第11話

文字数 4,833文字

 あのあと、台所にいた鈴と雪子が顔をのぞかせ、飛び起きた晴や志季、何ごとかと慌てて下りてきた宗史に復讐がバレた。
 志季にげんこつを食らい、二人が俺を下敷きにするからじゃん、寝てる時のことまで責任持てるか、などとぎゃあぎゃあ騒いでいると、
「それなら、先程も一枚送ったぞ」
 と鈴が涼しい顔で暴露した。その一枚は、爆睡中の大河たち三人の枕元で正座した柴と紫苑と鈴がピースをして映っているというふざけたものだった。無表情でピースはやめろ。難を逃れた宗史がしばらく声を出せないほど笑ったくらいだ、宗一郎と明の腹筋はさぞやよじれたことだろう。晴と志季は膝から崩れ落ち、何してくれてんだ、と悲嘆に暮れていた。
 影唯いわく、「こっちの様子を報告した方がいいかなって」思ったらしい。だからといって昼寝中の写真なんか送ることないのに。絶対面白がったに違いない。
 大体、報いを受けろとは思ったものの、可愛いいたずらの範疇ではないか。殴ることないのに。それに、こっちはもっと恥ずかしい目にあったのだ。見せるならもっとまともな写真を見せて欲しい。
「もしもし?」
 騒がしい居間から出ると、大河は階段の一番上に腰を下ろし、溜め息まじりに風子からの電話を受けた。
「あたし。大丈夫? なんか、疲れてるみたいだけど……」
「大河お兄ちゃん、何かあったの?」
 スピーカーにしているのだろう。返ってきた心配そうな声に、大河は苦笑した。風子とヒナキに心配をかけてどうする。
「いや、大丈夫。元気元気。今どこ?」
「まだ漁港」
 声の向こう側から人の声がする。
「人いるよな。全員島の人?」
「うん、皆知ってる」
 二人とも早く帰れよ、と届いた声は、伊藤のおじさんだ。はーいと二人が元気に答え、行こ、と風子が促した。
 思わずほっと息が漏れる。鈴の使いがついているはずだから大丈夫だろうが、それでも警戒してしまう。
「ねぇ、たーちゃん。省ちゃんからメッセージもらったけど……駄目なの?」
「駄目だ。帰ったら絶対家から出るなよ」
 強い即答に返ってきたのは、沈黙だ。心配してくれるのは嬉しいが、二人を危険に晒すわけにはいかないのだ。それでなくても、自分の軽率な行動でヒナキは顔が割れている。独鈷杵と引き換えに人質に取られないとも限らない。そんなことになったら、二人の家族に顔向けできない。
「大河お兄ちゃん、あのね」
「うん?」
「今日、風子ちゃんうちに泊まってもらっちゃ駄目かな? 風子ちゃんに一緒にいてもらった方が、あたしも安心だし」
「ああ……」
 意外な提案に、大河はそうかと逡巡する。確かに、風子を一人にしておくのは少し不安だ。紫苑との戦いの時は省吾たちがいたが、今回は止める人がいない。自分を理由にしていたが、おそらくヒナキもそれを心配しているのだろう。だがもしもの時、ヒナキに風子を止められるだろうか。
 大河は腰を上げた。
「ちょっと待ってて」
 階段を駆け下りて、居間の襖を開ける。瓦そばがこんもり盛られたホットプレートを抱えた宗史と晴が、ちょうど台所から出てきた。茶そばとネギの緑、牛肉の茶色、錦糸卵とレモンの黄色、もみじおろしのオレンジ、海苔の黒。久々だと意外と彩りが良く、ものすごく美味そうに見える。などと食欲をそそられている場合ではない。
「あっ、あのさ」
「うん?」
 足を止めた二人に事情を説明し、携帯を腹に押し付けて声が風子たちへ届かないようにする。
「ほら、前の時も裏山に行こうとしたって、省吾が。でも、ヒナだけだとちょっとさ」
 心持ち小声の大河に、ホットプレートをテーブルに置いた宗史と晴が、ああ、と同時に声を漏らす。
「確かに、ヒナちゃんに風ちゃんを止められるとは思えないなぁ」
「風子は少々おてんばだからな」
 影唯が神妙な面持ちをし、鈴がおにぎりの乗った大皿を抱えて台所から出てきた。宗史が逡巡して言った。
「大河、省吾くんに一緒にいるよう頼めないか」
「俺もそれ考えてた。勉強見るって言えば大丈夫だと思う。あとで連絡しとく」
「ああ待って、それならお父さんがしておくよ。早い方がいいだろう」
「そうだね、じゃあよろしく」
 携帯を手に取った影唯に言い置いて、大河は襖を閉めた。勉強を見ることやお泊まりは今さらだ。ましてや省吾なら、親たちからの信頼も厚い。
「もしもし?」
「あ、うん」
 大河は階段の途中で腰を下ろす。
「今さ、宗史さんたちに相談したんだけど、省吾も行かせるから三人で一緒にいろ。勉強見てもらうって言えば大丈夫だよな」
「分かった、大丈夫。省吾お兄ちゃんが一緒なら心強いね」
 うん、と微かに風子の頷いた声が聞こえた。これで不安は一つ解消だ。
 風子ちゃんちに寄ってから帰ろうねと言うヒナキの明るい声に、大河は眉を寄せて目を落とした。
「ヒナ」
「うん?」
 一瞬、躊躇した。あの時、ヒナキと昴を会わせなければこんな心配をしなくて済んだのに。ヒナキを悲しませなくて済んだのに。
 大河はぐっと歯を食いしばった。今さら後悔してもどうしようもないのだ。迷うな。決めたことだろう。
「昴さんのこと、覚えてるよな」
「うん、覚えてるよ。昴さん元気?」
 無邪気な問いかけが、胸に刺さる。密かに息を吸ってから、口を開く。
「実は、昴さん、内通者だった」
 遠回しに伝える意味はない。むしろはっきり言ってやらなければ、二人の身に危険が及ぶ。今はそれだけを考えろ。
「敵、だったんだ」
 それでも躊躇いが隠せず詰まった。
「たーちゃん、それほんと? ヒナとビデオ通話した人だよね?」
 返ってきたのは、動揺した風子の声だ。
「うん」
「そんな……、写真、優しそうな人だったのに……」
 風子が落胆した様子で呟くと、しばらく沈黙が流れた。
「ヒナ、大丈夫か?」
「え、あ……、うん……」
 唖然とした声。ゆっくりと呼吸する音がして、ヒナキがぽつりと言った。
「何か、理由があるんだよね……?」
 窺うような、期待がこもった問いかけだった。
「うん。昴さん、小さい頃から霊感があったみたいで、それを父親が怖がって、離婚になったんだって」
「は!?」
 風子の驚いた声が鼓膜に響いた。気持ちは分かるが大きい。大河は携帯を少し耳から離した。
「そんなことで離婚?」
「なんか、心霊現象とかホラー系が全然駄目だったんだって」
「何それ、ばっかみたい。臆病すぎ」
 清々しいほどに吐き捨てた風子に、ヒナキはくすくすと笑い、大河は苦笑いした。
「で、それがきっかけで、昴さんのお母さんが精神的に病んだらしくて。六年前に、自殺してるんだって」
「え」
 二人同時に呟き、ヒナキが息を吐き出すように問い返した。
「自殺……?」
「うん」
「もしかして、お父さんのことを恨んで?」
 問うたのは風子だ。
「多分。本人から聞いてないから、はっきり言えないけど」
 おそらく間違いないが、これまでの反応を見る限り、二人は三宅が殺害されたことを聞いていない。それならそれで構わない。昴は敵だと認識してくれれば、それで。
 大河は重苦しい沈黙を破った。
「だから、もしかすると昴さんが来るかもしれない。ヒナは顔がバレてるから、絶対に家から出るな。終わったらちゃんと連絡する」
「あ、それで……」
 風子がやっと察したように呟いた。
「そう。風もだぞ。顔バレしてないからって出るなよ」
「わ、分かってるよ」
 どもった。隙を見て抜け出そうとでも思っていたのだろうが、省吾が一緒なら大丈夫だろう。
「ね、大河お兄ちゃん」
「うん?」
「あのね、あたしたち、事件のこと何も聞いてないの。省吾お兄ちゃんやおじさんたちに聞いても教えてくれなくて。あの……あたしたちに話せないくらい、危ない事件なの?」
 察しがいいのも考えものだ。大河は困り顔で頭を掻いた。話しても話さなくても、どのみち心配させる。ならば、話さない方を選ぶ。残忍な方法で殺害された人がいる。特に深町弥生や怜司の恋人の話は聞かせたくない。もちろん、きちんと警戒させるためには話した方がいいことは分かっている。けれど二人はまだ中学生で、今は大切な時期だ。
「いや、そんなことないよ。でもほら、色々謎が多いからさ、話し聞いたら気になるだろ。事件より受験勉強しろって、父さんたちもそう思ってるんだと思う」
 あながち間違ってはいないだろう。特に風子は好奇心が強い。謎解きに夢中になって、勉強がおろそかになられては困る。
 一人でへらっと笑った大河の答えに、いまいち納得できない声が返ってきた。
「省ちゃんたちも、そう言ってたけど……」
「だろ? 二人が心配することじゃないって。今日だって、念のために気を付けろって感じだし。でも家からは出るなよ」
「もう、分かってるってば」
 しつこいなぁ、とふてくされた風子の声に、大河はくすりと笑った。
「じゃあ、終わったら連絡するから、大人しく勉強してろよ」
「うん、気を付けてね」
「はーい……」
 嫌々といった風子の声に苦笑して、大河は通話を切った。
 長く息を吐き出して、携帯に目を落とす。敵側の標的はあくまでも犯罪者で、省吾もいる。家の場所も分からない。ただ、本当に自分と同じ霊力量の持ち主がいた場合、影綱の独鈷杵は喉から手が出るほど欲しいだろう。その気持ちは、自分が一番よく分かる。だとしたら、人質を取らないとも限らない。それは風子たちだけでなく、島の皆もそうだ。
 大河は携帯を強く握り締め、腰を上げた。
 甘辛い香りが隙間から漏れ出る襖を開けると、鈴の盛大な舌打ちで出迎えられた。
「私がいれば八つ裂きにしてやったものを」
 物騒すぎる台詞に足が止まる。何ごとだ。
「ああ、大河。先に食べてるよ」
「うん」
 襖を閉めながら向けたテレビでは、草薙製薬のニュースが流れている。なるほど、これか。鈴が不機嫌顔で耳障りだと言わんばかりにテレビを消した。
 寮では、あの日からニュースの時間にテレビをつけていない。訓練に忙しいこともそうだが、どこの局でも草薙製薬のニュースばかりで「腹が立つから見たくない」という意見が一致したためだ。他のニュースはネットでも確認できるし、なんら不便はない。ネットニュースも草薙一色だが。
「省吾、どうするって?」
 大河は宗史の隣に腰を下ろし、合掌をしてさっそく瓦そばに手を伸ばした。
「夕飯食べたらすぐに行くって」
「そっか」
 この焦げ目が付いたところが美味いのだ。久々に口にする好物に、自然と顔の筋肉が緩む。
「昴のこと、全部話したのか」
 宗史がおにぎりに手を伸ばしながら尋ねた。
「三宅のことは話してないけど、一応。さすがに驚いてたけど、こういう時って風の方が割り切るの早いんだよね。大丈夫だと思う。省吾もいるし」
「そうか」
 少しほっとした様子の宗史に、うんと頷く。
 気が強く、聞きわけが悪い。思ったことがそのまま口に出るため、あとから後悔するなんてしょっちゅうだ。けれど、悪かったと思ったらきちんと謝るし、人の気持ちが分からないほど無神経ではない。宗史と晴に対してもそうだった。もちろん心配もするし不安にもなるけれど、基本的には前向きな性格だ。こんな時、風子の明るさと単純さはヒナキの助けになる。
「ていうかさぁ、無くなるの早くない?」
 ホットプレート二枚分の瓦そばは、すでに半分ずつ無くなっている。渋い顔でそばをすする大河に、志季が言った。
「想像以上に美味かった。なあ、これ土産に買ってこうぜ」
「お、いいなそれ。でもこれ冷蔵じゃねぇの? 麺って生だろ」
「宅配で送ってくれるだろ。俺も買おう。桜が喜びそうだ」
「じゃあ俺も買う。皆に食べてもらいたい」
 気に入ってもらえて何よりだ。寮の皆もきっと気に入ってくれるだろう。柴と紫苑も、いつもより箸が進んでいる気がする。
 ふと、伸ばした手を止めた。この歪な形をしたおにぎりは、もしかして鈴が握ったのだろうか。涼しい顔でそばをすする鈴をちらりと見やる。強くても料理は苦手らしい。三角形にしようと真剣に握る鈴の姿を想像し、大河は笑いを噛み殺した。
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