第6話

文字数 3,266文字

 陽が友人らと選んだ夏休みの自由研究課題は、「地名の由来を調べる」。京都と言えば独特の地名が多い。住んでいると、それが普通で別段変わっていると思わない。きっかけは、進級と同時に関東から引っ越してきた転校生だった。
「京都の住所とか地名って覚えにくいし長いよね。西京区(にしきょうく)とか、ずっとさいきょうくだと思ってた。西京焼きってあるし。何で読み方違うのかな?」
 じゃあ調べてみよう、と友人の一人が提案し、どうせなら夏休みの自由研究、共同にしようぜ、ともう一人の友人が言った。転校生を交えた四人がそれぞれ都合のついた今日、京都に関する資料が多いらしい右京中央図書館を訪れた。
 さすがに夏休みと言ったところか、利用者は多く、同じ年頃の子供たちが多く目についた。
 自宅や学校の住所、それぞれ事前に調べて気になった地名、そして「西京区」と「西京焼き」の読み方の違いの理由を調べ、近くのコンビニで昼食を摂り、午後から再開した。
 提出形式は自由だ。ノートにするか模造紙にするか。あとから自分が担当した部分を分けられるようにと、模造紙をいくつかに切り分け、それを繋ぎ合わせることにした。
 午後五時過ぎ。陽は明から暗くなる前に帰って来いと、友人らも晩御飯までには帰るようにと言い付けられていた。
 結局最後までは書き終わらなかったけれど、しかし家に持ち帰ってそれぞれ仕上げができる。俺らの選択は正しかった、さすが俺、と自画自賛する友人らともう一度集まることを約束して、最寄駅で別れた。
 鬼代事件が発生してからは、通学だけに留まらず、近所のコンビニに行くにも式神の護衛が付くようになった。夏休みに入ってから極力外出を避けるよう言い渡され、せっかくの夏休みに家に籠る日が続いた。
 とはいえ今の状況は理解しているつもりだし、訓練もある。以前は訓練で頻繁に行き来していた寮にすら自由に行けないのは寂しく思うけれど、仕方がないと割り切った。出掛ける時は、その容姿も手伝って異常に目立つということもあり、式神の閃も鈴も付かず離れずの距離から見守ってくれる。
 日も十分高い。帰宅時間にはまだ少し早く人もまばらだが、鈴が今もどこかで見守ってくれている。
 自分自身、そこらの大人よりは強いつもりでいたし、兄二人のお墨付きということもあった。だから油断したと言われればそうなのだろう。加えて、久しぶりに友人らと会って、浮かれていた。
 自宅の最寄り駅で時計を確認すると、つい先ほどバスが出たばかりだった。待っている間に歩けば帰れる。まだ明るいし、大丈夫だろう。
 陽は駅から自宅の方向へ足を進めた。スーパーやコンビニに行くでもなく、こうして近所を散歩するように歩くのは終業式以来だ。大通りを外れて住宅の中を行き、十分か十五分ほど歩いた時だろうか、脇道から男の戸惑った声が聞こえた。
「おっかしいな、この辺だよなぁ……」
 両側を住宅の高い塀で挟まれた、車一台分ほどの狭い道。携帯を見ながらぼやいているということは、近所の人ではないのだろう。誰かを訪ねて来て迷ったのか。
 陽はこちらに向かってくる男を横目に速度を落とし、声をかけた方がいいかな、と思っていると、男が気付いた。
「あっ、すんませんちょっと道聞きたいんすけどぉ」
 軽い口調と共に携帯を振って小走りに寄るその男に、陽は足を止めて数歩路地へと入った。
「はい」
「あの、ここに行きたいんすけどね――」
 男は右隣に並びながら、陽に携帯の画面を見せた。あれ、と思った時には遅かった。画面に地図が表示されていない。素早く後ろから左手で強く口を塞がれ、同時に胸から全身へ、感電したようにびりびりとした衝撃が走り筋肉が硬直した。さらに、背後に車が急停車する音と、頭上からガツッと鈍い音が耳に飛び込んできた。
「っ!」
 叫び声はくぐもって響かない。意識はあるが力が入らず、前のめりに膝から崩れ落ちた。車のスライドドアが開く音と、走り寄ってくる靴音がする。口を塞がれたまま、不本意にも男に支えられて次に耳に届いたのは、
「陽ッ!」
 鈴の切羽詰まった声。地面に転がされて視線を動かすと、二階の屋根の上で誰かと対峙する鈴の姿があった。
 鬼――いや、式神だ。黒い着物で褐色の肌をした式神。蹴りを避けてこちらに向かった鈴に一瞬で追い付き、襟首を掴んで上空へ放り投げた。鈴のスピードに追いつくなんて。
「何だよ、あれ……」
 車から下りてきた男が、ガムテープを手に呆然と呟いた。
「何でもいいから早く運べ、人が来るッ」
 鋭く携帯の男が指示を出し、呟いた男が慌ててガムテープで陽の口を塞いで肩に担ぎ上げた。
「早くしろッ」
 携帯の男は助手席へ、呟いた男は陽を後部座席へ放り込むように押し込んで、自身も飛び乗った。同時に車は急発車し、男が慌ててドアを閉めた。
 乱暴に下ろされたと思ったら、背中を誰かに支えられ、力強く引っ張られた。中にもう一人いたようだ。すぐ目隠しをされた。続けて両手首にひやりとした何かが触れ、プラスチックの細かい溝を擦る音がした。この音は結束バンドだ。わずかな隙間を残してつけられた両腕を後ろに回され、それをさらに結束バンドで繋がれた。
 慌ただしく拘束される中、気付く。あれは携帯の形をしたスタンガンだったのか。あんな物があるなんて、さすがに気付けない。威力は大したことなかったが、まだ痺れが残っている。それに結束バンドは力ずくで引き千切れない。霊符は尻のポケットに入っているが、口を塞がれて真言が唱えられない。
 逃げられない。
 陽は俯いてゆっくりと鼻で呼吸をした。落ち着け、と自分に言い聞かせる。騒いでも動揺しても何の解決にもならない。考えろ。
 襲ってきたのは二人、運転手と後部座席にいた男の四人組。式神が介入してきたということは、身代金目的ではなく、鬼代事件だ。ただ、あとから来た男は、式神を見て呆然としていた。けれど携帯の男は意に介さなかった。ということは、携帯の男だけが一味なのか。他の三人は金で雇われたのかもしれない。
 けれど、どうして誘拐なのだろう。こちらの戦力を削ぐのなら、あの場で殺すことができただろうに。それにまだ明るいこの時間に誘拐なんて――いや、スタンガンといい結束バンドといい、計画されていたのは確かだ。とすれば、滅多に外出しない自分を攫うのなら今日しかないと判断したのか。だが、鬼や式神が使えるのに、何故こんな手段を取ったのだろう。
 何が目的なのか、分からない。
「大人しいな」
 ぽつりと、車で待機していた男が呟いた。陽との間に挟まっている鞄を探っている。携帯を探しているのか。
 顔を男の方へ向け、目隠しの下からじろりと睨み付けた。こんなこと意味がないと分かっている。けれど意外にも男は、「肝が据わってるな」と苦笑交じりに言った。
「おい、さっさと電源切れ」
「分かってる」
 冷静な声で返答した男に携帯男が舌打ちをかまし、俺だ、と続けた。誰かに連絡を取っている。他に仲間がいるのか。
 電源を切ったらしい男が携帯を鞄に突っ込んだ。と、右折した車の揺れに合わせ、男が鞄を引っ張って体を寄せてきた。
 耳元で、携帯男の声に紛れそうなほど小さな声で囁いた男の言葉に、陽は目を瞠った。ゆっくり振り向こうとすると、動くな、と制された。
 再び車が直進すると合わせて男は体を離し、それ以降、話しかけてくることはなかった。
陽は俯いたまま、思考を巡らせる。
 鈴を足止めするために式神を介入させたのなら、もう撤退しているはず。鈴が明に報告しているだろう。宗一郎と寮の皆に伝えて動いてくれる。だが、移動場所が分からない。携帯の電源が切られた以上、GPSで追えない。だが――。
 何者なんだろう。
 誘拐という手段を使った理由も、男たちの正体も分からない。ただ一つ分かるとすれば、確実に自分の情報が漏れているということだけ。
 陽は、きつく唇を噛んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み