第20話

文字数 759文字

「やはり、血は争えぬか……」
 眼下で、彼らの騒がしくも楽しげな会話が途切れ、二台の車が一人の男に見送られて発車した。
 車が別々の道を辿ってから、(さい)はついと天を仰いだ。闇と同じ色の長い髪が、微かに揺れた。
 とうに新たな日を迎え、本来ならば人の世は月と静寂に支配される時間。
 けれど耳に届くのは、虫の音でも、風の歌でもなく、止む気配のない喧騒。鼻腔を刺激するのは、豊かに茂った緑や土の香りではなく、濁った油の匂い。目に映るのは、瞬く星々の密やかな光でも、優しく地上を照らす月の白い光でもなく、目が眩む人工の明り。
 人の手により生み出されたそれらは、自然の音や匂いを不自然に変え、夜の闇さえも虚ろに変えた。
 自然と共に生き、かつて闇を恐れた人々の姿は、もうそこにはない。
 千年の時は、闇すら飲み込んだか――。
柴主(さいしゅ)
 背後で静かに控えていた紫苑(しおん)が、短く問うた。
「いかがなさいますか」
 千年――いや、それより遥か以前から尽くしてくれている腹心は、未だその忠義を変えることはない。
 薄墨のような夜の空に、もうあの頃と同じ輝きは目に映らない。見慣れない夜空を拒絶するように天から顔を逸らし、柴はゆっくりと振り向いた。
「紫苑」
「はい」
 柴は問う。彼の忠義を確かめるためではなく、自身の決意を確固たるものにするために。
「本当に、構わぬか」
 何度問うても、忠実な彼の答えが変わることはない。それは分かっている。だが、それでも――。
「はい。柴主の仰せのままに」
 長い時、一番近くで耳にしていた声は、脆弱な心を奮い立たせてくれる。
「では」
 柴は短く目を伏せ、瞼を開けると、長い髪を揺らして足を踏み出した。
「行こう」
「御意」
 一度の瞬きの間に、二人は姿を消した。
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