第13話

文字数 2,754文字

 扉が閉まったことを確認し、さっそく近藤が下平を振り向いた。
「で? 下平さん。朝辻昴の証言の裏付けをしてないのは、紺野さんが原因?」
 心持ち小声で問われ、下平は缶コーヒーに口を付けてから頷いた。再び開いた扉に視線が集まる。捜査本部からは特別報告がなかったのか、熊田だ。熊田は後ろ手に扉を閉めて瞬きをした。
「なんかタイミング悪かったか?」
「いえ、大丈夫ですよ。捜査本部の方は」
 下平が尋ねると、熊田は小さく首を横に振った。
「ひとまず安心といったところですね。北原の様子を見て聴取をするそうです。それ以外は大した動きはありません。それで、何の話をしてたんですか?」
「朝辻昴の裏付けの件」
 近藤の答えに熊田は「ああ」と納得した様子を見せた。近藤に関して余計な気遣いだったとはいえ、さすがに昴に関しては気を使わざるを得ない。
「時間がなかったってのもあるけどな。もしあの証言が嘘だったら、あいつのことだ、昴に直接問い質しかねん。逃げられたら元も子もない。そもそも、調べるには近所の住民に聞き込む必要があるから、どうしても紺野の耳に入る。実際、謎の男の情報が朝辻豊経由で紺野に伝わってる。安易に動けん」
「確かに、紺野さんの性格だったら真夜中でも突撃しそうだよね」
 近藤の茶化した言い回しに、下平たちが苦笑する。突撃とはまた言い得て妙だ。
「お前のことを言わなかったのも、それが理由の一つだぞ」
「みたいだね。車で電話しながら、俺のせいかって言ってたから、もしかしてそうかなとは思ってたよ」
「ああ、相手は明さんだな」
 ふーん、とさして興味がなさそうに相槌を打って、近藤は頬杖をついた。
「その謎の男を調べるとしたら、バスの車載カメラですよね。こっちは調べられますね」
「ああ……」
 佐々木に言われ、熊田は頷きながらも腕を組んで逡巡した。
「その男、北原って可能性はありませんか」
「あります。あいつも気付いていましたから。ですが、否定されました。そもそもそんな時間があったかどうか」
 熊田は一つ唸った。
「もし北原だった場合、それが襲われた原因とも考えられます。早急に調べましょう」
「お願いします」
 不意に、近藤が息を吐きながら伸びをし、腕を枕にして顎を乗せた。まるで、もう自分の役目は終わったと言わんばかりだ。
 ふと、自分と近藤の言葉が脳裏をよぎった。紺野が報告をするにしても、明たちは近藤たちに会ったわけではないし、そう易々と信用できないかもしれない。せめて近藤のことだけでも知らせておいた方いいだろうか。
「なんか、安心したらお腹空いてきちゃった。僕、夕飯食べてないんだよね」
 下平が缶コーヒーに口をつけながら同意する。
「そういや俺もだ。署に戻る途中で紺野から連絡が来たからなぁ」
「この時間で開いてるのって、コンビニか、あとはファミレスかラーメン屋くらい?」
「牛丼って手もあるぞ」
「牛丼かぁ、どうしようかなぁ。とりあえず、帰るの面倒だし、何か買って紺野さんちに泊めてもらおうっと」
「そういえば近藤くん、お母さんに連絡してあるの? 心配されてるんじゃない?」
 佐々木が口を挟んだ。
「大丈夫。紺野さんに連絡したあとで電話入れたから。ていうか、お腹も空いてるけどいい加減着替えたい」
 言いながら近藤が体を起こし、血痕のついたパンツをつまんだ。と、扉が開いて紺野が戻ってきた。いつもの顔に戻っている。
「おう、どうだった?」
 下平が尋ねると、紺野は後ろ手で扉を閉めながら言った。
「安心していました。それと大河のことですが、佐伯茂が話をしたそうです。晴の見立てでは、大河は佐伯茂を内通者から外したようだと」
 そう言いながら紺野は席に腰を下ろした。
「そうか、確か彼も……」
 妻と娘を事故で亡くしている。個人的な意見を言うなら、あれは明らかな殺人行為だ。しかし、自身を過信する者や自制が利かない者、あるいは想像力が欠如している者からすれば、危険行為ですらないのだろう。だからこそ、あんなくだらないことをする。
「ええ。同じ立場にいる者として、でしょうね。かなり思い詰めていたそうですが、吹っ切れたようです」
「そうか」
 一様に安堵の息を吐いた。二人がどんな話をして、大河が何を理由に彼を内通者から外したのかは分からない。けれど、ひとまずこちらも安心だ。
 樹が言っていた。陰陽術は精神的なことが影響すると。大河の霊力は強いようだし、彼を失うのはかなりの痛手になる。高校生を頼るのは大人として情けない気もするが、ここは割り切らなければ。
「それともう一つ。これは大河の見解ですが、渋谷健人について。復讐を果たしたあと、普通に親や友人と会えるのか。事件が公になり、世間でも大きく取り上げられたあと、死ぬつもりなのではないか、と」
 皆、一様に目を丸くした。
 同じ被害者遺族だからこその視点だ。同時に、大河も復讐心を抱いていたという証明にもなる。仕方がないとは思うが、高校生が殺意を抱いていたと考えると、いたたまれない。
「そうか……確かに、こんな事件を起こすくらいだ。妻子のところへ行く前にって考えても、おかしくねぇな……」
 熊田が呆然と呟き、佐々木がはたと気付いた。
「じゃあ、事件を公表してないことが、逆に渋谷健人の命を繋ぎ止めてるってことになるのね。私が上に進言すれば……」
 佐々木もまた被害者遺族だ。彼女の見解として上に進言すれば、説得力がある。しかし、紺野は首を横に振った。
「いえ、それもいつまでもつか分かりません。公表しない警察に痺れを切らして、自ら拡散する可能性もあるので」
「ああ、そうね……、その可能性もあるわね……」
 佐々木は落胆した。警察官としては、犯人に自殺されるのは良しとしない。真実が闇に葬られることもそうだが、何より、人だ。
「あくまでも推測なので確証はありませんが、明たちは可能性の一つとして考慮するべきだと判断したようです」
「悠長にしている時間はない、か……」
 しかし、探そうにも手がかりがない。柴と紫苑が潜伏先を探っているにせよ、範囲が広すぎる。何か早急に打開策を考えなければ。
 会話が途切れると、近藤が身を乗り出して紺野に顔を向けた。
「それで、最後の質問なんだけど」
 意味ありげに切られた言葉に、紺野は尻ポケットを探る。
「これだろ」
 血痕が残るメモ帳に、自然と眉根が寄る。紺野は無言のまま、ゆっくりと開いた。
 エアコンの稼働音だけが響く中、乾き始めてくっついた紙を一枚一枚丁寧に剥がす音が響く。
 鬼代事件が発生してから調べた全てのことが記されたメモ帳。常に一緒に行動していた紺野も、同じ情報を持っている。それなのに、わざわざ託した。まさか、自分の代わりに、などと縁起の悪いことを考えたとは思いたくない。
 やがて、紺野の手が止まった。
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