第2話

文字数 2,168文字

「ああ、いたいた。春平くん、茂さん」
 不意に声をかけられて視線を向けると、人混みの中からひらひらと手を振って歩み寄ってくる、スーツ姿の越智稔の姿があった。いつもは車で待機しているはずの男性秘書が、今は後ろに控えている。
「越智さん」
「お疲れ様です」
 咄嗟に腰を浮かせた茂に、越智は柔和な笑顔でいいですよと手の平を向けて押しとどめた。お言葉に甘えて腰を下ろす。
 会合では近寄りがたい雰囲気だが、施設にいる時は、あのエクシード・グループの副社長とは思えないくらいとても気さくだ。子供好きのおじさんとしか認識していない子供もいるだろう。
 春平と茂が珍しそうな顔で秘書と会釈を交わすと、越智は苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だと言ったんだけどねぇ」
「一人で行動させるなと、社長からも厳しく言われておりますので」
 どうやら心配して同行したらしい。澄ました顔で反論した秘書に、越智は肩を竦めておどけてみせた。
「あれ、弘貴くんと夏也ちゃんは? 華さんたちも見なかったけど」
「弘貴たちは、まだ子供たちと一緒みたいです。華さんと双子は、今年はちょっと……」
「そうか……」
 越智は残念そうに顔を曇らせ、気を取り直すように一つ息を吐いた。
「少しいいですか。こんな場所で話すのは心苦しいですが」
「ええ」
 顔付きが代わり、向かいの席に腰を下ろす。事件の話しか。茂が奥へ移動したので、春平は空いた席に腰掛けた。秘書は変わらず越智の背後だ。
「宗一郎様と明様にはご報告したのですが、楠井家についてお聞きになりましたか」
「いえ、まだ。分かりましたか」
 尋ねた茂に、越智は首を横に振った。
「当社の顧客ではないようで、今、他社に問い合わせています。可能性としては、NNCが一番高いかと」
「NNCですか……」
 通信業界の最大手であり、国内最大の契約件数を誇る大企業だ。通信事業を中心に、都市開発やエネルギー事業にも力を入れており、大規模な独自の研究施設を持つ。確かに、可能性としては一番高い。けれど、もちろんNNCだけではないが、いくらエクシード社からの頼みだとはいえ、事情も知らず個人情報を開示するとは思えないけれど。
 春平と茂の難しい顔に、越智は「ああ」と察した。
「あちらは土御門家の氏子ですので、問題ありませんよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ご存知ありませんでしたか」
「仕事の仲介役として、一度もお見かけしなかったものですから」
「おや、そうですか。では、明様たちがお受けしてらっしゃるんですね」
 他の依頼を軽く見ているわけではないが、あれほどの大企業からの依頼を失敗できないだろう。そもそも、全ての依頼が回ってくるわけではないし、相手からすれば明たちの方が安心だろう。依頼者からの信頼や依頼内容を鑑みた結果だ。さすがにここで卑屈になるほど弱っていない。
 春平たちが氏子のことを知るのは、仕事を介してだ。わざわざ教えられるわけでも、氏子一覧などを貰っているわけでもないが、まさかあの大企業まで氏子だったとは。
 すごいなと驚く春平と茂に小さく笑って、越智は続けた。
「それと、犯人たちについて、こちらでも少し調べてみました。支援している施設を含めた当社の社員やパート・アルバイト、それと在園・卒園児童。施設の方は、事情を話すわけにはいかないのでそれとなく聞いただけですが、該当する人物はいませんでした」
「そうですか……」
 春平と茂から溜め息が漏れる。
 エクシード社は全国に支社を持つ。楠井親子が兵庫在住でも、何かしらの形で在籍しているかもしれない。施設の方は、身元が判明している雅臣、健人、弥生、昴はともかく、満流と真緒は実子ではなく養子、あるいは預けられていた可能性もあると考えたのだろう。過去に在園していたとしたら、親や養子縁組先、進学や就職先、親しくしていた友人からある程度の行方が追えたのだが。
 紺野たちがいるとはいえ、戸籍を調べられない以上、彼らがどんな過去を抱え、今どこにいるのか手掛かりを得るには、多少強引でも独自の情報網を使うしか手がない。他の氏子たちも、こうして影ながら調査をしているのだろう。それが、わずかな可能性だとしても。
「ところで、宗史様と晴様が、刀倉大河くんと一緒に山口へ出向いているとお聞きしていますが」
「はい。宇奈月影綱が残した独鈷杵の回収へ。詳細はまだ聞いていませんが、無事に回収できたそうです。今日戻ってきますよ」
「ご無事ですか、それは良かった」
 越智がほっと表情を緩めた時、夏也が人混みをすり抜けてきた。
「越智さん。いらしていたんですね」
 秘書と会釈を交わす。
「うん、何とか仕事を終わらせてきたよ」
「お疲れ様です。ところで、弘貴くんを見かけませんでしたか」
「え、いないんですか?」
 春平は思わず腰を上げ、周囲を見渡す。頭一つ分飛び出ているため遠目でも分かるはずなのだが、見当たらない。
「携帯を鳴らしても出ないので、気付いていないと思います」
「もう、そろそろ帰らなきゃいけないのに。しげさんはここにいてください。僕ちょっと探してきます」
「うん。こっちに来たら連絡するよ」
「お願いします」
「私も行きます」
「じゃあ、夏也さんは会場をもう一度。僕は園舎の中を探します」
「分かりました」
 もう弘貴は、と一つぼやきを残して、春平は夏也と一緒に人混みへ消えた。
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