第26話

文字数 2,937文字

「さすがの俺も考えなくはなかったけど……お前、気付いてたろ」
 晴からの胡乱な視線を微笑んで受ける。
「気付いていたというよりは、そうだったら面白いなとは思ったよ」
「お前なぁ……」
 晴は呆れ顔で嘆息し、陽が苦笑した。
「紺野さんを捜査に戻すには、事前に外されたと知らなければならない。その点で言うと、近藤さんは候補から外れる。だが、下平さんは隠す必要がないし、熊田さんたち捜査本部の誰かだとしたらメリットがない。敵であれ味方であれね。しかし、方法や誰から情報を得たのかという不明確な部分はあったが、近藤さんなら二つほどメリットがある」
「紺野さんへの恩義ですか」
「そうだ。それと、彼は左近に髪や口の中の粘膜を取らせろと迫ったらしい。科学者だからかな、近藤さんは好奇心旺盛なタイプだ」
 それでなくとも、あれこれ協力してもらっていたのだ。彼でなくても興味が湧くだろう。
「つまり、紺野さんを捜査に戻せば、恩を返せる上に真相も分かるってことですね」
「そういうことだ」
「今の話は聞いてねぇぞ」
「知らなくても分かるだろう。彼は要請がないにもかかわらず、鬼代神社にわざわざ足を運んでいる。敵でなければ興味本位だ」
 さらりとした反論に晴は声を詰まらせ、悔しそうな顔で「なるほどね」と盛大に溜め息をついた。
「ただ、何かしら伝手があるんだろうとは思っていたが、まさか隠し子だったとはね」
 さすがにおいそれと人に話せないだろう。それを話してくれたということは、紺野たちはもちろん、彼らを通してこちらも信用していただいたようだ。明は小刻みに肩を震わせた。
「あの、近藤さんは、紺野さんを追って……?」
 陽が心持ち身を乗り出した。気持ちは分かるけれど。
「陽、これ以上は野暮だよ」
 くすりと笑って窘めると、陽は「そうですよね」と申し訳なさそうに笑って肩を竦めた。
 父親を追ったのか、それとも紺野を追ったのか。もしくは全てが偶然だったのか。それは彼のみが知ることで、想像するだけなら自由だけれど、わざわざ詮索する必要はない。興味はあるし、紺野だったら面白いのにと思うが。
「寮の皆には宗史くんから話すだろうが、口外しないように」
「はい」
「了解」
「晴、宗史くんからは何時頃に連絡が来るんだ?」
 晴は「んー」と渋い顔で低く唸り、うなじに手を当てた。
「ちょっと遅いんじゃねぇかな。……大河に、話すっつってたし」
 呟くような言葉の意味は、考えるまでもなかった。自分では面倒事が嫌いだというけれど、これで意外と面倒見はいい。心配そうな色を浮かばせた晴につられるように、陽も顔を曇らせて視線を泳がせた。
「そう心配することはない。大河くんは、この短期間でかなり成長している。精神的にもね。さて、宗史くんから連絡が来る前に、お風呂を済ませてしまいなさい」
「はい」
 微笑んだ明に安心したのか、陽は素直に頷いたが、晴はいまいち払拭し切れない顔だ。
「じゃあ僕、支度してきますね」
 陽が腰を上げた。
「おお、頼む。あ、どうせなら一緒に入るか?」
「おや、それなら僕も一緒に入ろうかな」
 背を向けた陽がぴたりと足を止め、笑顔で戯れを口にした兄二人を肩越しに振り向いた。冷ややかな目で睨み、
「絶っ対、嫌です」
 力強く言い捨てて、ずんずんと私邸の方へ消えていく。
 少々イラついた背中を見送りながら、明と晴は笑い声を噛み殺した。
「あまりからかうと可哀想だよ」
「どの口が言ってんだ」
 晴が煙草に手を伸ばす。
「昔は、一緒に入ろうって言ってくれたんだけどな」
「いつの話だよ、それ」
「ついこの前だよ?」
「小学生の時だろ」
「たった二年前だ」
「子供の成長舐めんなよ」
 煙草を口にくわえたままくぐもった声で突っ込んで、晴は使い捨てのライターを擦った。
 晴が生まれた時、明は六つだった。小さくて、どこもかしこも柔らかく、自分よりも弱そうな弟に戸惑った。壊してしまいそうで、触れることを躊躇った覚えがある。小さな手や足、まん丸な目、元気な泣き声に無邪気な笑顔。すやすやと気持ち良さそうに眠る晴を眺めながら、いつの間にか眠ってしまうことなんかしょっちゅうで。ふと目を覚ますと、小さな手が自分の指をぎゅっと握っていた。まるで、いかないでというように。
 紫煙と溜め息を一緒に吐き出した晴を後ろから眺め、明は密かに口元を緩めた。
「ん、何だよ」
 視線に気付いて、怪訝な顔をした晴が振り向いた。
「いいや。あんなに可愛かったのに、ガラが悪くなったなぁと思って」
「やかましいわ」
 間髪置かずに悪態をついて、ふてくされた顔でふいと前を向き直る。陽と大差ないではないか。
 明は苦笑いを浮かべながら、腰を上げた。
「蚊取り線香の始末、頼んだよ」
「へーへー」
 背を向けたままのおざなりの返事を聞いて、明は書斎へと足を向けた。
『多少揺れたようだがな。すぐに立て直してきたよ』
 昨夜、宗一郎はそう言った。
 栄晴の事故の真実を聞いた宗史は、おそらく罪悪感に苛まれるだろうと思った。彼はそういう子だ。責任感が強く、優しい。だからこそ、割り切るのに時間がかかるだろうと思ったけれど、杞憂だったようだ。今日の会合でも、特に気になる様子はなかった。おそらく宗一郎の采配が効いたのだろう。晴もフォローを入れる気満々だった。
 その宗史が、大河に話すと決めたのなら心配はない。
 むしろ気になるのは、春平との関係だ。迷子事件の時、宗一郎が言っていた。大河は自己評価が低いと。おそらく彼は、自分が嫉妬の対象になるとは露ほども思わないのだろう。だから、あんな謝罪をした。
 けれどこの件において、大河ができることは何もない。春平自身の問題であり、大河に何ら落ち度はないのだ。だからこそ、二人がどう対処するかで差が出る。
 大河は以前、隗と再会したあと一人で抱え込んだ経験がある。おそらく、宗史に相談するだろう。しかし春平の方はどうか。
 弘貴と夏也がいるにせよ、心配をかけたくないという思いから話さないかもしれない。反対に、大河の件は聞いているだろうから、霊力が使えなくなるかもしれないと危惧して話すか。ただ、プライドが勝った場合は口をつぐむ。
 大河を島へ行かせたのは、いいタイミングだった。茂たちもいるし、状況によっては対処するだろう。あるいは、弘貴が持ち前の明るさと強引さで、無理矢理吐き出させるかもしれない。
「弘貴のあの性格は、長所だな」
 明は書斎の椅子に腰を下ろしながら、密かに笑う。
 短絡的ではあるが、裏表のない真っ直ぐな性格。大河と似ているけれど、弘貴の方が突き抜けている感がある。それぞれ過去を抱え、共に暮らしているからこそ、彼の明るさは非常に重要だ。
 ただ、そんな弘貴にも問題はあるけれど。
「どうにかならないかな……」
 机に積まれた依頼書を手に取って息をついた。
 相性がある以上、仕方ないと思わなくもない。過呼吸の件で一歩近付いたかと思ったが、一歩もないように思える。半歩、いや、せめて三分の一歩くらいは。もういっそ、膝を突き合わせて腹の中を洗いざらい吐かせるという手も――寮が崩壊する。
 自分の意見を自分で否定し、明はもう一つ息をついて依頼書に目を通した。
 一本の電話が入ったのは、それからしばらく経った頃だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み