第15話

文字数 3,534文字

 そこからそれぞれの子供の話に移行し、子育ての苦労話で盛り上がった。佐々木に子供はいないが、夫の方に甥と姪がいて、最近では高校生の姪っ子から会うたびにブランド物をせがまれるらしい。最近の子はほんとに、とぼやいていた。一方妙子は、二人の息子はすでに独立しそれぞれ職に就いているそうだ。そして熊田はといえば。
「小さい頃、喧嘩するたびによく泣かされていたせいか、息子は要領よく育ちましたよ。問題は娘の方です」
 渋い顔でほうじ茶をすすりながら、熊田はぼやいた。
「今高校生二年生なんですけどね、活発といえば聞こえはいいですが、どうもじゃじゃ馬で。まだ反抗期かと思うくらいです。夏休みに入ってからますます酷くなって、ほとんど毎日遊び歩いてるんですよ。まあ、十一時までには帰ってきますけど」
 保護者同伴でない未成年の外出は、十一時を過ぎると補導対象となる。その辺りはきちんと心得ているようだし、宿題もきちんとこなしているみたいだが、それでも嫁入り前の可愛い娘だ。心配せずにいられるか。
「彼氏がいるんじゃないですか?」
 佐々木の何気ない質問に、熊田はこれでもかと顔をしかめた。
「いねぇよ、いたら言うだろ普通」
「言いませんよ、普通」
「何でだよ、挨拶来るのが礼儀だろうが」
「何言ってるんですか、結婚の約束してるならともかく」
「結婚!?」
「あのね熊さん、そうやって敵視するから、娘は彼氏ができても父親に言わないんですよ? 面倒臭いから」
「面倒臭い!?」
「ああ、分かりますそれ」
 二人のやり取りを笑いながら眺めていた妙子がしみじみと口を挟み、熊田は目を剥いて振り向いた。父親の愛情表現を面倒とはどういうことだ。
「男友達にも敵意を向けるんですよね、父親って」
「そうそう。ただのクラスメイトだって言ってるのに」
 ねー、と共感し合う女性陣に、熊田はぐっと声を詰まらせた。言われてみれば、結婚の挨拶に行った時はもちろん、学生時代も女友達の父親からやけに睨まれたことがあった。今さらながら、あの時の父親たちの気持ちがよく分かる。理屈も何もない、娘を持つ父親にとって世の男共は全員もれなく敵だ。
 女二人に男一人は分が悪い。熊田は咳払いをして、話題を変えた。
「あの、それでですね」
 あらそうだった、と言いたげな顔をしたあと、佐々木と妙子は笑いを噛み殺して顔を見合わせた。
 妙子は居住まいを正し、笑みを浮かべたまま切り出した。
「初めは、とても格式の高いお家柄なのだと思っていました。ですが、先程お話ししたように、栄晴様も佳澄様も、冨美子さんも。皆さんとても親しみやすい方ばかりで、その場でお世話になることを決めました。初めての仕事でしたから、始めたばかりの頃は緊張もあってかなり疲れました。それでも、少しずつ、心が穏やかになっていくのが分かりました。もちろん、夫のことを忘れたことはありません。ですが、お世話になってからしばらくして、息子たちに言われたんです。お母さん、仕事変わってよく笑うようになったねって」
 妙子は静かに目を伏せ、祈るように告げた。
「私は、栄晴様たちに救われたんです」
 苦しい時に手を差し伸べてくれた栄晴、傷を癒してくれた明たちへの恩義を、岡部を探すことで返そうとしたのか。六年という月日をかけて。
「六年間、ずっと京都を?」
 佐々木が尋ねると、妙子は瞼を上げた。
「いえ。仕事がお休みの日などは県外にも足を延ばしました。とはいっても、さすがにそう遠くまでは行けませんでしたが。式神の皆さんは、哨戒中にあちこち回っていらっしゃったようです。ただ、岡部の気配が分かればよかったのですが、顔と名前だけだったので、彼らでもなかなか」
「ああ、なるほど」
「建物の中に隠れていたりすると、分からないんですね」
 はい、と妙子が頷いた。居場所が絞れない中、岡部も人目を避けていただろうし、いくら神とて顔と名前だけで一人の人間を探すのは困難らしい。
「岡部があの場所にいることは、もしかして(ぬし)から?」
 熊田が問うと、妙子ははいと言った。
「岡部を探し始めてからすぐに、彼と知り合いました。それから定期的に何か情報が入っていないか尋ねていたんです。ただし、私のことは誰にも話さないで欲しいと頼んでいました。何かの拍子に私のことが知られると危険だからと、明さんと宗一郎様が。そして昨日、嵐や台風の日は、岡部が京都にいれば雨風がしのげる場所にいるはずなので、仕事のあとに探しました。その時に主さんからお聞きして、少し前に若い男の刑事さんが聞きに来たことも教えてくれました。容姿を聞いても心当たりがなかったので明さんに報告したところ、おそらく下平さんの部下だろうと。今動けるのは熊田さんと佐々木さんだろうから、神社で待つように言われたんです」
 ここに行きつくまでの経緯を、熊田と佐々木は相槌を打つものの、揃って怪訝な表情を浮かべて聞いた。確かに辻褄はあっている。だが、謎もある。
 熊田は腕を組み、佐々木は唇に指を添えて考え込む姿勢を取った。
 神社で妙子に会った時、違和感を覚えた。六年間も岡部を探していたのなら、自らを「主」と名乗る男に会っていないわけがない。さらに主も、あだ名で呼ぶほどの仲である岡部のことを尋ねてきた一般人のことを、忘れはしないだろう。ならば、何故下平たちの部下は何も聞かされていないのかと。口止めをされていたのなら、合点がいく。主はなかなか律儀な性格らしい。無償かどうかは微妙なところだが。
 しかし、その口止めをした理由が引っ掛かる。また、何故明は主の元へ行ったのが下平の部下だと思ったのか。若い男の警察官などどこにでもいる。こちらが事故の再捜査をしていたことは、また伝えていなかったのに。
「宮沢さん、いくつか質問があります」
「はい」
 熊田が視線を上げると、妙子は待ち構えていたように見据えた。
「まず、主を口止めした理由ですが、貴方の存在を(したなが)に知られないために隠したのだとしたら、当時から計画的犯行である可能性を考えていたことになりますよね。そのきっかけは、何だったんですか」
 二の正体を知り、岡部の供述により栄晴の事故のからくりは分かった。けれど、明たちがそれにいつから気付いていたのかまでは、さすがに分からない。
 妙子は何度か瞬きをして、口元に笑みを浮かべた。
「こう言っては失礼ですが、さすが、刑事さんですね」
 妙子はほうじ茶に口を付けた。
「全て、順を追ってお話します」
 そう前置きをして語られた六年間は、想像を超えるものだった。
 栄晴の事故から六年。彼らはどんな思いで岡部を探し、事件の真相を追っていたのか。そして、そんな中で集められた陰陽師たちと、発生した鬼代事件。
 これら全ては、果たして偶然なのか、必然なのか。
「――これで、全てです」
 妙子は静かにそう言って締めくくった。
「すごいですね……」
 佐々木が脱力したように呟いた。
「ああ……」
 謎は全て解けたが、鬼代事件を正確に把握できていない今、この情報をすぐに消化するのは少々厳しい。頭がパンクしそうだ。だが紺野たちに報告しなければいけない。甘えたことは言っていられないのだ。
 深く溜め息をついた熊田と佐々木に、妙子は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「あの、もう一つお伝えすることが」
 まだあるのか。う、と声を詰まらせ、同時に湯のみに手を伸ばした熊田と佐々木に、妙子から苦笑が漏れる。
「何でしょう」
 残っていたほうじ茶を飲み干してテーブルに置いて視線を上げると、妙子は至極真剣な表情で二人を見据えていた。彼女の凛とした空気に、思わず背筋が伸びる。
 引き戸の向こう側から、子供の歓声と足音が近付いてきた。走っちゃ駄目よ、と母親らしき窘める声が部屋の前を通り過ぎる。
 おもむろに、妙子が口を開いた。
「本日午後九時より、寮にて緊急会合が開かれます。その際、お二人にもご協力いただきたいと、宗一郎様より伝言を預かりました。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
 粛々と告げ、ゆっくりと頭を下げた妙子に、熊田と佐々木は顔を見合わせて力強く頷いた。頼まれるまでもない、元よりそのつもりだ。
「分かりました。協力は惜しみません」
 熊田が明確に言い切ると、妙子は頭を上げて、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。では早速、宗一郎様の見解をお伝えします――」
 鬼代神社で宮司が殺害されてから、ひと月以上。捜査に何の進展もなく暗礁に乗り上げ、このままではお宮入りするのではと危惧する声も出始めていた。
 警察として犯人たちを追うのは限界がある今、陰陽師側で大きく事態が動こうとしている。ここで一人でも捕まえれば、一気に事件解決へと道が開く。
 今夜は、長い夜になる。
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