第13話

文字数 3,792文字

「お、冬馬からだ。早いな」
 言いながらメッセージを開き、へぇと一人ごちる。
「ヤナギバヒマワリじゃねぇかって」
「ヤナギバ、ヒマワリ? 向日葵なんですか、あれ」
「みたいだぞ。俺にはコスモスにしか見えなかったけどなぁ。リンクが貼ってある」
 やはり下平も同じだったか。写真ならばもっと違いが――分かる自信がない。桜や梅など、分かりやすくてポピュラーな花なら分かるけれど、例えば椿とサザンカなどは、どっちがどっちかさっぱり見分けが付かない。
「向日葵に似てるからこういう名前が付けられたんだと。うーん、写真を見てもやっぱりコスモスにしか見えん。俺に花を見分けるセンスはねぇな」
 左に同じだ。ははっと紺野が笑った直後。
「君のそばにいるよ……?」
 不意に耳に飛び込んできた呟きに、一瞬思考が止まった。何ごとだ。失礼だが、下平の口からそんな甘いなセリフが出るなんて。
「あの、下平さん……?」
 恐々と声をかけると、下平は我に返った。
「ああ、すまん。花言葉だ」
「花言葉?」
 煙草をくわえ、携帯灰皿を内ポケットから引っ張り出しながらああと頷く。器用に開けて灰を落とし、膝に置いた携帯画面の文面を読み上げる。
「ヤナギバヒマワリの花言葉は、憧れ、崇拝、快活な性格。それと、輝かしい未来、君のそばにいるよ、だそうだ。……どう思う」
「どう、と言われても……」
 難しい質問だ。紺野はわずかに眉根を寄せた。今回はイラストだが、花言葉は、普通は花を送る相手へのメッセージとするのが自然だ。あの手紙は、満流を助けて欲しいという内容だった。当然、満流本人に向けて書かれたものではない。現状から推測するなら、道成の生死はともかく、自宅に尚、あるいは自分たちが調査に来ることを知っていて残したものになる。つまり、他人に向けて書かれたものだ。
 ――憧れ、崇拝、快活な性格、輝かしい未来、君のそばにいるよ。
 もし道成が花言葉に自分の気持ちを重ね、手紙を見つけた者へのメッセージとしたのなら、どれも意味が通らない気がする。
 紺野はひとしきり悩んで白旗を上げた。
「よく分からないですね。自分か満流が好きな花を選んだだけか、特に意味はないか……」
「俺もそう思う。他にレターセットもなかったし……」
 特に意味はなさそうだな、と最後に小さく一人ごち、けれどどこか煮え切らないような顔をして携帯を見つめる。吸殻を灰皿に押し込んだ時、もう一度着信音が鳴った。
「ん。悪い、ちょっと電話いいか。冬馬が今話せるかって」
「あ、はい」
 近藤の件もある。また何かあったのかもしれない。
「ああ、俺だ。どうした? ……前田から? 何で。……悪鬼が?」
 唐突に強張った声と、出てきた不穏な言葉に紺野が眉根を寄せ、景色を眺めていた白狐が振り向いた。
「ちょっと待て。今、紺野と一緒なんだよ。スピーカーにする」
 険しい面持ちで視線を向けた下平と目を合わせ、こくりと頷く。
「いいぞ」
「はい。お疲れ様です、紺野さん。先日はご迷惑をおかけしました」
 廃ホテル事件のことだろう。律義な奴だ。
「お疲れ。そのことはもう気にすんな。それより、悪鬼がどうしたって?」
「それが――」
 冬馬の口から語られた京都の現状に、言葉を失った。アヴァロンでは何もなかったこと、そして騒ぎが起こってすぐに終息したのは、間違いなく護符と白狐のおかげだ。もし護符がなかったら、明たちが白狐を警護に当たらせていなかったらと考えると、ぞっとする。
 下平が尋ねた。
「本当に大丈夫なんだな?」
「はい。智也にも連絡しましたが、特に何もないそうです」
「そうか……」
 思わず揃って安堵の息が漏れた。だが、この話には続きがあった。
「それと、同じような騒ぎが他でも起こってたみたいなんです」
「他?」
「はい。開店待ちをしていた客が騒いでいたので、話を聞いて詳しく調べてみたんですが、ほぼ同じ時間に、兵庫、奈良、和歌山、三重、滋賀、大阪の繁華街や歓楽街、観光地で同様の騒ぎがあって、すぐに終息したそうです。ただ、大阪のキタとミナミは大ごとになったみたいですね。ものすごい数の動画がネットに上がっていて、集団ヒステリーや近畿を狙った秘密結社の謀略、バイオテロとか、あと見える人の間では悪霊の仕業というのもあって、色んな憶測が飛び交ってます」
 もうどこから突っ込んでいいのか分からない。近畿全域ではないか。
「分かった。とりあえず、お前たちが無事で良かった。話題に上がっても適当に聞き流せ」
「分かりました」
「それとな、一つ言っとくことがある」
「はい?」
「明さんたちが、お前ら三人に護衛を付けてる。白狐だ」
「――は?」
 まあ、そういう反応になるよな。下平いわく、彼は相当頭が回るらしいが、さすがに白狐が護衛に付いていると聞いてすんなり受け入れられるとは思えない。
 しばしの沈黙のあと、冬馬はとりあえずと言った様子で尋ねた。
「白狐って、ほとんどの稲荷神社で祀られている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷族でしたよね」
「おお、宇迦之御魂神様の名が容易に出てくるとは。近頃は祀られておる神の名も知らずに参拝する人の子が増えておるからのう。感心感心」
 大人しく聞いていた白狐が、座席から下りて運転席と助手席の間から顔を出した。尻尾が大きく揺れている。
「伏見稲荷は商売繁盛でも有名ですし……えーと、どちら様でしょう?」
 冬馬が首を傾げている姿が目に浮かぶ。反対に、声を殺して笑う下平は楽しそうだ。
「白狐だ。今はこいつだけだけど、俺たちにも護衛が付いてるんだよ。街の騒動も、収めたのは白狐だ。だよな」
「無論」
 白狐がふふんと自慢げに鼻を鳴らした。
「ああ、そうなんですか。うちのスタッフが、通勤途中で喧嘩に巻き込まれそうになったらしくて。すんでのところで何故か収まったと。ありがとうございました、助かりました」
「そりゃあ良かった」
 流れるように受け入れた。やっぱり、陰陽師だの式神だの鬼だのを見れば、狐が喋ろうがもう不思議に思わなくなるようだ。
「けどなぁ、白狐。俺たちを護衛してた白狐だけじゃ、近畿全域をカバーできないだろ。どうやったんだ?」
 下平が首だけで振り向くと、白狐は濃い紫色の瞳をついと上げた。
「今でこそ、宇迦之御魂神様は商売繁盛、家内安全、諸願成就、良縁など様々な御神徳があるとされているが、元来は五穀を含めた食物、特に稲を司る神じゃ。そしてわしら白狐の役目は、稲の出来を確認し宇迦之御魂神様にご報告すること。稲は各地で栽培されておる。ゆえに、わしらは人の子の目には映らぬだけで、その辺にうじゃうじゃおるわい」
「うじゃうじゃ……」
「本来わしらは人の子の諍いに干渉せん。しかしまあ、今回だけは特別に宇迦之御魂神様に進言し、白狐らを動かしてもらったんじゃよ」
 この現状もそうだろうが、陰陽師の「お願い」は眷族だけでなく神をも動かすらしい。へぇ、と感心する紺野たちを横目に、白狐は心外そうな溜め息をついた。
「お前たち人の子は、狐は祟ると恐れるが、受けた恩を返すくらいの気概はある。もちろん不敬な輩には仕置きの一つくらいするが、それは人でも神でも同じじゃて。(わしら)だけではなかろう」
「恩?」
 問い返したのは紺野と下平だ。白狐はしまったと言った様子で、きゅっと唇を結んだ。下平が振り向いてじっと見据えると、白狐は素早く視線を逸らした。なるほど、借りがあるのか。しかも頑なに喋りたがらないところをみると、よほどのことをやらかしている。白狐は「お願い」されたと言っていたが、「脅された」の間違いじゃないのか。
 下平が苦笑いして前を向き直った。
「それはおいおい聞くとして」
「聞かんでよい!」
「まあそういうことだ。けど、専属で護衛が付いてるからって警戒は緩めるなよ。智也と圭介にも言っとけ」
「はい」
「それとだ。――食い物には気を付けろ」
 白狐の突っ込みを無視した至極真剣な忠告に、沈黙が返ってきた。しばらくして、なるほど、と冬馬が小さく呟いた。もしやすでに被害が出ていたか。どうやら白狐は食い意地が張っていると認識した方がいいようだ。白狐がふてくされた顔で座席に戻った。
「分かりました。……あ」
 言いあぐねたように、言葉が切れた。
「何だ?」
「いえ、何でもありません。じゃあ、そろそろ仕事に戻ります」
「ああ。わざわざありがとな」
「いえ。皆さん、気を付けてください。失礼します」
 丁寧な挨拶を最後に通話が切られると、下平が呆れ顔で嘆息した。
「あいつはほんと何も聞いてこねぇな。気になるくせに」
「あ、もしかして、樹ですか」
「ああ。聞いたら余計気になるって自分で分かってんだよ。まあ、さすがに今は話す気はねぇけど」
 下平は渋い顔でぼやいて携帯を内ポケットにしまった。
 冬馬が前田から聞いたのは、騒動は犯人たちの仕業であり、冬馬を狙ったものではないか、というこの二点だけだった。それなのに、この時間に何故二人が一緒なのか、どこにいるのか、騒動を収めたのが樹たちではなく何故白狐なのかなど、疑問はいくつもあるのに聞いてこなかった。きっと、廃ホテル事件や賀茂家での一件で、自分にできることはないもないと分かっているのだ。さらに犯人たちの標的になっていることも知っている。何もできないからこそ、あえて知ることを避けた。知って余計なことをしないように、自分を律した。樹の足手まといにならないために。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み