第11話

文字数 2,891文字

 ひとまず荷物を置きに和室に入る。
「ていうか、弘貴、さっきから妙に冷静だけどなんで?」
 部屋を見た時も、弘貴は驚いたように見えなかった。はっきり言って、少しくらい驚くなり引くなりしてもいいと思うのだが。勉強机の上に置かれた香苗の鞄の横に自分の鞄を置きながら大河が尋ねると、弘貴は和室を出て回りを見渡しながら言った。
「だって、俺んちも似たようなもんだったし。お、ゴミ袋発見」
 キッチンカウンターの上のゴミ袋を手に取る弘貴を、全員が目を丸くして見つめた。
「え?」
 春平が呆然とした声を漏らし、
「え?」
 その春平を見て大河が首を傾げ、
「あっ」
 弘貴から大河へ視線を移して驚いた声を上げた香苗に、弘貴がげらげらと笑った。
「お前ら、それ何に対しての反応なんだよ」
「だ、だって、弘貴がそんな話するの聞いたことないから」
「わざわざ話すことじゃねぇからな。で、大河は?」
「俺は、驚いた春に驚いたんだよ。俺んちってことは、施設に入る前の話だよね。そういう話しないんだなって」
「香苗は?」
「あ、あたしも、施設に入る前の話かなって思って、でも、あの、大河くん……」
 香苗にちらりと視線を向けられ、大河はああそうかと察した。
「双子が迷子になった日に聞いたんだ。華さんが双子の母親だって思ってたから、話の流れで。ていうか弘貴……」
 施設に入る前のこと覚えてるんだ、と言いかけて咄嗟に飲み込んだ。さすがに無神経だ。
 口をつぐんだ大河に、弘貴は笑みを浮かべた。
「俺、六歳くらいで施設に入ってるからさ、所々覚えてるんだよ。入る前は父親と暮らしてて、今思えば、まあしょうがねぇのかな。男手一人だし。ここまでじゃなかったけど、結構汚かった記憶がある。だから施設に入ってびっくりしたんだよ。綺麗だったから」
 ゴミ袋を広げ、手近にあるゴミを次々と放り込みながら、弘貴は何でもないことのように続けた。
「何で施設に預けられたのかは知らねぇけど、でもさ、俺は施設に入って良かったって思ってる。父親と暮らしてた時って、コンビニの弁当とかカップ麺とか出来合いばっかで、美味いけどやっぱ飽きるんだよな。だから、今もそうだけど、手作りの飯食えるってすげぇ贅沢だなって思う。華さんたちに感謝だなー」
 弘貴はふと手を止めて香苗を振り向いた。
「もちろん、香苗も入ってるぞ」
「い、いえそんな。あたしは、華さんたちのお手伝いをしてるだけなので」
「そこは、どういたしましてでいいんだよ。お前はちょっと謙遜しすぎ。もっと自信持てよ。華さん言ってたぜ? 香苗は料理上手だけど、特にポテサラは絶品なのよねって。どうしたらあんな味になるのかしらってさ。俺もお前が作るポテサラ好きだぜ」
 さらりと褒めた弘貴に、香苗は顔を赤く染めて持っていたビニール袋をきゅっと握り締めた。
「僕も、香苗ちゃんのポテサラが一番好きだよ」
「えー、俺まだ食べたことないんだけど」
「あ、柴と紫苑もいるしさ、近いうちに作ってやれよ。絶対気に入るって」
「いいねそれ。俺も食べたい!」
「最近食べてないから、僕も食べたいなぁ」
 大河と春平にせがまれ、さらに柴と紫苑までも引き合いに出されては断れないだろう。香苗はくしゃりと顔を歪めて、見事な泣き笑いの顔で頷いた。
「今度、たくさん作ります」
 目元に浮かんだ涙を照れ臭そうに拭う香苗を三人は微笑ましく見つめ、よし、と弘貴が場を仕切り直した。
「春、大河始めるぞ。香苗はしっかり飯食え」
「は、はいっ」
 香苗が使命感満載の顔で返事をし、弘貴に投げて渡されたゴミ袋を大河が受け取った。一枚引き出して春平に渡す。まずは担当の割り振りだ。香苗は勉強机の椅子にちょこんと腰を下ろして、ビニール袋を漁る。
「とにかく手当たり次第に捨てろ。迷ったら負けだ。人に頼むんだからあとから文句は言わせねぇ。それに大事なもんならこんな扱いしねぇだろ」
「正論だね。でも、服とかどう考えても捨てられない物は段ボールに分けて、あと分別はちゃんとしよう。回収されないかもしれないから」
「分かった。それで、場所どうする?」
「大河、お前分別とか分かるか?」
「缶ビンとペットボトル、あと燃やせるゴミくらいかなぁ」
 基本中の基本だ。細々とした分別は全く分からない。大河が面目ない顔で答えると、弘貴と春平がきょとんとした顔で見ていた。何かおかしなことを言ったか。
「山口は可燃ゴミのこと燃やせるゴミって言うのか?」
「え? うん、そうだけど」
「こっちは燃やすゴミって言うから、ちょっと違和感あるね」
 大河は改めてゴミ袋に目を落とした。確かに「燃やすごみ用」と印字されている。
「へぇ、県によって言い方が違うんだ。面白い」
「美琴ちゃんは燃えるゴミって言うよ。神戸だっけ、出身」
「あれ、そうなの?」
「うん。前に同じような話をしたから、その時に聞いたんだ。って、話が逸れてる。早く始めよう」
 苦笑して春平が軌道修正をした。
「んじゃ、大河はリビング頼むわ。分かんなかったら香苗に聞け。春、俺ら玄関の方な」
「了解」
 力強く返事をして、各々ゴミ袋を手に散る。
 大河はぐるりと部屋を見渡して、思案した。自分の部屋なら適当なところから手を付けるのだが、ここまでになると、要領よくこなさなければ無駄に時間が過ぎそうだ。端っこから順に攻めていこう。大河は気合を入れて窓側に寄った。
 コーナーボードの上に置かれたテレビは、指でなぞると文字が書けるくらいの埃が積もって真っ白だ。カーテンも埃臭い。テレビの周りに置かれた木製の馬の置き物や枯れ果てたサボテンは、どう見てもゴミに見えるが捨てない方いいだろう。またここにも山もりの灰皿だ。さらにペンが数本転がり、印鑑まで放置されている。なんて不用心な。ひとまず放置だ。
 何故かここに置かれた物件や宅配のチラシをゴミ袋に放り込む。ハンガーや洗濯バサミはまだいい、しかしこの人の顔をかたどった真っ白なお面は何なのか。なんでタオルがここにあるのだろう。競馬新聞に化粧品の空箱や容器、ハンドクリーム、塗り薬や痛み止め、挙げ句の果てにはからからに干からびた枝豆とさきいかが出てきた。人のことを偉そうに言えるほど自分の部屋も綺麗ではないが、ゴミはゴミ箱に入れるくらいの常識はある。
 帰ったら掃除しよ、と大河は人のふりを見て我がふりを直すことにした。
 しゃがみ込んで黙々と手を動かしながら、大河は先程の弘貴の話を思い出した。
 施設に入って良かったと、弘貴は言った。施設に預けられた理由は分からないけれど、でも、そう言い切れるのなら、あんな風に話ができるのなら、弘貴の中で整理は付いているのだろう。
ならば、香苗はどうなのだろう。
 大河は、しゃがんだまま肩越しに香苗を振り向いた。
「ねぇ、香苗ちゃん」
「えっ、はい」
 我に返ったようにおにぎりから顔を上げた香苗に、ぽつりと尋ねる。
「香苗ちゃんは、寮に入って、良かった?」
 唐突な質問に香苗は目をしばたき、しかしすぐにとても穏やかに微笑んだ。
「うん」
 大きな頷きと共に見せたその笑顔は、作ったように見えない。
大河はそっかと笑みを返し、再び手を動かした。
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