第10話

文字数 2,626文字

 駐車場に戻ると、何故か左近が近藤の腕を背中に捻り上げて車のボンネットに押し付けていた。
「近藤、お前何した」
 決めつけて尋ねた紺野に答えたのは、不機嫌な顔で振り向いた左近だ。
「何なのだこやつは。怪我をしていると言うので治癒してやったら、髪をくれだの口の中の粘膜を取らせろだのしつこく迫って来たのだ。不躾にも程がある」
 あー、と紺野と熊田と佐々木が呆れ顔で呆れた声を漏らした。やっぱりか。
「だって僕は科学者だよ? 興味そそられて当然でしょ。ていうか放してよ痛いんだけど!」
「やかましい。自業自得であろう」
「せっかく治癒したのにまた痛めるよ。そしたら治癒してくれるの?」
「断る」
「何で!」
「自業自得だと言ったはずだ」
「君は科学者の性分を理解するべきだよ」
「貴様は礼儀を知るべきであろう」
 ああ言えばこう言う状態だ。このままでは埒が明かない。深い溜め息をついた紺野の隣では、下平が喉を低く鳴らして笑っており、熊田と佐々木が左近に不憫そうに目を向けている。
「左近、悪かった。謝るからここは許してやってくれ。二度とやらせねぇから」
 謝罪を口にした紺野に左近は眉をひそめた。
「神との約束、違えるでないぞ」
 威圧するように目を細めた紫暗の瞳が怖い。しまった、余計なことを言ったか。近藤のために命を差し出す気はないのだが。
「……わ、分かった」
 紺野が大きな後悔と共に声を絞り出すと、左近は嘆息してやっと手を離した。
「もう、痛いなぁ」
 近藤がぼやきながら体を起してぐるぐると肩を回す。
「お前ちょっとは反省しろ」
「僕は生まれてこのかた反省をしたことがない」
 何故か誇らしげな口調の近藤を、左近が眉間に皺を刻んで睨んだ。
「こやつは人として信用できるのか?」
「失礼だなぁ。反省しなきゃいけないことをしてないってことでしょ」
「自覚がないだけではないのか」
「あーもう、いいからとっとと行くぞ! 近藤、お前怪我が治ったんなら運転しろ」
「えー、何で」
「電話しなきゃいけねぇんだよ。ほら早く」
 面倒臭いなぁ、とぼやきながら運転席へ回る近藤に溜め息をついて、紺野は助手席へ向かう。
熊田と佐々木は苦笑いを浮かべて少し離れた場所の車へ向かい、左近は膨れ面のままとんと軽く跳ね、敷地の入口に立つ看板の上へ着地した。見た目は瓜二つでも、どうやら左近の方はコミュニケーションが取りやすいようだ。それが分かっただけでも良しとするか。
 それにしても、と紺野は笑いを噛み殺して車に乗り込む下平を盗み見する。さっきから何がそんなにおかしいのだろう。
 先行した下平に続いて紺野と近藤、最後に熊田と佐々木の車が病院をあとにした。
 紺野は、さっそく電話を明へと繋ぐ。つけたばかりのエアコンが、低く唸って大量の生ぬるい空気を吐き出した。
「私です。北原さんの容体は」
 コール二回で出た明は、珍しく急いたように聞いてきた。
「まだ手術中だ。ご家族に直接電話してもらうように頼んである」
「そうですか……」
 さすがに少し心配そうな声だ。
「分かりました。それで、詳細は」
 心配するなと声をかけようとした紺野より先に、明はいつもの声に戻った。気持ちの切り替えが早いのは、その立場ゆえのものか。
「それなんだが、事後報告で悪いがこっちで勝手に判断したことがある。下平さんも了承済みだ」
 一瞬沈黙が返ってきた。明は確かに狸だが、聡明であることに変わりはないし勘も良い。
「どのようなお話でしょう」
 硬い声色で促され、紺野は事の顛末を説明した。
「――てことで、今全員で下京署に向かってる」
 沈黙が返ってきて、紺野は嘆息した。
「お前らも、近藤のことを疑ってたんだろ」
 近藤がちらりと紺野を一瞥した。
「ええ。どう考えても誘導されているようでしたので。お教えしなかったのは、紺野さんが直接近藤さんに問い質す可能性があると踏んだからです」
「俺のせいかよ」
「会合での貴方の様子を見る限り、そう思われても仕方ありませんよ」
 昴のことか。遠慮なく指摘され、紺野は声を詰まらせた。取り繕うように咳払いをする。
「まあそれはともかく、詳細はまだ聞いてねぇから、明日また連絡する」
「いえ、分かり次第お願いします」
 紺野は眉根を寄せた。
「……別にいいけど、遅くなるぞ」
「構いません」
 近藤の証言だけでは信用できないのだろうか。慎重になるのは分かるが、信用されていないようで少々複雑な気分だ。
 迷いのない即答に、紺野は分かったと諦めた声で了承した。
「じゃあ、またあとで連絡する」
「はい、お願いします」
 複雑な思いで紺野が通話を切ると、近藤が唇を尖らせた。
「僕、他の人にも疑われてたの?」
「しょうがねぇだろうが。それだけお前の行動が重要だったってことだよ」
「何それ。すっごい気になるんだけど」
「あとで説明するから待て」
「分かってるよ」
 言いながらもますます唇を尖らせる近藤を横目に見て、紺野は今さらながら不安に駆られた。運転できると知っていただけに何の疑問も持たずに任せたが、この前髪の長さでよく見えるものだ。
 お前髪切れよ、と言いかけてやめた。以前見た、隙間から覗いた額の傷跡。あれを隠すためだとしたら、余計な世話だ。ずいぶんと古い傷のようだったが、空手の稽古中に付いたのだろうか。
 そこまで考えて、紺野は息をついて車窓へ目を向けた。それこそ余計な詮索だ。
 ポケットに入れた、血に染まったメモ帳が頭にちらつく。北原を襲った理由は、一体何だ。再捜査の妨害という目的は果たしている。ならば他に何か理由がある。監視が付いていることは協力者から聞いているはずだ。ということは、わざわざ狙った。平良の身元を明かすため、だろうか。これまでの捜査で、犯人たちが身元を隠すつもりがないことは明らかだ。むしろ身元を晒すことで過去の事件を表沙汰にしたがっているようにも思える。とすれば、平良の過去にも何かあるのか。ならば何故、平良と因縁のある者でなく、北原だったのか。
 奴らの狙いがさっぱり読めない。
 無意識に小さく舌打ちをかました紺野を、近藤が一瞥した。
「大丈夫だよ」
 不意にかけられた声に、紺野は一拍置いて振り向いた。
「北原くんは大丈夫。だって、まだ紺野さんのオムライス食べてないでしょ」
「ああ……」
 お前はともかくあいつに作る約束をした覚えはない。紺野はそう言いかけて言葉を飲み込むと、また車窓へ顔を向けた。
「……そうだな」
 ぼそりと呟かれたその一言に、近藤が嬉しそうに笑った。
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