第9話

文字数 2,493文字

 敏感に殺気を感じて毛を逆立てた白狐を適当にかわし、地下扉の前で足を止める。力任せに開けたため、破れた霊符がそこら中に散らばり、三分の二畳ほどだろうか、ぽっかりと空いた長方形の穴にはコンクリート製の階段が設えてある。
 紺野がしゃがみ込んで懐中電灯の光を奥へ照らした。角度のせいもあるが、先が見えないほど深く、奥へと伸びている。栄明がはっと思い出して懐中電灯を内ポケットから取り出した。
「結構急ですね。深さもかなりありますよ」
 紺野が腰を上げると、白狐がよし分かったと言わんばかりに指示を出した。
「朱雀、水龍。お前たちはここで見張っておれ。それとお前、佐々木と言うたか」
「はい。佐々木薫子です」
「そうそう、薫子じゃ。雅な良い名じゃの。お前もここに残れ。何が残されておるか分からん」
 遺体だの白骨だの、その手のものがあるかもしれない、ということか。さらりと名前を褒めたことといい、フェミニストか、この白狐。
「分かりました」
 熊田から懐中電灯を受け取った佐々木が苦笑しつつも了解すると、白狐は満足そうにうむと頷いて、
「行くぞ」
 先陣を切って階段を下りた。いつの間にか仕切られている。
 気を付けてください、と佐々木の声に見送られ、白狐のあとに下平、紺野、熊田、最後に栄明が続く。
 コンクリートの壁で挟まれた階段。照明一つ設置されておらず、ところどころ欠けていたりひび割れていて、ずいぶんと古い印象を受ける。カビ臭さはあるが、一段一段降りるごとに気温が下がり、比例して暗さが増し、懐中電灯の明かりがやけに眩しく感じる。さらに、反響する四人分の足音が大きくなっている気がして、不気味なことこの上ない。
 ここにさっきの悪鬼がぎゅうぎゅうに閉じ込められていたのかと思うと、ぞっとした。ある種、心霊スポットよりも緊張を強いられる。誰もひと言も発することなく、黙々と下りてゆく。
 やがて辿り着いたのは、同じくコンクリートで補強された地下通路。
 紺野は懐中電灯をぐるりと泳がせた。天井は三メートルといったところか。幅は大人二人分ほど。そして五メートルほど先に、重厚な鉄の扉が一枚、静かに待ち構えていた。
 白狐は変わらず軽い足取りで進んでいく。霊符も貼られていないし、悪鬼が閉じ込められていたら察知するだろうから、大丈夫なのだろう。よくよく見ると、何故か扉の側にコンクリートブロックが一つ置かれている。何に使っていたのだろう。
 白狐が扉の前で足を止め、ひょいと見上げた。しばらくそうしたあと、ふむと一人で納得する。
「悪鬼の類はおらんようじゃの」
「はい」
 白狐と栄明の判断に、ほっと安堵の息がこぼれる。二人には悪鬼レーダー的な役割をさせて悪いが、こんな狭い場所で襲われたらひとたまりもない。
 あちこち塗装が禿げて錆びも浮いているが、何の変哲もない古いグレーの扉。下平が取っ手を握った。
「じゃあ、開けるぞ」
 宣言してゆっくり取っ手を回し、扉を引く。キィ、と蝶番が甲高い音を立てた。
「これは……」
 大きく開いた扉の向こう側の光景に、紺野たちは目を瞠った。
 通気口含め、壁一面に貼られたおびただしい数の霊符。中央には、掠れているが白い線で巨大な五芒星が描かれ、五つの頂点には、しめ縄で繋がれた円柱の木材が埋め込まれている。いかにもここで術が行われていましたと言わんばかりの様相だ。ただ、こんな場所には似つかわしくない物があった。左の角にスチール製の事務机と椅子、その向かい側にパイプベッドが一台、設置されている。物々しい術の痕跡とは逆の、生活感が漂う家具。なんだか、ちぐはぐだ。
「これはまた、執念を感じるのう」
 白狐がのんびりとした口調で言いながら部屋へ足を踏み入れた。続こうとした下平が、はたと気づいてコンクリートブロックに目を落とした。どうやらドアストッパーの代わりにしていたらしい。ベッドはあるが布団がないし、見たところ机にも何も残されていない。潜伏場所を移動する際、物を運び出すのに使ったのだろう。
 手早くドアを固定し、先に入った熊田と栄明のあとを追う。
「これ、全て結界の霊符ですね」
 壁際で霊符に目を走らせながら、栄明が神妙な面持ちで呟いた。
「ということは、やはり」
「ええ。術を行使すれば、どうしても霊気は高まるはずです。それを少しでも外へ漏らさないため。それと、蘇生した鬼、特に千代の邪気を隠すためでしょうね」
「じゃあ、あのベッドは隗や皓たちが使っていたんでしょうか」
「おそらく。人間の体に鬼の魂を無理矢理結びつけるんです。すぐには動けなかったでしょうし、あくまでも憶測ですが、力が安定しなかったのではないかと。……もともとは、人間の体ですし」
 栄明は、最後に痛々しげに呟いた。先日の会合でも、宗史が同じようなことを言っていた。千代の魂が定着していなかったのではないか、と。定着しない魂と、安定しない力。大河のように、暴走することがあったのかもしれない。
 紺野は霊符に目をやった。百や二百で収まらない、大量の霊符。計画を実行に移すまでは、何が何でも知られるわけにはいかない。これは、白狐が言う通り執念だ。犯人たちの執念が、この数に表れている。また、千代はこれだけの数を使わなければ隠せないほどの強大な邪気を持っている、ということになる。
 長い時間をかけて計画されたこの事件。犯人たちの執念と覚悟。そして、加害者への強い憎しみが窺える。
 結局、ベッドはもちろん、机からもメモ一枚見つからなかった。分かったのは、五芒星を描いていたのはチョークのような物であることと、埋め込まれていた円柱はわざわざコンクリートに穴を開けて固定されていたことくらいだ。倉庫には工具もあったし、式神もいる。大した手間ではなかっただろう。
 五芒星としめ縄だけなら問題ないということで、紺野たちはそのまま地下室をあとにした。あの霊符も、もうほとんど霊力はないらしく、さらに時間が経てば完全に消えて劣化し、そのうち剥がれてただの紙くずになる。
 自宅にも地下室にも残されていなかった術の記録は、やはり新しい潜伏先に全て持って行ったのだろう。
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