第13話

文字数 2,002文字

 携帯が鳴ったのは、午後六時を回った頃だった。
 液晶に表示された名を確認して、明は眉をひそめた。こちらから電話をすることはあっても、彼からかけてくることは滅多にない。
 少々不審感を抱きつつ、明は書きかけのメールを一旦置いてそれを取った。もしもし、と出る前に相手が口を開いた。
「私だ。元気かい?」
 落ち着いた低い声色でゆっくりとした口調は、昔から変わらない。
 明は椅子の背に体を預けて、ええ、と答えた。つい先日会ったばかりでしょう、と突っ込めば、人はいつどうなるか分からないからね、と返って来るのは分かっている。だが、連絡を取るたびに同じ文言なのは芸がない。と言ったら大人気なく拗ねるのだろう。この、親子ほど年の差がある彼は。
「二人から、連絡がありましたか?」
「ああ。柴が復活した」
 まるで何でもないような口調でさらりと重要なことを口にする。明は逡巡し、そうですかと返した。
「明日の午後一時、刀倉家を交えて会合を開く」
「……」
 返事をしない明に、彼が不思議そうに尋ねた。
「都合が悪かったかな。デートの約束でもあったか?」
「いえ……」
 彼の場合、本気なのかからかっているのか分からない。しかもオヤジ臭い。相手が相手ならセクハラだと嫌がられる。
 いやそうじゃなくて、と自分に突っ込みながら明は苦笑いを浮かべた。
「事務連絡を貴方自身がしてくるなんて、珍しいなと思いまして」
 いつもなら式神を使うか、晴か宗史を介してくる。そういえば一度、式神を使って矢文で連絡を回してきたことがあった。縁側で昼寝をしていた晴の顔の際を矢が掠り、激怒した晴が危険だからやめてくれとクレームを入れた。その時、彼は言ったそうだ。「面白そうだったから」と。さすがの晴も二の句を告げなかった。今回も気まぐれだろうか。
「なんとなくね」
 彼はさらりと言った。やっぱり気まぐれだった。
「貴方は、昔とちっとも変わりませんね」
 気まぐれに振り回されるこっちの身にもなれ、という意味を込めての嫌味だったのだが、彼は分かっているのかいないのか、平然とふざけた返事をしてきた。
「そうかい? そんなことないよ。最近どうも疲れが取れにくくてね。年かな」
 年齢的に仕方がないとはいえ、父と同じように尊敬している彼の老化傾向など知りたくない。というか、そういう意味ではない。
「やめて下さい。まだ四十代でしょう」
「四十代は中年だよ。二十代の君からすれば十分オヤジだ」
 ああ言えばこう言う。昔からそうだ。何を言っても彼は飄々とした口調で言い返してくる。まともに取り合っては疲れるだけだ。
 明は小さく溜め息をついた。
「切りますよ。仕事が残ってるんです」
「ああ、邪魔をしたね。では明日」
「はい」
 ぷつっとすんなり切れた。
 明はもう一度溜め息をついて携帯を切った。デスクに伏せて置き、ゆっくりと立ち上がる。
 仕事部屋に唯一ある窓からは、まだ沈む気配のない太陽の日差しが差し込む。エアコンからは冷えた空気が絶え間なく微風で吐き出されている。最後の客が帰ってからずっと閉じこもっていたせいで、部屋も体もすっかり冷え切っていた。
 空気を入れ替えるために窓を開けると、むっとした空気が部屋に流れ込んだ。いつもなら不快に思う蒸した空気も、冷えた今の体には心地良いと感じる。
 大きく広げた枝に青々と葉を茂らせた桜の木を見上げ、明は目を伏せた。
 彼は、一体どこまで視えているのだろう。
 歴史上最強と謳われた安倍晴明の師である賀茂忠行を祖に持つ賀茂家。一時は安倍家に地位を奪取され歴史上から姿を消したとはいえ、その力は脈々と受け継がれていたことは間違いない。そして現在の当主・賀茂宗一郎は晴明に匹敵するほどの才能と霊力の持ち主だと言われている。それは父であり土御門家前当主・土御門栄晴(つちみかどえいせい)も認めていた事実だ。
 宗一郎と栄晴は幼馴染みであり好敵手であったと聞く。五つ年下の宗一郎に一度たりとも勝てた試しがないと、栄晴は明によく語っていた。それも、楽しそうに。
 晴明の血を引く土御門家の人間が認めるほどの男が、この先の行く末が視えていないはずがない。しかし、だからと言っておいそれと他言するような、軽率な男でもない。それは明とて同じだ。
 陰陽師の先見が、人や国にどれだけ影響を与えてきたのかは歴史が証明している。それほど陰陽師は多大な影響を与える存在であり、的中率が並外れているということでもある。
 だからこそ、迷う。
 けれど、土御門家当主として甘えは許されない。継いだ時に覚悟を決めた。どれだけ過酷であろうと、愛しい者たちに恨まれようとも、最善の未来を選択すると。
 明は伏せた目をゆっくりと開いた。
「おや、今日はカレーかな」
 微かに漂ってきた夕飯の香りに頬を緩ませ、明は窓を閉めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み