第10話

文字数 1,751文字

          *・・・*・・・*

 ゆっくりと浮かび上がった意識の端で、メッセージの着信音を聞いた。
 大河はしばらくぼうっと木目の天井を見つめ、帰ってきたんだっけと思い出す。寝ぼけ顔のままごそごそと体を反転してうつ伏せになり、枕代わりの座布団に顎を乗せた。枕元に置いていた携帯を引き寄せると、夢ではなかったらしい、着信を知らせるランプが点滅している。
 時間は六時前。小一時間ほど眠っていたらしい。この時間なら風子とヒナキかもしれない。メッセージを確認すると、やっぱり風子からだった。もうすぐ帰るから電話するという事前連絡だ。風子がこんなことをするなんて珍しい。無事だと分かるからこちらとしては有難いが、確実に電話に出ろという意味にも取れる。
 鈴に会ったのなら、その意味も知っているだろう。ならば省吾がこちらへ来るなと連絡した理由も分かるはずだが、相手は風子だ。
 文句言われるかな、と溜め息まじりに静かに呟いて、のっそりと体を起こす。とたん、腰のあたりにどすんと何かが落ちてきた。
「ぐふっ」
 くぐもったおかしな呻き声を漏らし、再び畳に沈む。座布団に顔をうずめたまま、しばし何が起こったのか思案する。そしてゆっくりと、首を回して左隣を見た。そこには、神とは思えないほど緩み切った志季の寝顔。
「うへへ、ゆけむり……」
 温泉の夢でも見ているのか。人を足蹴にしておいて気持ち良さそうにしやがって。未だ起きる気配のない神をひと睨みして、大河は這い出るように前進した。と。
「いたっ」
 今度は肩甲骨辺りに何かが振ってきた。大河はぐぬぬと歯噛みして右隣へ鋭い視線を投げた。
「もうむり、しぬ……」
 何の夢を見ているのだろう。苦悶の表情を浮かべてうなされているのは、言わずもがな晴だ。
 夢の内容はともかく、式神は術者の鏡とよく言ったものだ。寝相がそっくりだ。もう、と大河は一つ苦言を吐いてほふく前進し、重い足と腕から抜け出した。
 四つん這いから立ち上がる。二人とも筋肉が重いのだから勘弁して欲しい。溜め息と共に閉め切られた襖へ足を踏み出し、ふと止める。
 片腕と片足を互いの方へ伸ばして眠る主と式神を頭の方から眺め、にんまりと口角を上げた。
 縁側からは、まだ太陽の光が差し込んでいる。カメラのフラッシュはオフ。携帯を横にして二人をきちんと画面に入れ、大河はパシャリと音をさせてシャッターを切った。すぐさま襖へと忍び足で駆け寄り、できるだけ音をさせずにゆっくりと開く。起きた様子はない。
 襖の向こう側では、影唯と柴と紫苑がテーブルについて何かを広げていた。
「ああ、大河。起き」
「し――っ」
 人差し指を唇にあてて影唯の言葉を遮り、狭い襖の間をするりと抜ける。くるりと体を回して、二人が起きないことを確認しながら襖を閉める大河に、影唯たちが小首を傾げた。
 ぱたんと閉めると、大河はふふふと狡猾な笑い声を洩らしそのまま携帯をいじる。撮りたてほやほや写真の送信先は、宗一郎と明だ。人を下敷きにした報いを受けろ。
 任務を終えたような満足感に、大河は満面の笑みで振り向いた。気が付けば、食欲をそそる醤油と砂糖の甘辛い匂いが漂っている。瓦そばに乗せる牛肉の匂いだ。
「さっきから何をしてるんだい?」
「ちょっと見て、これ」
 上機嫌でテーブルに歩み寄り、目に入ったそれにぎょっと目を剥いた。
「な……っ」
 言葉に詰まった大河に、影唯が悪びれもなく嬉しそうに表情を緩めた。
「ああこれ? 懐かしいだろう?」
 ふふ、と笑って目を落としたそれは、アルバムだ。しかも大河が赤ん坊の頃のもので、素っ裸で座布団に座って大泣きをし、祖母に抱きかかえられてぐずり、泣きながら省吾と喧嘩している写真などなど盛りだくさんだ。よくぞ泣いている写真ばかり撮ってくれたものだとは思うが、それどころではない。
「お前も省吾も、可愛らしいな」
「しかし、大河は少々泣きすぎではありませんか? こちらも」
「赤ん坊とはそんなものだ。ああ、この少女らは例の馴染みか」
 などと言いながらアルバムをめくる柴と紫苑に、大河は顔を真っ赤に染めた。
「何見せてんだ――――っ!」
 羞恥に肩を震わせて上げた雄叫びは、気持ちよく眠っていた晴と志季を起こしたばかりではなく、二階にいた宗史の眠りをも妨げた。
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