第2話

文字数 4,408文字

『ほんと、最低』
 女が低く呟いたあと、乱暴に二脚の椅子を引く音がした。続けてもう一脚。三人が腰を上げたようだ。
『ちょっ、待ちなさいよっ。全部喋ったんだからそれ寄越しなさい!』
『お渡しする約束はしていません』
 女の一蹴に対して、小さく舌打ちが聞こえた。
『本当に黙っててくれるんでしょうね? そもそもどこからこの話を聞いたの。桂木さんの友達?』
『違います。彼女と面識はありません』
『は? 面識がないって……、じゃあどうやって……あんたたち誰なの? 何のためにこんなこと……』
 困惑というよりは、不気味がっている声だ。
『約束は守ります。俺たちが会社や警察に話すことはありません。ただし、貴方が俺たちを探るような素振りがあれば、即刻情報を晒します。よろしいですね』
 答えるどころか逆に牽制され、花輪が黙った。行こうと男が促し、扉を開く音がしてざわめきが大きくなる。やがて、元気な店員の掛け声を遮断するように、録音が切れた。
 つまり、怜司の婚約者を自殺に追い込んだのは、草薙親子と秘書の二、そして花輪の四人。花輪と対面した男女の正体は分からずじまいだったけれど、怜司側の仲間であることは間違いない。
 先日の夜の会合の時、深町弥生(ふかまちやよい)の件を女性陣に聞かせたくないと思った。怜司は、あの話をどんな気持ちで聞いていたのだろう。ここにいる女性たちは、どんな気持ちでこの話を聞いているのだろう。そして、同じく自殺で母親を亡くした昴は、大丈夫だろうか。
 宗一郎たちは六年。怜司たちは二年。大切な人を亡くしてからずっと真実を追いかけていた。その結果が、これか。
 息苦しいほど胸が痛くなって、大河はきつく唇を噛んだ。
「香穂の死後、ある人物から封筒を受け取りました」
 怜司が、携帯をポケットに押し込みながら口を開いた。
「その人は、中身が横領の証拠と知らずに香穂から預かり、彼女が自殺する前日に処分して欲しいと言われたそうです。しかし、出張で県外に出ていて処分できないまま訃報を聞き、嫌な予感がして中身を確認すると帳票だった。おそらく、花輪に不信感を抱いてもう一度調べたんでしょう。社外の人間にそんなものをこっそり預けるくらいです。どんな展開を想像したのか、説明する必要はないですよね。ですが、香穂は確かに自殺だった。第一発見者は俺です。他殺の可能性はない」
 さすがに「えっ」と驚きの声がそこここから上がった。虚をつかれた顔で見つめられながら、怜司は続ける。
「花輪の証言にもあったように、自殺という死に方から法務部の調査が入りましたが、その時点で花輪の存在は分からず、他にこれといって問題を抱えている様子もなかった。ならば、横領に関わる人物に自殺に追い込まれたと考えるのが自然です。貴方たち以外に、仲間がいるかもしれない。社内を探るのは危険だと思い、俺はあえて『視る』ようになりました」
 香苗は過度のストレス、茂は自殺未遂をきっかけに霊力が目覚めたが、怜司は当時からそうだったのか。しかも、「視るようになった」ということは、普段は意識的に「視ない」ようにしていた。つまり、怜司はそれが霊力と知る前から、すでにコントロールができていたことになる。
「初めて、自分の力に感謝しましたよ」
 大河はわずかに目を細めた。いつ力を自覚したのか分からないけれど、怜司も悩んだのだろう。望んでもいない力があることに。
 でもその力が、もう一度怜司と香穂を会わせた。
「初め、香穂は頑なに口を閉ざしました。そんな時に栄明(えいめい)さんと郡司さんと出会い、二人の説得もあって、やっと全て話してくれました。と言っても、こちらの質問に身ぶり手ぶりで答えるだけですが。それでも十分話はできました」
 怜司の口調はさらりとしているが、どんな言葉でも言い表せないくらい、辛かっただろう。怜司も香穂も、説得した栄明と郡司も。まさか、あんな真実が隠されていたなど誰が想像するだろう。
「そのあと、探したんですよ。協力してくれる人物を。実に簡単でした。貴方のご子息は、ずいぶん多くの恨みを買っているようですね」
 ぐっと草薙が声を詰まらせた。
「社内はもちろん、社外での彼の愚行はご存知でしょう。放置した結果が、これです」
 草薙と二がじりっと後退した。
「動くな。まだ話は終わっていない」
 怜司が威圧するように目を細めると、二人はぴたりと動きを止めた。忌々しげに怜司を睨み付ける。
「その証拠にもありますが、金の流れを把握するために、お二人の口座を調べました。横領した金は草薙さん名義の隠し口座へ振り込まれ、ネットバンキングで二さんへ。そしてもう一人、八年ほど前からある人物へ不定期に、しかし何度も振り込まれています。ただし、金額はそう多くない。報酬ではなく口止め料、あるいは手数料。もしくは牽制、といったところですか」
 怜司は一旦言葉を切り、その名を口にした。
「相手は、加賀谷秀之(かがやひでゆき)。現役の警察官です」
 大河は目をしばたいた。――警察官。ということは。
 何っ、何だと、本当か、という言葉と共に、紺野へ一斉に視線が向けられる。怜司が続けた。
「目的は、貴方のご子息が起こした不祥事によって出された被害届の揉み消し。内容は女性へのセクハラ、あるいは暴行」
 勢いよく腰を上げたのは弘貴だ。
「弘貴!」
「弘貴くんっ」
 春平と香苗(かなえ)が咄嗟に弘貴の腕を掴んで引き止める。弘貴が片足を立て、中腰のまま草薙と二を見据えた。今にも噛み付きそうな鋭い目付きだ。
「弘貴くん」
 香苗の向こう側に座る夏也(かや)が呼びかけた。いつもと変わらない無表情。けれど、膝に置かれた拳は硬く握られている。
「気持ちは分かります。ですが、今ではありません。堪えてください」
 静かに、しかし強く諭され、弘貴は白くなるほど唇を噛んで俯いた。春平と香苗が様子を窺いながらゆっくり手を離すと、八つ当たりするように紺野を睨み付け、どすんと腰を落とした。
「どうなってんですか!」
 怒声に含まれているのは、警察への不信感。おそらく、この件が鬼代事件とどう繋がっているのか、弘貴自身理解できていないだろう。けれど、そんなことどうでもいいと思うほど、腹に据えかねる話ばかりだ。弘貴の気持ちは痛いほどよく分かる。いつまで我慢すればいいのか、もどかしくて仕方ない。
「では、説明は紺野さんの方から」
 怜司に促され、紺野は一度瞬きをしてぐるりと視線を巡らせた。
「加賀谷は六年前、下鴨署に勤務していました」
「下鴨署……?」
 察したように呟いたのは軽部だ。ええ、と紺野が頷く。
「当時の役職は交通課・交通捜査係の警部。その後、警視に昇進し、府警本部へ異動となり管理官に就任。ここ最近では少女誘拐殺人事件、そして今は、鬼代事件を担当しています」
 まさか、と呟いたのは草薙と二を除いた氏子と秘書ら全員。草薙と二へ向けられた眼差しは、敵意の色が浮かんでいる。
「六年前の事故現場は下鴨署の管轄であり、加賀谷は捜査の指揮を執っていました。被害者は土御門という名字を持ち、陰陽師を名乗っている。記憶に残らないはずがない。万が一忘れていたとしても、明の身辺を調べた時に必ず思い出す。それなのに彼は言いました。今どき陰陽師を名乗る奴がいるなんてな、と。六年前の事故を指揮していた奴の台詞としては不自然だ。何かを隠しているとしか思えない。さらに前回の会合のあと、俺と北原(きたはら)は少女誘拐殺人事件の被害者宅で犬神に遭遇した。あの事件の被疑者は自殺と報じられているが、実際は逮捕前に密室で噛み殺されていた。致命傷となった傷は大型犬の歯型と酷似し、しかし必ずあるはずの唾液は検出されなかった。つまり、被疑者を噛み殺したのは犬神だ。捜査員以外知るはずのない被疑者の情報が漏れ、さらに殺害されたタイミングを考えると、出所は警察関係者からとしか思えない。そしてもう一つ。加賀谷の実家は、生駒製薬という会社を経営している。草薙製薬とは明治時代から取引がある、縁の深い会社だ。面識くらいあるだろう、草薙さん」
 淡々と一気に説明を終わらせた紺野のあとに続いたのは、(せい)だ。
「さらに六年前の件についてですが、謎はもう一つあります」
 紺野から晴へ、一斉に視線が動く。
「それまでにも、父が一人で仕事へ行くことは何度もありました。にも関わらず、何故あの時だったのか」
 晴は軽部(かるべ)を一瞥し、わずかに言い淀んだ。
「事故の十日ほど前、軽部さんは会合が終わったあと、父に仕事の依頼をしました。その場には、氏子の皆様全員が揃っていた。本来、依頼は書面を通して行うため、仲介役とならない限り依頼内容を知ることはできません。しかしあの時は、急ぎということで、ここで依頼内容をお話しになった。場所は福井県敦賀市。時間は午後十一時前後。京都市からだと、事故現場となった国道367号線を使った経路が一番早い。時間も分かっている。確実に岡部たちを待機させることは可能です」
 ああ……っ、と軽部が悲痛に呻いて顔を覆った。
「やはり、私のせいで……っ」
 隣の栄明が「違いますよ」と小声で声をかけ、視線で晴に続けるように告げる。晴は小さく頷いた。
「使う経路が確実に分かり、かつ下鴨署の管轄であること。二つの条件に合うのが、あの依頼だった。おそらく、何か不都合な証拠が残った場合、加賀谷秀之に隠蔽させる気だったのでしょう。それと、自ら条件に合う依頼、あるいは架空の依頼をしなかったのは、少しでも自分から疑いを逸らすため。草薙さんは、ご自分の言動に問題があると自覚していらっしゃるようですから」
 嫌味で締めくくった晴に、草薙は悔しげに唇を噛んだが、二は閃いた顔をした。
「物証はどこにある……、全て推測にすぎない、何の物証もないだろう!」
「そ、そうだ、物証がない!」
 確かに、横領の証拠や加賀谷との繋がりの証拠はあるにせよ、岡部たちを雇って栄晴を殺害し、香穂を龍之介に、陽を平良(たいら)たちに襲わせた物的証拠は何もない。花輪の証言や状況からの推測にすぎず、ましてや香穂はもうこの世にいない。鬼代事件に関与していると断言できないのだ。
 ここぞとばかりに便乗した草薙に苛立ちを隠さなかったのは紺野だ。
「いい加減にしろッ!」
 響き渡った怒声が、空気をびりびりと震わせた。憤りを放ちながら、紺野は草薙と二を鋭い視線で睨んだ。
「六年前の事故に少女誘拐殺人事件、そして鬼代事件。加賀谷は、陰陽師が絡む事件と関わりすぎなんだよ。その加賀谷と繋がっている上に、金のやり取りがあった。これで自分は関係ないって言い訳が通用すると思うなよ。言っとくけどな、横領の証拠は揃ってんだ。今すぐしょっぴいてもいいんだぞ」
 怜司は他殺ではないと言ったけれど、あれは間接的な他殺だ。私利私欲のために栄晴と香穂を死に追いやり、同じ警察官が犯罪に加担していた。しかもその警察官は、鬼代事件を担当している。はらわたが煮えくり返って当然だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み