第2話

文字数 3,261文字

「うわ……」
 表示された名前に、紺野は渋面を浮かべた。捜査一課の番号。一課長からだろう。紺野は溜め息をついて通話ボタンを押した。
「はい、紺野です」
「おう。おはよう、俺だ」
 第一声に開いた口がふさがらなかった。やけに殊勝な声。てっきり開口一番怒鳴られるとばかり思っていたから、気持ち悪い。これでもかと眉間に皺が寄る。
「……おはようございます」
 警戒心丸出しで答えると沈黙が返ってきた。何だ。しばらくして、一課長は神妙な声で言った。
「お前、どんな手ぇ使いやがった」
「は? ……何のことですか」
 質問の意味が分からない。
「とぼけんな。本部長にどんな伝手があるのかって聞いてるんだよ」
「本部長……?」
 ますます分からず、紺野は怪訝な顔をした。
「あの、何の話かさっぱり分からないんですけど」
 まさか朝から酔っ払っているわけではあるまい。一課長は盛大な溜め息をついた。
「お前に心当たりがないのなら、なんで本部長からお前を捜査に戻せって通達が来るんだ」
 鳩が豆鉄砲を食らった顔というのはこんな顔なんだろうと思わせるくらいの間抜けな顔をして、紺野は絶句した。
「おい紺野、聞いてるか? おーい」
 一課長の声が遠くに聞こえる。
 捜査に戻せと本部長からの通達――。
「はあ!?」
 時間差で素っ頓狂な声を上げた紺野に、一課長から二度目の溜め息が届いた。
「ほんとに知らないみたいだな」
「知りませんよ、何ですかそれ!」
「俺にも分からん。ただ、通達があったのは本当だ。捜査本部の方にも連絡入れとくから、今日から復帰しろ。じゃあな」
「えっ、ちょっと課長……!」
 ぶつっと切られて、紺野は唖然と液晶を見つめた。
 何がどうなっている。有難いと言えば有難いが、何故本部長が捜査員の人事に口を出すのだ。そもそも外されたのは正当な理由があった上でのもので、理不尽なものではない。それを戻せというのは、どう考えてもおかしい。
 本部長とプライベートの付き合いなどないし、どこかで偶然会った記憶もない。もしや明たちが何か手を回したか。いや、そんなことができるなら、初めから本部長の息がかかった捜査員を捜査に紛れ込ませればいい。自分たちとわざわざ手を組む必要がない。ましてや本部長が事件に関わっているのなら、なおさら捜査に戻すはずがない。
「何なんだ……」
 紺野が呟くと、着替えを済ませた近藤がひょいと顔を覗かせた。
「紺野さん、エアコン消したよ。で、どうしたの?」
「ああ、いや……、よく分からんことになってる。本部長が、俺を捜査に戻せって一課に通達したらしい」
 驚くかと思いきや、近藤は「ふぅん」と興味がなさそうな返事をした。
「ほんとによく分かんないことになってるね。でも、別にいいんじゃない? 捜査に戻れるんでしょ?」
「そりゃあ、まあ……」
 近藤からしてみればそうかもしれないが、当事者としては気持ちが悪い。裏で動いている人物がいるというだけでも不可解なのに、どこの誰なのか、敵なのか味方なのか、狙いは何なのかも分からないのだ。
「それより、もう出ないと遅刻するよ」
「ん、ああ」
 我に返って荷物を抱え、玄関へ向かう近藤の背中を追いかける。
「ねぇ、だったら熊さんたち引き上げるんだよね。ついでだから送ってもらおうよ。車の中で報告できるでしょ。暑いし」
 最後に付け加えたられたのが本音だろう。しかし、確かに何がどうなっているのか分からないが、とりあえず報告だけはしなければ。
「そうだな」
 鍵をかけ、やった、と浮かれた近藤のあとに続いて階段を下りる。
 捜査車両では、まだ連絡を受けていないらしい、向かってくる紺野と近藤を見て、熊田と佐々木が不思議そうな顔をした。一課長からの連絡で、捜査本部も困惑しているのだろう。
「おはよー」
 当然のように後部座席に乗り込んだ近藤を、二人が慌てて振り向いた。
「おはよー、じゃねぇよ。一応監視って体だぞ。見つかったらまずいだろ」
「それなら大丈夫。話は行きながらするから、とりあえず署まで送ってよ」
「すみません、熊さん佐々木さん。お願いします」
 続けて乗り込んだ紺野に、二人は怪訝な顔をしつつ車を発車させた。
「それで、どうしたの?」
 佐々木がルームミラー越しに尋ねた。
「俺もよく分からないんですが、さっき一課長から連絡があって。本部長が俺を捜査に戻せと通達したそうです」
「――は?」
 佐々木が目を丸くして振り向き、熊田がルームミラー越しに怪訝な顔をした。意味を理解しようとしているのか、妙な沈黙が流れた。
「待って、全っ然分からないんだけど」
「俺も分かりません」
 清々しいほどに断言した紺野に佐々木が困惑顔をし、熊田が眉根を寄せたまま尋ねた。
「お前、実は本部長と知り合いか?」
「まさか」
「何か弱味でも握ってんのか」
「有り得ません」
「だったら何で本部長がお前を捜査に戻せとか言うんだよ!」
「知りませんって!」
 混乱から声を荒げた熊田に、紺野は困り顔で否定する。まあまあ落ち着いて、と佐々木が助手席から宥めに入った。
「今度は一体何なんだ……」
 熊田は力なくぼやいた。
「でも、紺野くんをわざわざ捜査に戻したってことは、メリットがあるからよね。本部長に顔が利いて、メリットがあって、かつ紺野くんが捜査を外されたことを知っている人物、といえば……」
 外から届く街の喧騒が車内を支配した。
「誰……?」
 首を傾げて呟かれた佐々木の疑問の声が空しい。捜査から外されたことだけならばともかく、全ての条件に当てはまる人物など誰も心当たりがないのだ。
 熊田が盛大な溜め息をついた。
「とりあえず、下平さんたちに報告はちゃんとしとけ。それと、俺たちは捜査会議のあと、仮眠取ってから捜査に行くからな。もう頭が限界だ」
「分かりました」
 疲れ切った顔の熊田に、紺野は苦笑いを浮かべた。つい数時間前に大量の情報を得た上に寝不足、さらに新たな謎が重なればうんざりもするだろう。次から次へと、本当に謎ばかりが増えていく。
「ああ、それとな。北原の携帯のことなんだが、昨日はついほっとしちまったけど、通信記録は調べるだろ。大丈夫なのか」
「問題ありません」
 即答した紺野を近藤が振り向き、佐々木と熊田は首を傾げた。
「なんで断言できるの?」
「回答が来る前に何か手があるの? それとも開示請求させない方法とか」
 近藤と佐々木に尋ねられ、紺野は顔を翳らせた。
「……聞きたいですか?」
 微妙な間を開け、今から怪談話でもするような低い声で聞き返すと、しばし沈黙が流れた。
「……いや、俺はいい」
「わ、私もいいわ。嫌な予感がする……」
「えー、僕は聞きたい、気になる」
 賢明な判断をした熊田と佐々木とは違って、こちらは好奇心の方が勝つらしい。頬を緩ませた近藤を振り向き、紺野は口元に手で壁を作った。近藤がうきうきした雰囲気で耳を寄せる。こうなったら道連れだ。
 しばらくぼそぼそとした声が車内に怪しく響き、やがて互いに体を離した。二人顔を見合わせる。
「……それって、思いっ切りいほ」
「墓場まで持っていけ。死んでも喋るな」
 言葉を遮ると、近藤は呆れたように嘆息して前を向き直った。
「なりふり構ってる場合じゃないって感じだろうけど、もういっそ全部暴露しちゃえばいいのに。面倒臭い」
「誰がこんな話信じるんだよ」
「捜査本部に土御門明を呼んで陰陽術を披露させれば? 一発でしょ」
「むやみやたらにあいつらを表に引っ張り出したら面倒だろうが。あいつらの力を……」
 気味が悪いと思う奴もいる、という言葉を飲み込んだ。熊田と佐々木が悲痛に眉根を寄せ、居心地の悪い空気が流れた。近藤が、少し俯いてぽつりと言った。
「……ごめん、無神経だった」
 紺野はぎょっとして勢いよく振り向いた。幻聴か。近藤がこちらに顔を向け、ぽかんと口を開けたままの紺野に唇を尖らせる。
「何、その顔」
「……お前が謝るなんて……、なんか変なもん食わせたか?」
「失礼だな、僕だって悪いと思えば謝るよ!」
 ぷいと車窓へ顔を背けた近藤の後頭部を眺め、紺野は苦笑いを浮かべた。
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