第8話

文字数 3,368文字

 あのあと、にんまり笑った樹からとある提案がされ、その通りに事が進められた。朝食の支度がある華と夏也を除いた全員で取りかかり、朝から大仕事となった。だが、思考を逸らすにはちょうどいい。落ち込んでいた藍と蓮もいくらか気分転換になったようで、きゃっきゃと歓声を上げながら元気に走り回っていた。
「朝ごはんは持っていくから部屋に戻って。早く」
 とたっぷりの迫力で大河に圧をかけられ、後ろ髪を引かれるように部屋へ引き上げたのは言わずもがな宗史だ。そのすぐあと、泊まっている部屋が庭に面しているため、こっそり上から眺めていた宗史を目ざとく見つけ、大河が再び怒声を響かせた。しまったといった顔で慌てて引っ込んだ宗史に、晴れやかな笑い声が上がった。
 会合までに、話を聞いておく必要がある。言葉通り大河が宗史の部屋へ朝食を運び、食事を終わらせ、またしても全員で掃除に取り掛かる。いつもならここで柴と紫苑が潜伏場所を探りに出かけるのだが、どう諭しても藍と蓮が二人から離れようとしなかった。気分転換をしたとはいえ、ぽっかりと空いた席を見れば、否応なく思い出す。今日ばかりは仕方ないと潜伏場所探しを断念し、昴の担当を引き継いだ大河と一緒に掃除を手伝ってくれた。
 今の優先事項は、事件の真実を知ることだ。宿題なら夜でもできる。手早く掃除を終わらせ、春平、弘貴、夏也、香苗、茂、華の六名は茂の部屋へ、大河と晴は宗史が待つ部屋へ集合した。また、樹と怜司、美琴、柴、紫苑、双子は今朝の続きに精を出している。
 茂の部屋の本棚には、妻と娘の位牌が飾ってある。まずは手を合わせてから、それぞれ飲み物を前に六人で車座になった。茂を起点に、時計回りに華、夏也、香苗、春平、弘貴の順だ。紫苑いくよー、と外から響く樹の声をBGMにして、口火を切ったのは茂だ。
 樹と怜司、茂、華、美琴の五人は、内容に差はあるものの、嵐の日の夜に全てを聞いたらしい。そして昨日の昼間、宗一郎からメッセージで指示を受けた。
 昨日の会合は、初めから不自然だった。
 こちらと警察、正確にいえば紺野らとは「警察に必要ない情報は渡す」という関係のはずだ。それなのに、紺野は届けられたDVDのことを当然のように喋った。菊池雅臣と平良については、こちらから紺野たちへ調査依頼をしたのだから報告があっても不自然ではないが、DVDは違う。合成とはいえ、警察にとっては重要な証拠だ。さらに六年前の事故や怜司の過去。その上、紺野の口から飛び出した「北原を襲った理由」。仕事だと思っていたから耳を疑った。
 つまり、自分が知らない場所で、事態は着々と動いていたのだ。
 とはいえ、昴が内通者だと知った今、報告されなかったことを言及するつもりはない。寮に内通者がいて、それが誰か分からないとなれば同じ判断をする。ましてや事前にその正体を知らされれば、いつも通りに接する自信なんかない。むしろ知らなくて良かったとすら思う。宗一郎たちの判断は正しい。
 もちろん、考えなかったわけではない。けれど他に陰陽師がいる可能性もあるし、何より、信じたくなかった。
 これら全てを、宗一郎たちはもとより、大河も全て知っていたのだ。だから説明の場を分けた。
 大河は、初めから内通者がいると知っておきながら寮で暮らしていた。昴が内通者だとは知らされていなかったようだが、それでも彼のこれまでの態度を振り返れば、感心せざるを得ない。そんな素振りは、一切見えなかった。
 自分だったら、できただろうか。
 祖父を殺害した犯人の共犯者と、一つ屋根の下。大河からすれば、寮の者たちは入寮するまでに一度会っただけで、人となりをよく知らない知人程度だ。そんな者たちに囲まれて、一挙手一投足、何気ない発言にさえ警戒する毎日なんて、想像しただけも息が詰まる。例え皆のことを信じたとしても、一度生まれた疑心は警戒心を生む。それを押し殺して、今まで通り接することができただろうか。
 大河だけではない。宗一郎に明、宗史や晴、樹、怜司、茂、華、美琴、柴と紫苑。ましてや昴は、入寮した一年前から、こうなると分かっていた。
 廃ホテルの事件の夜に、初めて昴と二人で話したことを思い出す。あの時のひと言ひと言、あれはどこまでが本音なのだろう。それとも、全て嘘なのだろうか。だったらどうして、柴と紫苑を庇うようなことや、諭すようなことを言ったのだろう。
 人見知りはあるけれど、どこかのんびりとした空気を纏い、穏やかな口調に優しい声、ふわりとした笑顔。笑うと垂れ目がさらに垂れて、子犬みたいだなぁ、と言ったのは弘貴だ。でも昨日見た昴は、まるで別人だった。
 集合写真が脳裏を掠る。――皆、いつも通りだった。
「――これで、全部だよ」
 そう締めくくった茂の声に、春平たち四人は深くて長い息を吐いた。
 どこから気に止めるべきか迷い、春平は茂がメモした紙切れに目を落とした。嵐の日、明の話を聞きながら走り書きしたらしい。弘貴と香苗、さすがの夏也もどことなく思案顔だ。
「じゃあ、昴さんは」
 俯いた弘貴が、ぼそりと口を開いた。
「父親を、殺したんですか」
 その一言に、春平と香苗が息をのんだ。弘貴の表現は、決して間違っていない。直接手を下していないにせよ、殺されることを知っていたのだ。骨になるまで焼き尽くされると知っていて、寮で皆と笑っていた。美琴を人質に取った時の動きは、明かにこれまでとは段違いだった。あの笑顔の裏に隠された昴の残虐性を想像すると、ぞくりと鳥肌が立った。
 彼を、敵に回すのか。
「……そうなるね」
 茂は一度瞬きをして、静かに肯定した。弘貴は組んだ両手をぎゅっと握った。昴だけではない。深町弥生もそうだ。確認は取れていないようだが、母親に義父を殺させた。
 今はもう、顔すら曖昧な母の輪郭が脳裏に浮かび、春平は拒否するようにきつく目をつぶった。
 置かれていた状況は違うけれど、昴は香苗の父親を見て、夏也の育った環境を聞いて、どう思ったのだろう。また香苗と夏也は、今どんな気持ちでいるのだろう。
「あ――、なんかもうどっから突っ込んでいいのか分かんねぇ! てかなんだよ、混沌に陥れるとかゲームとか。わけ分かんねぇ。そもそも宗一郎さんと明さん以上の実力者って、そんな奴いるのかよ!」
 何かを振り払うように、突然頭を乱暴に掻きながら天井を仰いだ弘貴に、茂と華から苦笑いが漏れる。
 弘貴の気持ちはよく分かる。もしもこちらが敗北すれば、犯罪者はことごとく悪鬼に食われることになる。その法則に世間が気付いた時どうなるか、考えるまでもない。まるで恐怖政治のようだ。しかもゲーム扱いするなんて。
「宗一郎さんはともかく、鈴が敵わなかったって事実があるからねぇ。でも、晴くんがいる」
弘貴がぴたりと動きを止め、怪訝な顔で茂を見た。
「宗一郎さんが言ってたこと、本当なんですか……?」
「本当なんじゃない? 晴くんたち否定しなかったし」
 茂の答えに、思わず悩ましい声が漏れる。宗一郎の暴露を聞いて、初めて気が付いた。明と晴の名前。
「じゃあ、明さんと晴さんの名前って……」
 聞くのか。春平はぎょっとして弘貴を見やった。もし本当にそうだったらどうする。そんな春平の危惧をよそに、茂はふと微笑んで断言した。
「いや、そういう意味じゃないと思うよ」
 春平たちが小首を傾げた。
「だってほら、六年間、宗一郎さんたちは犯人を追いかけていたんだよ。しかも妙子さんもだ。だから、栄晴さんはそんなあからさまなことをする人じゃないと思う。かなりの人格者だったんじゃないかな。多分、何か意味があるんだよ。もちろん悪い意味じゃなくてね」
 あ、と息を吐くような納得の声が漏れる。
 宗一郎たちをはじめ、妙子までも事件の真相を追っていた。六年も。そして、岡部が発見されたと聞いた時の氏子たち。驚きと安堵、嘆きと激しい怒り。あんなにも慕われるのは、陰陽師だからという理由だけではないのだろう。
 夏也が言った。
「確かに、事故の真相を聞いた時、氏子の皆さんもかなり怒っていらっしゃいましたね」
「ね?」
 茂が自慢げに微笑んだ。
「そっか……、明さんたちのお父さんだもんな」
 弘貴の呟きに、皆が微笑んで頷く。安易に子供を傷付けるような人ならば、皆あんなに慕ったりしない。
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