗟に笑みを浮かべて立ち上がる。
 と、車の走行音が寮の敷地へ滑り込んできた。バタンとドアを閉める音が二つ、少し遅れてもう一つ。車ということは茂と華だろうが、一体どこへ行っていたのだろう。それに、ドアの音が一つ多い。
 皆がそちらに気を取られている間に宗一郎が復活し、栄明を呼んだ。草薙たちを警察署へ連れて行く相談だろう。
 庭へ駆け込んで来るなり、茂と華がぎょっと目を丸くした。
「戻りました、って何これ、どうしたの!」
「うわ、悲惨なことになってるねぇ」
 仰天する華と渋面を浮かべる茂の後ろから一人、見覚えのある男が千鳥足で、しかし小走りで姿を現した。
「あれ、下平さん」
 樹がその場から離れ、茂と華は、うわぁと言いながら間仕切りの残骸を飛び越えて、志季と夏也に合流した。弘貴と春平、夏也が「誰?」と言った目で下平を見ている。
「茂さん、華、ご苦労だった。報告はあとだ。怜司、美琴のGPSはどうなっている」
 え、GPS? と不安顔をした茂と華に、夏也が顔を寄せた。携帯を操作した怜司の横から紺野が覗き込み、大河と陽も早足で歩み寄る。栄明は、携帯を草薙ではなく一信に返し、踵を返して縁側へ戻った。
「こちらへ向かっていますが……、ちょっとゆっくりですね」
 怜司の報告に宗一郎は嘆息し、分かったと言って視線を巡らせた。
「皆様、本日はこれで解散とします。詳細は後日、書面にてご報告します。犯人たちの氏名や顔写真をお送りしますので、お心当たりのある方、また何か分かれば速やかにご報告をお願い致します。本日は大変お疲れ様でした」
「あ、あの……っ」
 声を上げたのは軽部だ。
「明様は……」
「いえ、まだ」
「えっ、やだ、送り損ねたかしら」
 華が宗一郎の声を遮り、慌てて携帯を引っ張り出した。
「ああ、連絡したのか。悪い、気付かなかった。解析は終わったのか」
 履歴を確認する華の代わりに茂が答えた。
「はい。やはり合成だそうです。捜査本部にも結果は伝えてあるそうなので、さすがにもう解放されているかと」
 一様に漏らした安堵の息に、空気が緩む。
「詳細は」
「いえ、それが……」
「すみません、聞き損ねました」
 下平が口を挟んだ。口調はしっかりしているが、まるで一杯ひっかけてきたような足取りで、間仕切りの残骸を乗り越える。待っていた樹が眉根を寄せた。
「詳細はどうせ分かるからと言って、電話を切られてしまいました。仕事が残っているとかで」
 紺野が呆れた息を吐いて、あいつは、とぼやく。
「分かりました。構いません、明日、報告をお願いします」
「はい」
 紺野が頷くと、栄明と郡司が玄関側から回り込んできた。きちんと靴を履いている。宗一郎が改めて縁側を見やる。
「こちらの件についても書面にてご報告します。では、本日の会合は以上です」
 もう一度終了の宣言がされ、氏子らは少しの不満と安堵を抱えた顔で玄関へと向かった。
 そして。
「立て、二」
 蔑みの目で命じたのは、郡司だ。同じ秘書なだけに腹立たしいのだろう。ゆらりと腰を上げた二の腕を掴む。
「一之介、龍之介、お前たちも立ちなさい」
 一信に命じられ、二人も力なく立ち上がる。
「晴、弘貴、春平、夏也、一緒に来なさい」
 もう逃げる気力もないだろうが、念のためといったところか。はいと返事をしながら、弘貴と春平、夏也が駆け寄った。栄明と共にそれぞれを両脇から挟み、晴がしんがりにつく。連行するように連れ立って、玄関の方へ向かった。
「一介さん、一信さん」
 声をかけたのは紺野だ。大河たちから離れ、二人の前で足を止める。
「京都府警の紺野と申します。一つお聞きしたいことが」
「……俊之くんのことですか」
 紺野を見据え、一信が尋ねる。
「はい。加賀谷管理官は、今どこに」
「おそらく、府警本部にいると思います」
 返ってきた答えに、紺野はきゅっと唇を結んだ。
「一緒に、行かれますか?」
「え? ああ……」
 思いがけない提案に逡巡し、紺野はいえと首を横に振った。自嘲気味にも、困ったようにも見える苦笑いを浮かべる。
「今会うと、殴ってしまいそうなので」
 物騒な理由に一信も苦笑いを浮かべ、そうですかと返した。
「では、行きましょう」
 宗一郎の声に促され、一信は車椅子のハンドルを握り、ゆっくり反転した。そしてぐるりと陰陽師と刑事らを見渡し、二人揃って深々と頭を下げた。大河たちも頭を下げる。
 こんな誠実な父親と兄がいながらどうしてと、つい思ってしまう。もう、考えても仕方がないけれど。
 それぞれが頭を上げると、一信と一介は宗一郎に伴われて玄関へと立ち去った。
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