第13話

文字数 2,263文字

 民家があるとは思えないほど林が延々と続く道路脇に、車一台分ほどの入口が突如として口を開けていた。けれど、普通の人なら昼間でも不気味がって足を踏み入れようとはしないだろう。そう思うほど表からは奥が見えず、道は中へ中へと伸びている。
 鬱蒼と木々が生い茂り、進むごとに闇が深くなってゆく。真夏とは思えないくらい肌に触れる空気は冷たいのに、額にはじわりと汗が滲み、湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。じゃり、じゃり、と砂を蹴る自分たちの足音がやけに鼓膜に響き、時折ざわめく木々と虫の音が、ますます不気味さを強調する。懐中電灯に照らされた道はあちこちに枯れ葉が散らばり、畑の畝のように真ん中だけ盛り上がって雑草が生え、轍にも草がところどころから顔を出している。見るからに、しばらく車や人の出入りがないと分かった。
 懐中電灯は、栄明、熊田、紺野が持っている三本。それでもぞっとするほど闇が深い道を先行しているのは、水龍と朱雀。そのあとに栄明、熊田と佐々木、最後尾に紺野と下平が続く。緊張からか、誰も口を開かない。
 えらい奥まで続くな。熊田は栄明の背中を見失わないようじっと見つめたまま、ごくりと喉を鳴らした。周囲の景色が変わらないので、どのくらい進んだのか、どの辺りなのかさっぱり見当がつかない。段々ランニングマシーンに乗っている気がしてきた。
 不意に精霊が止まり、何かを気にするように振り向いた。つられて一行が足を止めて振り向く。紺野が来た道へ懐中電灯を向け、周囲を照らした。――何もいない。
「大丈夫だ。ちゃんといるぞ」
 はぐれていないか気にしてくれたと思ったのだろう。下平が笑顔でひらりと手を振っておどけて見せた。こんな状況でも肝が据わっている人だ。
 精霊が了解と言ったふうに尻尾を揺らし、ふいと前を向き直った。
 地図アプリで見た限りでは、建物は確認できなかった。これだけ鬱蒼としていれば当然かと思うけれど、家に陽が差し込まないのでは。一般的に、一軒家であれマンションであれ、日当たりは重要視される。建て売りで今の家を買う時も、妻は日当たりと風通し、あとは家事導線を細かくチェックしていた。妻いわく、日当たりが悪いと気分が落ち込みやすくなり、風通しが良くないと湿気がこもってカビやすいから体に悪く、導線が不便だと家事が面倒になるらしい。言われてみれば、家事はともかく梅雨時はそうかもしれない。鬱陶しい長雨に湿気に曇天。毎年のことながら、あれは慣れない。
 それはともかく。奴らがいつから計画を立てていたのか知らないが、こんな林の奥で日当たりの悪い家に住んでいるから変な気になるのではないのか。
 家選びって大切だな、と今さらながらこだわり抜いた妻に感謝していると、数メートル先。懐中電灯の明かりがぎりぎり届く距離で、道が途切れていた。
「着きました」
 栄明が冷静に、しかし緊張気味に告げた。
 先に精霊が下見をしている、栄明もいる、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせても、心臓は正直だ。一歩一歩近付くごとに、鼓動が速くなる。こっそり隣の佐々木を見やると、見るからに顔が強張っていた。展望台であんな経験をしたとはいえ、緊張しないわけがない。ここは自分がしっかりしなければ。熊田は唇を結び、懐中電灯を持つ手に力を込めた。
 明かりが少しずつ先を照らし、やがて、暗闇の中に建物をぼんやりと浮かび上がらせた。平屋建ての古民家。その佇まいは、堂々とした風格を漂わせつつも、来る者を拒むような威圧感がある。しかもこんな奥深い林の中だ。見た目はそこそこ綺麗だが、どうにも廃墟に見えて仕方ない。
 敷地に入ると、自然と全員の足が止まった。栄明と熊田と紺野が、古民家をなぞるように懐中電灯を左右から動かす。
「ここが、楠井家……」
 まるで秘境にでも辿り着いたような感慨深い声で、佐々木が呟いた。
 築何十年だろう。木造の古民家は、木々に埋もれるように建っていた。剪定をしていなかったようで、屋根の上まで枝が伸び、落ち葉が積もっている。一階の右側から、窓、玄関、掃き出し窓が並び、小さいが前庭がある。そこだけ木々が伐採され、満月なら月の光が差し込むのだろうが、どうやら今夜は違うらしい。あるいは木々が邪魔をしているのか。光は皆無と言っていいほどに暗い。そんな前庭にも、いたるところで青々とした雑草が顔を出しており、ゴミでも燃やしていたのだろうか。噴き出し窓の前に、石で底上げされた二百リットルのドラム缶がぽつんと置かれている。
「なるほど。こんな状態だから地図では見えなかったんですね」
「二階建てなら確認できたかもな。――栄明さん」
 紺野と下平が上着のポケットを探りながら腑に落ちたように言い、下平が続けて声をかけた。熊田と佐々木も同じようにポケットを探る。
「これを。この先、警察の捜査が入らないとも限りませんから」
 そう言って取り出したのは、白い手袋とフットカバー。楠井家の調査は、要は家宅捜索に他ならない。持ってくるようにと誰が言ったわけでもないのに持参するのは、もう職業病だ。
「ああ。ありがとうございます」
 物珍しそうにまじまじと白い手袋とフットカバーを見つめながら受け取ると、栄明は慣れた様子で手袋をはめる熊田たちを見渡した。
「何だか、刑事になった気になりますねぇ」
 無邪気な笑顔でそう言いながら手袋をはめる栄明に、ははっと軽い笑いが起こる。
「さて、行きましょうか」
 きゅっと手袋をしっかりはめて、栄明が再び古民家を見やった。熊田たちが無言で頷き、一同は足を踏み出した。
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