第15話

文字数 3,698文字

      *・・・*・・・*

 あのあと、漁港で風子たちと合流したはいいが、伊藤のおじさんに見つかって脱兎のごとく逃げる羽目になった。
 このいたずら小僧どもが、と時代がかった言い回しに腹を抱えて笑いながら自宅へ向かう途中、きつく言いすぎた、ごめんなと謝ると、風子は、あたしもごめんなさいと頭を下げた。
 帰宅して柴と紫苑に会わせると、風子とヒナキは怖がるどころか「写真で見るよりかっこいい……」と頬を赤く染めて見惚れていた。ヒナちゃんも意外と根性据わってんな、と言ったのは晴だ。
 風子は影正の葬儀の時のことを含め、昨日のことを改めて謝罪した。宗史と晴の反応は言わずもがなで、そのまま少しの間、歓談の時間となった。
 護符を二人に渡し、宿題の進み具合や夏期講習の様子を聞き、昨日録画した訓練の様子を見せた。またしても「すごい、かっこいい!」と興奮して動画に釘付けになる二人に、柴は表情を変えなかったが、宗史と紫苑は少し照れ臭そうな顔をし、晴は自慢げに笑った。俺は一度も言われたことない、と内心でふてくされたことは秘密だ。
 そんな中、雪子が尋ねた。お買い物で何を買ってきたの? と。風子とヒナキが手提げ袋から取り出したのは、髪飾りだった。新調した浴衣に合わせて買い直したのだと言う。
 それをきっかけに、影唯が墓参りの話しを持ち出し、柴と紫苑に「寄って行く?」と尋ねた。
 夕飯は駅弁を買うことにし、忘れ物がないかチェックし、刀を鈴に預け、独鈷杵を持ち、影正に挨拶を済ませ、少し早めに自宅を出た。志季は術を解かれ、省吾たちは雪子と一緒に先に漁港へ向かったが、鈴はやることがあると言って家に残った。そもそも鈴は島民たちに知られていないので、姿を見られると面倒なことになる。
 墓地は、島の東側に設けられている。
 紫苑は、気を使ったのだろうか。お待ちしておりますと言って、影唯たちと一緒に柴を送り出した。そして大河は墓まで案内し、心の中で「また来ます」と告げると、柴を残してすぐに踵を返した。
 時間は、十分もなかっただろう。車に戻ってきた柴はいつも通りの表情で、これといって特に変わった様子は見られなかった。
 千年前は影綱が柴に会いに行っていたのに、今は逆だ。柴は影綱に何を話し、どんなことを伝えたのだろう。
 そして現在。
 農家の朝は早いため、この時間になるとほとんどの家で夕食の支度に取りかかる。会社勤めの人が帰ってくるのはもう少しあとの時間で、出ていく人もあまりいない。防波堤を乗り越えたことに対して小言を言われたけれど、今いるのは伊藤のおじさんだけで、騒ぎにならずに済んだのは幸いだ。
 独鈷杵の回収も無事終わり、しかし事件はまだ続いている。例の日も近い。省吾たちの顔も敵側に知られてしまった。奴らがどう動くか分からないため、島を離れる不安はあるけれど、それ以上に捨て置けない超重要案件が一つ、新たに発覚した。
「風、頼んだぞ」
「任せて、たーちゃん」
 気合いたっぷりで拳をぶつけ合う大河と風子を見守る宗史たち大人組みは、揃って呆れ顔だ。側では、ヒナキが眉をハの字にしてあたふたしている。
「ふ、二人とも、そんなに心配しなくても……」
「心配するに決まってんだろ!」
「あんないけ好かない男にヒナは渡せないよ!」
 迫力満点で言い返されて、ヒナキが深く溜め息をついた。
 夏期講習での話しだ。風子が言うには、同じ授業を取っている別の学校の男子がヒナキを狙っているらしい。あの手この手を使って話しかけ、どこの高校を受験するのか聞き出し、メッセージの交換を迫り、しまいには予備校の玄関で待ち伏せまでする始末。口を開けば自慢ばかりで、絵に描いたようなナルシスト。説明会の時から、恰好いい人がいると噂になる程度には容姿がいいらしいが、ヒナキが困っていることに気付くどころか、あまつさえ「このまま押せばイケるイケる」と友人らと話すような残念な男らしい。龍之介予備軍だな、と晴が言った。今すぐ全力で調伏してやりたい。
「でも、お前も無理はするなよ。護符が効くかもしれないけど、いざって時は省吾に護衛についてもらえ」
「うん、分かった」
 護衛って、と少しうんざりした顔でぼやいた省吾の肩を、晴が同情たっぷりで叩いた。
「護符が効いたら確実に浄化案件だな」
 宗史が溜め息まじりに呟いた時、そろそろ出発するぞと伊藤のおじさんから声がかかった。
 来た時よりもキャリーケースの重さは増し、スポーツバッグも増えた。省吾は、送った方がいいんじゃないのかと言ったけれど、すぐに使いたいので持って帰ることにしたのだ。
 船の重厚なエンジン音が、漁港に響き渡る。
「では、これで失礼します。お世話になりました」
「世話になった」
 宗史が頭を下げると、柴たちも会釈をした。
「いいえ、大したおもてなしもできなくて。そうだわ、今度は皆で一緒に遊びにいらっしゃい。待ってるわ」
「ありがとうございます。伝えておきます」
 宗史と雪子が互いに笑顔を交わすと、大河が改めて省吾たちを見やった。
 今も、心配はしてくれているのだろう。しかし、ただただ心配そうに送り出してくれた以前と違って、落ち着いているように見える。宗史に晴、柴に紫苑。そして鈴。皆のことを、信じてくれているのだろう。そこに自分がいるのかどうかは自信がないが。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ。気を付けろよ」
「気を付けてね、大河お兄ちゃん」
「うん」
 大河は風子に視線を向けた。真っ黒な目が、じっとこちらを見上げている。
「また、連絡するから」
「うん」
「動画とか送る」
「うん」
 うん、しか返さない風子に戸惑って、大河は視線を泳がせた。やはり心配は心配だろう。気休めでも何か言ってやらなければと思うが、何も出てこない。
「たーちゃん」
 ふと呼ばれて、大河は視線を上げた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 そう言って微笑んだ風子は、やはりどこか寂しそうで、不安げだった。しかし、以前は言ってくれなかった言葉を言ってくれた。
 大河は口元に笑みを浮かべた。強い眼差しで、小さく頷く。
「行ってくる」
 キャリーケースの取っ手を握り、宗史らと共に身を翻す。じゃあ行ってくるね、気を付けてねと、影唯と雪子の声を聞きながら船へ向かう。
 ふと、スポーツバッグを肩にかけた紫苑と目が合い、すぐに逸らされた。
「……たーちゃん」
 ぼそりと、とても小さくぼそりと呟いたのを、大河は聞き逃さなかった。そうだ忘れていた。大河は険しい表情をして勢いよく振り向いた。
「風、お前……っ」
「え?」
 いい加減その呼び方やめろ、と叫ぶ寸前、後ろからがっしりと両腕を掴まれた。宗史と晴だ。晴にキャリーケースをひったくられ、ずるずると後ろへ引き摺られる大河のあとを、影唯が笑いながらついてくる。
「まあまあまあ、いいじゃねぇか」
「よくない!」
「可愛くていいと思うぞ」
「かわ……っ」
 他人事だと思って。可愛いと言われて喜ぶ男がどこにいる。
「ちょ……っ、ま……っ」
「待てねぇなぁ。弁当と土産買う時間なくなるだろ。ほらさっさと乗れ」
 押し込むように船内へと突き飛ばされた大河を、柴が受け止めた。
「良いではないか。可愛らしいぞ」
「柴主のおっしゃる通りだ。馴染みゆえの呼び名であろう?」
「だからその可愛いってのやめろ! てか紫苑は馬鹿にしてたじゃん!」
「失敬なことを言うな。しておらぬ」
「嘘つけ!」
「幸一おじさん、全員乗ったよ」
 ぎゃあぎゃあと大河たちの騒がしい声が響く中、影唯が慣れた様子で客席へと向かう。幸一とは伊藤のおじさんのことだ。影正と同年代なので、影唯から見ると親世代になる。はいよー、と陽気な声が返ってきて、少しずつ船が動き出す。
「待て待て待て!」
「大河!」
「おい、危ねぇだろ!」
 大慌てで船尾へ駆け寄って身を乗り出す大河の両腕を、宗史と晴が引っ掴んだ。
「風子! その呼び方いい加減やめろ――っ!」
 腹の底から叫んだ大河の訴えは、無情にもエンジン音に掻き消された。きょとんとした顔で小首を傾げる風子と、顔を見合わせる省吾たちが遠ざかる。
「ああああ……」
 これでまた「たーちゃん」と呼ばれることになるのか。悲痛な声を漏らしながらがっくりと肩を落とし、はっと気付く。宗史と晴は、以前来ているからあの呼び名を知っていた。それでも樹たちからいじられなかったということは、話していないのだ。だが今回は。
「しお……っ」
 大河は勢いよく後ろを振り向き、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 船べりに佇み島を眺める柴と、傍らで控える紫苑の眼差しはとても静かで、穏やかで、そして凛としていた。
 大河は改めて島を見やった。不安も心配もある。けれど、島には「島の神様」がいる。何かあった時はきっと、いや、必ず助けてくれるだろう。だから――。
「また」
 ふと呟いた大河に、視線が集まる。
「皆で、一緒に来よう」
 今度は、宗一郎や寮の皆も一緒に。
「そうだな」
 真っ直ぐな眼差しで島を見つめる大河の髪は、太陽の光に照らされて薄茶に染まり、絹糸のようにさらさらと風になびいている。
 柴が、眩しそうに目を細めた。
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