第13話

文字数 2,036文字

 感じ慣れた霊気が弱まり、徐々に人のそれではない気へと変貌していく。いや、弱まるというよりは、圧倒的な気に霊気が食われていくと言った方が正しいだろうか。
 しかも、この気は。
「まさか、神降ろしの呪……!」
「満流……!」
 目を丸くし、それぞれが緊迫した声で呟くと、満流の霊気が急激に膨れ上がった。散弾銃に似た轟音が響き渡り、立て続けにもう一度。
 先に動いたのは杏だった。顔を強張らせて突如駆け出し、強く地面を蹴って伊吹山の方へと姿を消した。土煙が上がる中、一歩遅れて志季もあとを追う。
 抉れるほど強く地面を蹴り、枝葉を落としながら高く飛び上がる。伊吹山の標高の方がはるかに高く、頂上の様子は窺えない。だが、押し潰されそうな気にぞくっと全身が粟立ち、見上げた光景に戦慄した。
 薄暗い頂上の東寄りで上がる煙が、うっすらと赤く色付いているのが分かる。そこから一帯に放たれるのは、圧倒的で強烈な、神気だ。
 この距離だと、人型では一気に山頂へ辿りつけない。腕はまだ完治していないが、つべこべ言っている場合ではない。突如足元から炎が顕現し、あっという間に志季を飲み込んだ。それはみるみるうちに横へ広がりながら体積を増し、幅四メートルほどに広がったところで、朱雀が勢いよく飛び出した。
 炎を撒き散らし、緩やかな曲線を描きながら上へ向かって空を切る。ばさりと一度羽ばたくと鋭い痛みが走り、顔が歪んだ。だが飛べないほどではない。と、不意に森の中から杏が飛び出してきて、あっこの野郎! と思った時には太い爪をがっしり掴まれていた。犬型より朱雀の方がはるかに速い。まんまと利用されてしまった。だが、今は互いに争っている暇はない。
 晴を止めなければ。
 足に杏をぶら下げ、勢いのまま山頂の上空へと滑り込んだ。
 土産物屋一帯の結界は無事だが、弥勒堂の辺りから陽が苦しそうに腹を押さえ、徐々に収まっていく煙へ千鳥足で駆け寄っている。その周囲を、護衛するように二体に減った朱雀が跳び回り、北側の斜面には、調伏し切れなかったらしい悪鬼。そして援軍だろうか。南の空にも悪鬼の塊が見える。どちらも怯えたように小刻みに震え、金縛りにでもあったかのように動かない。
 煙の中心にある赤い光が、ゆらりと動いた。先程響き渡った轟音は、術の発動を阻止しようとしたものだろう。煙の近くで構えていた満流が、注視しながらじわじわと後退する。その顔は険しく、極度の緊張感を孕んでいる。
 赤い光は徐々に色を濃くしながら、緩慢な動きで縦に伸びた。
「満流!」
 陽の元へ向かった志季の爪から杏が手を離し、落下しながら変化して着地した。
「さすがに成す術がありません。撤退します」
 赤い光から視線を外すことなく駆け寄った杏にそう告げると、満流は背中に飛び乗った。うっすらと見え始めたその姿をちらりと一瞥して目を細め、振り切るように前を向く。
「行ってください」
 言うや否や、杏が向かったのは北側。土煙が上がるほど強く地面を蹴って大きく弧を描き、森の中へと姿を消した。身動き一つしなかった悪鬼が、我に返ったように慌ててあとを追う。
 一方志季は、変化を解きながら陽の側に着地した。陽も心配だが、今は晴が優先だ。
 晴れた煙の中、ぼんやりと佇んでいるのは、紛うことなき晴だ。ヴェールのような赤い光を傷だらけの全身に纏い、左脇腹のTシャツには穴が開き、太もも辺りにかけてどす黒く染まっている。満流にしてやられたのだろう。不自然なへこみが見える。だが、こうしている間にもみるみるうちに小さくなっていく。視認できるほどの治癒力は、人のそれではない。
 しかし、まだ真言を唱え終わっていない。巨大結界が発動する気配はなく、深手を負い、死ぬ前にせめてとでも思ったのだろう。だとしたら、ほぼ治癒している今の状態で術の発動を阻止すれば。
「晴! 馬鹿やめろッ!」
 叫びながら駆け寄ると、ふと我に返ったように、晴が視線をこちらに向けた。その眼差しに思わず息が詰まり、足が止まった。目が、黄金色へと変化している。遅かったか。
「やめてください、兄さんッ!」
「よせ、陽!」
 後ろから駆け寄って横をすり抜けようとした陽を、腕を掴んで止める。とたん。
「――急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 晴が、最後の真言を口にした。
「晴ッ!」
「兄さんッ!」
 二人の悲痛な叫び声が響いた直後、天から赤い光が降ってきた。それはまさに光のごとく速さで、ドンッ! と落雷に似た音と共に晴に直撃した。ごっ、と強風が襲う。
「うわ……っ」
「陽っ」
 志季はバランスを崩した陽の腕を強く引き、胸に抱え込んで背を向けた。
 台風や嵐など比較にならないほど、強烈な風圧。二体の朱雀が堪え切れず西遊歩道の方へ吹っ飛び、晴を中心に、放射線状に雑草がなぎ倒され、砂やちぎれた葉や花が飛ばされ、そこらの岩がごろごろと転がった。
 ぐっと足を踏ん張って耐えていたのは、ほんの数秒。背中を襲う風圧が弱まり、勢いよく振り向いた時には、もう遅かった。
「せ……っ」
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