第4話

文字数 5,546文字

 同日午後七時十五分。JR防府駅に到着してすぐ、二人はタクシー乗り場に走った。
「すみません、向島の漁港まで。急いでください」
 賀茂宗史(かもそうし)は、小ぶりの旅行鞄と共に転がり込むように乗り込んで運転手に行き先を告げた。続いて乗り込んできた土御門晴(つちみかどせい)に、溜め息交じりにぼやいた。
「お前が寝坊なんかするから慌ただしくなった」
「しょうがねぇだろー。明け方まで仕事だったんだから」
「待ち合わせは昼の二時だ。十分寝られただろ。予定が入ってるんだからもっと計画的に時間を使え」
「お前、最近口うるさい姑みてぇになってきたな」
「誰が姑だ。俺は男だ」
「突っ込むとこそこだけかよ。口うるさいのは否定しねぇのかよ」
「誰がそうさせてるか考えたことあるのか、お前」
「はいはい、すみませんねぇ。出来が悪くて」
「自覚があるなら改善しろ」
「つか、俺のが年上なんですけど」
「そこを主張したいなら、それなりの態度と威厳を見せてみろ」
「態度と威厳て……ったく、ああ言えばこう言う。可愛くねぇの」
「うるさい」
 乗り込むなり口を挟む隙がない怒涛の口論を始めた若い客に、運転手は恐る恐る話しかけた。
「あのぉ」
「あ、はい?」
 宗史は不機嫌な表情を正し、顔を向ける。一方、晴は一蹴されて拗ねたのか、車窓から外を眺めている。
「この時間に向島の漁港に行っても、何もありませんよ?」
 向島の漁港は普通、どれだけ遅くても昼前に作業は終わる。事務員か、仕事終わりの酒盛りを楽しむ漁師が残るくらいだが、さすがに夜の七時は誰もいない。
 運転手がバックミラーから訝しむように後部座席を窺う。若い二人連れの男がこんな時間に人気のない漁港に行こうというのだ。疑われても仕方ない。こんな時対応するのは、いつも宗史の方だ。宗史は愛想笑いを浮かべた。
「いえ、向小島に用事があるんです」
「向小島? お兄さんたち、船は予約してあるんですか?」
「大丈夫ですよ、知り合いがいるので。そうだ。約束の時間が八時なんですよ。間に合いますか?」
「八時? あー、それならもう少し急ぎましょう。ちょっと飛ばしますね」
「すみません、お願いします」
 はい、と返事をすると、運転手はアクセルを踏み込んだ。
 七時台はちょうど帰宅時刻だが、工場が多く建ち並ぶ向島方面に向かう車は少ない。これなら十分間に合いそうだ。
「お客さん、ちょっとラジオのボリューム上げていいですか?」
「はい、どうぞ」
 運転手は、先ほどから小さく流していたラジオのボリュームを上げた。
『では全国のニュースです。先月から京都市内で連続して発生している、少女誘拐殺人事件の続報です。先日市内の山林で発見された遺体の身元が判明しました。伏見区在住の橘詠美(たちばなえいみ)さん、十一歳。詠美さんは今月十一日から行方が分からなくなり、ご家族から捜索願が提出されており――』
「十一歳か……可哀相に。小さい女の子ばかりを狙った犯行らしいですねぇ。酷いもんだ」
 ニュースへの感想をぼやきながら、運転手は溜め息をついた。そうですね、と宗史が一応答える。
 京都の人間として、こんな事件が全国に流れるのは心苦しい。確かに事件は全国どこでも起こるものだが、こんな悲惨な事件は勘弁してほしいと思う。
「そういえば、京都と言えば神主? 宮司か。宮司が殺されたって事件もありましたよね。まだ犯人の目星も付いてないとか。神様仏様がいっぱいいる土地なのに、奉仕する人すら守ってくれないんですかねぇ」
 若干嫌味の入った言い回しに、そうですね、と宗史は気の無い返事をしながら、父の言葉を思い出していた。
『お前たち、滋賀県で起こった事件を知っているな? 山中で男女四人が発見された事件だ。その件について、お前たちに話しておくことがある。これは、鬼代神社の件にも関わってくることだ。あの山の奥深くに、大戦で封印された紫苑(しおん)という鬼が祀られた御魂塚(みたまづか)がある。報道がされてすぐに右近(うこん)に探らせたんだが、封印が解かれていた。そこでだ、お前たちには、山口県の向小島に行ってもらう。詳しいことは、刀倉影正という人に会って聞けば分かる。島への船はこちらで手配しておこう。それともう一つ――』
 現在、土御門家と並んで陰陽師を生業とする賀茂家当主、賀茂宗一郎(かもそういちろう)。宗史の実父は二日前、突然そんな仕事を宗史と晴に言い渡した。
 鬼代神社に紫苑という名の鬼、そして山口県の島に、一体どんな関係があるのか。それすらも教えてくれなかった。ただ、行けば分かると。
 そもそも、鬼代神社の秘密も、今回の事件がきっかけで知らされた。宮司の矢崎徹のことは、幼い頃、何度か晴と一緒に遊んでもらっていたからよく知っている。土御門家と長い付き合いのある神社の宮司で、会えば遊んでくれる穏やかなおじさん、くらいの認識だったが。
 しかし、いくらこの事件に関わることだとは言え、京都でやるべき仕事は山積みだ。千代の骨の行方、鬼代神社を襲撃した犯人、さらに解放された紫苑の行方も追わなければならない。おそらく実戦は避けられないだろう。
 そんな現状で、二人も前線から外してまでここへ来させた意図が分からない。それほどの理由が、島にあるというのか。鬼代神社のことといい、紫苑のことといい、隠し事が多過ぎる。これ以上、まだ何か隠しているのだろうか。
 宗史は諦めたように目を伏せ、溜め息をついた。
 考えても始まらない。実の父ではあるが、未だにあの人の考えていることはよく分からないのだ。とにかく、向小島とやらに行って、刀倉影正に会うしかない。
 気持ちを切り替え、宗史は視線を上げた――と、前方からまばゆい光が襲った。まるで何かが爆発したような光だった。
「うわっ!?」
 突然、運転手が声を上げて急ブレーキをかけた。タイヤが甲高い音を響かせて停車する。
「うおっと、何だぁ?」
「っと」
 シートベルトのお陰で少し前に傾いだだけで済んだが、少し目がくらんだ。二人はすぐに体勢を整え、目をしばたかせながら運転席と助手席の間から前を見た。外灯が少ない場所だが、かろうじて広場があるのが確認できる。
「晴、今の」
「やっぱり? でも何でこんなとこで」
「お客さん、大丈夫でしたか!? すみません、いきなり光が」
 同じく目をしばたかせた運転手が話しに割って入り、二人は揃って大丈夫ですと声を揃えた。
「何だったんですかねぇ、今の光」
 危ないなぁ、とぼやく運転手に晴が尋ねた。
「おじさん、漁港ってあれ?」
「え? ええ、あの開けてるところです」
「んじゃ、ここでいいっす。降ります」
「え!? でもなんか危ないんじゃ」
「平気平気。悪いけど、ドア開けてくれます?」
「あ、ああはい」
 にっこり笑いつつ威圧感を込めて要求すると、運転手は空気を読んだのか慌ててドアを開けた。するりと晴が外へ出る。
「すみません、これで。お釣りいりませんから」
 そう言って宗史は五千円札を運転手に差し出した。
「いや、ちょっとこれは多すぎです!」
「迷惑かけたお詫びだと思って下さい」
「はぁ!?」
 理由としてはかなり苦しいが、今はそれどころではない。宗史は鞄をひっつかんで財布をジーンズの尻ポケットに押し込みながらタクシーを降りると、先に漁港へ向かった晴の後を追った。
 漁港はここから目視できる距離にある。外灯があまりないが、倉庫か作業場らしき建物にうっすらと光が見える。目を凝らすとなんとか状況が確認できた。
 黒い煙が地面すれすれに浮かび、原付バイクが二台、そして人が倒れている。黒い煙の側に一人、奥に一人。
「やっぱな。どうする?」
 漁港入口で立ち止った晴が、追いついた宗史に尋ねた。揃って黒い煙を見据える。
「決まってるだろ。お前に任せる。俺はあの二人を保護する」
「了解、つってもなぁ、もうアレ弱ってんじゃん。調伏のし甲斐ねぇよなぁ」
「人が襲われてるんだ、不謹慎なこと言うな。行くぞ」
「はいよ」
 宗史の号令で同時に駆け出した。
 宗史は、先に黒い煙の近くでうつぶせに倒れている人物に駆け寄った。鞄を放り出し側にしゃがみ込むと、容体を確認する。制服から、おそらく高校生。少々衰弱しているが、生きている。全身砂埃にまみれ、顔や腕に擦過傷、手首と肘の上に手形の鬱血がある。
 少年の腕を自分の肩に回し、手首を持ったまま勢いを付けて立ち上がる。つま先をずるずると引き摺りながら倒れているもう一人の方へ運び、ゆっくりと下ろした。こちらも同じ制服を着た男子高校生だ。リュックを背負ったまま気を失っている。埃まみれだが、傷は少ない。だが。
「これは……」
 宗史は少年の尻ポケットからはみ出したそれを引っ張り出した。
 一方、黒い煙と対峙した晴は、唇の前で右手の人差し指と中指を揃えて立てた。すると黒い煙は、危機感を感じたように弱々しくもまた風呂敷のように広がり、晴に襲いかかった。勢いが無い。
「何があったのかは知らねぇけど、こんなになるまで思い詰めちゃ体に悪いぜ?」
 そう一人ごちると左手人指し指で素早く空に九字を切りながら、口の中で呟くように真言を唱える。どこからともなく光が出現し、格子の形を成し始めた。完全に形成されると、晴は低く呟いた。
「破邪」
 その言葉に弾かれるように光の格子は素早く前進し、襲いかかってきた黒い煙を格子状に切り裂いた。一瞬動きを止めた黒い煙は、紫煙のように上空に向かって、音もなく溶けて消えた。
 晴は空を仰ぎ見て、短く息を吐いた。
「終わったか?」
 宗史の声に我に返り、にっと不敵な笑みを浮かべて振り向いた。
「おお。楽勝」
「お疲れ。それより、これを見ろ」
 労いもそこそこに、宗史は二人目の少年のポケットから回収した物を掲げた。晴が、それよりって何だよそれよりって、とぼやきながら宗史の隣にしゃがみ込み、それを受け取る。
 元は紫色の布地のお守りだったのだろうが、ほとんどが焼けたように煤けている。かろうじて口を結んでいる紐が無事なくらいだ。
 晴が紐を解いて中に入っているものを取り出した。厚紙に挟まれた一枚の長細い和紙。厚紙は補強のためだろう。
 晴は今にも崩れそうなくらい柔らかくなっている和紙を、ゆっくりと慎重に開いた。手書きで、五芒星と複雑な図形が組まれた絵が描かれている。陰陽師が使う護符ではなく、簡易的なものだ。
「護符か。で、何でこいつが持ってんだ?」
「俺に聞くな」
 だよな、と興味深げに少年を見下ろす。と、沖の方から船のエンジン音が響いた。
「お、やっとお迎えか。つか、この状況どう説明するよ?」
「暴漢に襲われたとでも言うしかないな」
「なるほど」
 言いながら二人は腰を上げた。
 船着き場に到着するとライトが消され、運転席から中年男性がひょっこり顔を出す。こちらに手を振りながら、エンジン音に負けじと大声で叫んだ。
「刀倉のじいさんが言ってた客ってのはあんたらかい!?」
「そうです!」
 宗史が答えると、男性は周囲を見渡して尋ねた。
「高校生の男の子が二人いなかったか!?」
「それが」
 途中で言葉を切り、地面に視線を落とした宗史に男性は首を傾げながらもエンジンを切った。船を手早くロープで固定し、地上に上がる。
「どうした?」
「暴漢に襲われまして……」
「何だって!?」
 目玉が飛び出しそうなほど目を丸くした男性は、地面に転がる少年二人を見てさらに目を丸くした。
「大河! 省吾! 大丈夫か!?」
 男性は二人の側にしゃがみ込んで叫んだ。
「傷だらけじゃないか! 救急車……っいや警察! 犯人はどうした!?」
 晴がパニックを起こした男性の側にしゃがみ込み、宥めるように肩を叩いた。
「まあまあ、おじさん一旦落ち着こうや」
「これが落ち着いていられるか! 子供を襲うなんてとんでもねぇ野郎だ!」
「そりゃ分かるけど、あー……そう、こいつらが気ぃ失う前に言ってたんだよ。警察には連絡するなって」
「は!? 何でだ!」
「大事にしたくねぇってさ」
「そんなこと言っても暴漢に襲われたってのに……!」
「とにかくここは家に送り届けて、後の判断は親に任せようぜ」
 な、と肩を軽く叩くと、男性はぶつぶつと不満を漏らしつつも頷いた。
「すみません、あのバイクはこの二人の物ですか?」
 宗史が倒れたバイクに視線をやって尋ねると、男性は少年を肩に担ぎながらそうだよと答えた。
「うお、おじさんすげぇな」
「定年前は建設業にいたんだ。長年こいつらより重いもん担いでたんでな。軽い軽い」
「へぇ」
 晴と男性が少年二人を船に運びながら交わす軽口を背中に、宗史はバイクを起こし、適当な場所に並んで停めた。
「宗史、行くぞ」
「ああ」
 船から手を振る晴の隣で、男性が携帯を手にどこかに連絡を取っている。宗史は放り出した鞄を回収し船に乗り込んだ。
「そう、ちょうどじいさんの知り合いがいて……そうか、分かった。じゃあ今から戻る。いや、気にせんでもいいよ。そっちも気を付けてな。ああ」
 会話の内容から、刀倉家に連絡を入れたようだ。通話を切ると、エンジンをかけながら二人に言った。
影唯(かげただ)が……えーと、刀倉のじいさんの息子が港まで迎えに来るそうだ。あんたらも一緒に行くんだろ?」
「はい」
「よし、じゃあ出発するぞ」
「お願いします」
 すっかり静けさを取り戻した漁港を、船は向小島へと向かって出発した。
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