第2話

文字数 2,161文字

 足元を狙われると分かっていたのに、俺のせいで。などと感傷に浸っている暇はない。触手が襲いかかる。大河はつんのめるようにして森の奥へと駆け出した。触手が幹を突き刺す乾いた音が追いかけてくる。
 朱雀を失った。これからどうする。考えろ、考えろ。何か手があるはず――と、腰の辺りを触手が素通りし、ぐるぐると巻き付いた。続けて両手両足にも別の触手が絡み付く。
「しま……っ」
 力任せに持ち上げられ、息が詰まった。大の字で宙吊り状態だ。引き裂かれるのではないかと思うほど四肢がぴんと伸びている。
「放せッ!」
 体をよじり、手足にぐっと力を入れて引き寄せるがびくともしない。本体が頭上を通り、同じ高さまで下りてきた。
 大河は悪鬼を睨みつけ、独鈷杵を握る手に力を込めた。真言は唱えられるが、完全に動きを封じられてしまった。このままでは独鈷杵を奪われる。どうにかして脱しなければ。でもどうやって。
 右腕に巻き付いた触手が這うように手先へ伸び、五本に細く分かれた。さらに指の隙間に滑り込んで五指に巻き付く。虫が這っているような感触に鳥肌が立った。無理矢理剥がすつもりだ。
 顔を歪め、ぎりぎりと歯を食いしばり抵抗する。対抗するように、巻き付いた触手がさらに強く腕を締め付けた。血管が圧迫され、手の甲に血管が浮き出て、じんじんと痺れるような感覚がする。とうとう霊刀が消えた。
 ――駄目だ、力が抜けていく。
 ううう、と唸り、気力を振り絞る。
 と、突如、ザンッと音を立てて枝葉を散らし、一体の小ぶりな朱雀が飛び込んできた。悪鬼本体と繋がった触手の尻尾目がけて炎を吐き出す。本体と触手が切り離され、本体が弾かれたように分裂してあちこちに散らばり、触手は消滅していく。
「朱雀……!」
 精霊の気配が消えたことを、左近(さこん)が察してくれたのだろう。しかも一体だけではない。さらに二体、計三体だ。炎を吐きながら、森の奥へ逃げる分裂した悪鬼を追いかける。
 一方大河は支えをなくし、重力に従って落下した。そう高くはなかったため無事着地し、右腕に血流が戻ったのはいいが、痺れで力が入らず霊刀を具現化できない。血のめぐりを速めるように腕を振る大河の元に、悪鬼本体と触手を切り離した朱雀が飛んで来た。
「ありがとな、助かった」
 揺れた朱雀の飾り羽から、悪鬼が消えた森の奥へと視線を投げる。
 悪鬼を追いかけたのは朱雀二体。だが、分裂した分まとめて仕留めるのは難しいだろうし、触手も使う。朱雀がどれくらい仕留めてくれるかにもよるが、手を考えた方がいい。
 大河は森の奥からゆっくりと視線を周囲へ巡らせた。
 気が付けば、左近の結界がすぐ背後にある。結界を壊されるわけにはいかない。ひとまずここから――いや、待て。左近の結界がそう簡単に破られるだろうか。だとしたら、結界を背に戦えば少なくとも背後からの攻撃はなくなる。いやいや、もしもということがある。やはりできるだけ結界から離れた方が――と、迷う大河の頭上から、左近の切羽詰まった声が降ってきた。
「すまぬ大河、行ったぞッ!」
 いくら式神とはいえ、大量の悪鬼相手ではどうしても隙ができるのだろう。目の前に枝葉を散らせながら悪鬼の塊が降ってきた。さらに森の奥の方で、ざざざざっと枝葉が揺れる音が響く。逃げた悪鬼と融合する気だ。
 目の前の悪鬼と合わせると、おそらく初めよりも数が多い。
「マジか……っ」
 喉の奥から声を絞り出し、大河は独鈷杵を握り直して霊刀を具現化した。まだ感覚は完全でないが、四の五の言っている場合ではない。
 悪鬼が触手を伸ばしたのと、朱雀が火玉を顕現し放ったのが同時だった。目の前で激突し、黒と白が混じった煙が上がる。そして大河は、火玉の隙を縫った触手をかろうじて叩き切った。と、森の奥にいたはずの二体の朱雀が追いたてられるように上から飛び込んできて、悪鬼の背後からは再び塊となった悪鬼が姿を現した。朱雀の排除より融合を優先したようだ。ぶつかるように目の前の悪鬼と融合した。
 攻撃の手を緩めることなく体積を増す悪鬼を目の前に、大河は歯噛みした。
 こんな巨大な悪鬼とどうやって戦う。中からの調伏は結局失敗に終わった。結界に閉じ込められれば一番手っ取り早いのだが、霊符は間違いなく破られる。捕縛の術は逃げられる可能性が高い。あと思い付くのは、向小島で晴が行使した、霊符を媒体にして張る結界。しかしあれは事前に霊符を仕込む必要がある。この巨大な悪鬼から逃げつつ霊符を仕込むなんて芸当、自分にはできない。他に何か方法はないか。悪鬼を閉じ込める方法。
「……媒体……閉じ込める」
 左近の結界、三体の朱雀、そして初陣と向小島での戦闘――いや、でも。
「つ……っ」
 朱雀の隙間を縫った触手に左腕を掠め切られ、顔が歪む。触手は勢いのまま結界に激突し、火花を上げて消滅した。
 ええい、迷っている暇はない。
「朱雀!」
 大河は触手を叩き切りながら朱雀を呼び、結界に沿って森の奥へと駆け出した。足を狙った触手をジャンプしてかわす。朱雀三体が襲いかかる触手をするすると避けながら大河を追いかけ、さらに後ろから悪鬼が追ってくる。
 成功する保証などない。だからといって躊躇しても状況は変わらないのだ。失敗したらその時はその時。一目散に逃げて作戦を立て直すのみ。
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