第5話

文字数 4,623文字

 大河が持ち前の集中力を発揮してからすぐ、晴が顔を出した。傍から見れば少々不気味な様相を呈した大河を横目にアイスコーヒーにお呼ばれしていると、樹と怜司が起きてきた。二人が食事を済ませる間に大河が正気に戻り、茂による確認が行われ、無事合格したのが二時を少し回った頃。
 少し風が強くなってきた庭で、術の行使は行われた。
「準備できたよ」
「こっちもいいぞー」
 大河から数メートル先では、晴が自ら張った半径一メートルほどの結界内でひらひらと手を振っている。一方縁側では、横長の縁側一杯に樹の結界が張られており、その向こう側に茂、夏也、香苗、怜司、そして双子が興味津津な面持ちで並んで腰を下ろしている。ちなみに華は、和室で双子に読み聞かせをしていた途中で寝てしまったらしく、そのまま昼寝中だ。
 攻撃系の術とは、文字通り相手を攻撃する術だ。
 茂が書いてくれたメモを読む限り危険であることは分かるが、この過剰なまでの警戒は何なのだろう。晴は直接術を受ける役を買って出てくれたので当然として、縁側にまで結界を張るなんて。確かに初めて行使する術だし、警戒するに越したことはないのだろうが、少々大げさではないのか。それと縁側の側に立てかけてあるスコップは何に使うのだろう。
「では、始めて」
「はい」
 茂の合図に、大河は茂が描いてくれた霊符を手に構えた。一拍置きかけてはっと気付き、一旦解く。縁側から「よし」と樹の声が聞こえた。チェックされている。
 あれ、昨日の浄化の時はどうだったかな、と一瞬頭の隅で考え、再度構えて集中する。
「オン・ビリチエイ・ソワカ――」
 今日は霊符を放つと風に飛ばされるから、と注意を受けているため手に持ったまま、覚えたての真言を間違えないようにゆっくりと声に乗せる。ぴんと張ったところを見計らって手を離すと、目の前で表側を晴に向けて自立した。
帰命(きみょう)(たてまつ)る、鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)渾天雨飛(こんてんうひ)斥濁砕破(せきだくさいは)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 唱え終わるや否や、霊符が光を帯びた。間髪置かずに結界の周囲の地面が抉れて一斉に浮かび上がり、土の塊が四方八方から物凄い勢いで晴に襲いかかった。
「え……っ」
 まるでバケツをひっくり返したような豪雨のごとく、あるいは雪崩のようにドドドドッ、と腹に響くほどの重低音が鼓膜を刺激した。結界に激突した衝撃で激しい火花を散らしているはずなのだが、もうもうと上がる土煙でそれすらも見えない。
 ああなるほど、縁側に結界を張った理由が分かった。と、どこか冷静にそんなことを考えながらも呆然と見つめる。
「一発で成功させるなんて、さすがだね」
「やっぱりすごい威力!」
 茂の暢気な感想と樹の興奮気味な声にはっと我に返る。
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……! 晴さん大丈夫!?」
 慌てふためいて構えを解くと、瞬時に霊符が光をなくしするりと手元に戻ってきた。咄嗟に受け止めたが、お前やりすぎだよ! と握り潰してやりたい気分だ。
「落ち着け、大河。晴くんなら大丈夫だ」
 ほら、と怜司に視線で促され、霧散する土煙をもどかしい気持ちで見やる。
 風に流されて徐々に収まる土煙の隙間から、結界の仄かな光が覗いた。どうやら無事のようだ。ほっと安堵の息を吐く。
「すっげぇな、この威力。ちょっとびびったわー」
 そう言いつつも余裕の笑みを浮かべる晴の顔がちらりと見え、大河は駆け寄った。抉れた地面の手前で立ち止まり、結界の表面を滑るようにして流れていく土煙の隙間から覗き込む。
「大丈夫?」
「平気平気。強めの結界張っといて良かったわ。下手すりゃ破られてたな」
「ごめん、まさかここまでとは思ってなくて。びっくりした」
 いくら攻撃に特化していると言っても、さすがにここまでの威力は想像していなかった。気を引き締めろと言った茂の言葉の意味が、改めて身に沁みる。
 申し訳なさそうに眉尻を下げた大河に、晴がふと笑みを浮かべた。
「俺も初めて使った時はびびったからな。でも、それでいいんじゃね?」
「え?」
「独鈷杵もそうだけどさ、どれだけ危険かって理解しとかねぇとな。誰かを傷付けた後じゃ遅ぇから」
「あ……そうか」
 陰陽術は基本、人外に対して行使するものだ。しかし、だからといって人に危害を加えないというわけではない。破邪の法をはじめ、特に具現化する霊刀や物質を使う攻撃系の術は人をも傷付けることができる。下手をすれば、人の命を奪うことになりかねない。術を覚え会得する楽しさばかりに気を取られていた。
 大河は表情を引き締めた。
「気を付けます」
 真っ直ぐ見据えて告げた大河に、晴も頷いた。
「そんじゃ、後片付けな」
「うん」
 大河は握り締めたままの霊符をポケットに突っ込んで、地面に視線を落とした。円形状に土がこんもりと積もり、高さは大河の膝ほど。抉れているのはその周囲だ。これだけの量の土があの勢いで晴に襲いかかったのかと思うとぞっとする。もし結界を張っていなければ生き埋めにしていた。怖、と呟き、気を取り直すように尋ねた。
「スコップってこのため?」
 残った土煙が結界を滑って流れると、晴は地面の五芒星を足で擦り消した。するといとも簡単に結界は消え失せ、ひらりと舞い落ちた霊符を宙で受けた。
「そ。地天はどうしてもな」
「揺らしたり割ったりする真言もあったよね。それはどうするの?」
「それはさすがになぁ。つか、覚えてるけど使ったことねぇわ」
「へぇ、覚えてても使わない真言ってあるんだ」
「むしろそんなんばっかだぜ。一応覚えるけど相性の良し悪しもあるし、常用する術ってどうしても偏るんだよな。いくつか忘れてるわ、俺」
 覚え直さねぇと、と晴は面倒そうに頭を掻いた。
 縁側でも、樹が柱に貼り付いていた霊符の一枚を剥がすと結界が消え、皆が腰を上げた。
「どうしました?」
 庭に下りる直前、藍と蓮にTシャツの裾を引っ張られた夏也が尋ねた。
「おしっこ」
「行ってくる」
「分かりました。手を洗うの忘れないでくださいね」
 二人同時に頷いて、仲良く手を繋いでリビングを出る小さな背中を見送り、夏也は庭に下りた。
「見事に抉れてるねぇ」
 茂がまじまじと地面を眺め、両手に持ったスコップの一つを晴に手渡しながら言った。
「綺麗な円形だよね」
「晴くんの結界の完成度がどれほどか、よく分かるな」
 怜司が土の山にスコップを突っ込んで崩していく。
「やっぱり二人ともすごいですね」
 感心した様子で嘆息した香苗の手にはスコップが握られている。
「香苗ちゃん、貸して。俺やるから」
「でも」
「俺がやったんだし、力仕事だから」
 そう言って柄を掴むと、じゃあと香苗は手を離した。
 大河、晴、怜司、茂の四人が小山を崩し埋めていく側で、樹と夏也、香苗が踏み固めていく。
「それにしても、あれだけの音で華さんよく寝てられるよねぇ」
 呆れ顔で室内を見やりながら樹が言った。
「華さん、今日何時くらいに起きたんですか?」
「八時くらいでした。朝食が終わる頃に起きてきましたから」
「じゃあ四時間くらいしか寝てなかったんだ。眠くなるはずですよ」
「ゆっくり寝てくださいと言ったんですが」
「華さん、責任感強いからねぇ」
 大河と夏也の会話に茂が苦笑を漏らした。
「ねぇ晴くん、宗史くんは? いつもなら来てる時間だけど」
 親の敵かと思うほど乱暴に踏み付けながら、樹が話題を変えた。
「ああ、なんか課題の資料が見つかったからちょっと遅れるっつってたぞ」
「大変だねぇ。でも来るんだよね?」
「と思うぞ。宗に何か用か?」
「うん、真言無しで結界張るコツ聞こうと思って。反応はするんだけど、形成しないんだよね。二人ともどうやってるの?」
 真言を唱えない結界のことは影正のノートにも書かれてあった。確か上級の術だったはずだ。へぇ、と大河は意外な気持ちで樹を見やった。全ての術を会得していると思っていたのだが違うのか。
 そうだな、と晴がスコップの裏で地面を叩きながら言った。
「やっぱイメージじゃね? 理屈としては独鈷杵と似たようなもんだし。媒体が霊符か独鈷杵かの違いだろ。お前、扱えるんだからできるはずだぜ?」
「してるけどできないんだよ。何が悪いのかなぁ」
 樹はもどかしげに頭を掻いた。
 大河からしてみれば樹は師匠だ。目標と言うにはまだ遠すぎるので大きな口は叩けないが、やはり憧れだ。その彼から助言を求められる宗史や晴の実力がどれほどのものか、改めて認識させられる。
 すごい二人から指導受けてるんだな、と恐縮した気持ちで土を(なら)す。
 ふと、疑問が湧いた。
「そういえば、樹さんってそんなに実力があるのに何でまだ式神を召喚できないんですか?」
 宗史と同等の実力者と評される樹なら、とうに式神を召喚できてもおかしくないと思うのだが。
 そんな素朴な疑問を口にしたとたん、ぴたりと皆の動きが止まった。つられて動きを止めて皆を見渡すと、気まずそうな表情で樹から視線を逸らしている。何だ。
「お前、言っちゃいけないことを……」
 晴が悲痛な面持ちでぼやいたとたん、樹がゆらりと顔を上げた。目が完全に据わっている。
「大河くん、僕に喧嘩売ってるの?」
「え!? 何で!?」
 大河はじりじりと迫ってくる樹に危機感を覚え、思わず腰を落としてスコップを横に構えた。
 式神召喚のタイミングは唐突、神の啓示みたいなものだと宗史が言っていた。だとしたら今は何か理由があって召喚できずにいるのかと思い、その理由は何なのだろうと聞いただけなのに、何故喧嘩を売っていると取られるのか。
「大河、よく考えろ。もしこいつが式神を召喚できたら、どうなると思う?」
 怜司が冷静に尋ねた。
「どうって……」
 そんなこと言われても、と大河は今にも襲いかかってきそうな樹を注視する。
 術に固執する無類の甘党で、人をからかうのが好きで、その実力を盾にして人をしごきまくる。指導を受けたのだって霊符無しで牙を召喚させるためだ。宗史や晴、怜司や茂もいる中、それ以外で大河の指導を受ける理由も得もない。しかし式神がいれば全部丸投げできて、哨戒だって任せてしまえば夜中にわざわざ出掛けなくて済むし、危険な目にも遭わない。加えて、ケーキ買ってきてよ、とか言いそうだ。つまり。
「式神をこき使いそう!」
「ご名答」
 晴と怜司の声が重なったと同時に、樹が怜司のスコップをひったくった。
「やっぱり喧嘩売ってるよね!?」
「やば……っ」
 呟くや否や、大河はスコップを放り出してその場から脱兎のごとく逃げ出した。一方樹は、均したばかりの土を掘り起こし、逃げる大河の背中に向かって盛大に撒き散らした。
「お前せっかく戻したのに何してんだコラ!」
「余計なこと言う大河くんが悪い!」
「後で片しとけよ、お前」
「大河くんにやらせる! こら逃げるな!」
 晴にスコップを奪い取られ、怜司に指摘を受け、樹は鬼の形相で庭の端まで逃げた大河を追いかけた。
「神様はきちんと見てるよね」
 両手を合わせて天を仰いだ茂に怜司と夏也が頷き、香苗が苦笑いを浮かべ、晴が溜め息をついた。
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