第15話

文字数 2,844文字

「美琴ちゃんは、携帯を持っているかな」
「あ、いえ」
「なら、そうだな……生徒手帳、今は学生証かな。財布やお守りでもいい。常に身に着けている物に入れて、肌身離さず持ち歩きなさい」
「分かりました」
 いつも持ち歩く物といえば、やっぱり生徒手帳だろうか。財布は学校では持ち歩けない。生徒手帳は胸ポケットに入れるよう指導されているし、家ならズボンのポケットにも入れられる。でも今は持ってきていないから、ひとまず財布。
 丁寧に折り畳んで財布に入れると、明が言った。
「とりあえず、僕からはこれで終わりだ。美琴ちゃんから、何か質問はあるかい?」
「えっと……」
 財布を鞄に戻しながら逡巡する。
「明さんは、いつからあたしを、その……」
 陰陽師の素質があると分かってたんですか? と、自分で口にするのは何だか照れ臭い。もごもごと口ごもった美琴に、明がああと察した。
「駅で君を見かけた時だ」
「じゃあ、初めから?」
「ああ。君の体から霊気が漏れているのが見えたから、気になってね」
「漏れてるって、どんなふうにですか?」
「見え方はとしては……オーラ?」
 何で疑問形なんだろう。こてんと小首を傾げた明につられて、美琴も首を横に倒す。
「何かで、オーラは全身から立ち昇っているように見えると聞いたことがあるんだけど、実際に見たことがないから分からなくてね。人によって色が違うらしいから、僕たちが言う霊気とは違うんだ。でも、イメージとしては似ていると思うよ」
「分かります。昔、テレビで見たことが」
 バラエティ番組だったか。霊能者が芸能人のオーラを鑑定する云々という内容だった気がする。本当にあるのだとしたら、陰陽師と言えどオーラは見えないらしい。
「じゃあ、他の人たちの霊気? も、見えてるんですか?」
「いや。訓練を受けた陰陽師は、霊力をコントロールできるから見えないんだ。君のように自覚がない人だけ」
「そうなんだ……」
 つまり、霊力がコントロールできれば霊気は見えなくなるということだ。どうコントロールするのかよく分からないが、例えるなら。
「霊力がお湯で、霊気が湯気みたいなもの、ですか……?」
 お湯が冷めれば湯気も消え、量が多ければ湯気の量も多い。同じ原理で、霊力を静める、あるいは最小限に抑えれば霊気も小さくなる。それをコントロールと呼んでいるのなら。
 自分なりの解釈を口にすると、明と閃が驚いたように目を瞠った。しまった、解釈するのに夢中になって生意気な口を。
「すみません、勝手な解釈をして……っ」
 美琴が肩を竦めると、いや、と明が楽しげに笑った。
「合ってるよ、分かりやすい例えだ。いいね。教え甲斐がある」
「良い術者になりそうだな」
「うん、僕もそう思うよ。他に何か質問は」
 ある? と言った明の語尾を掻き消すように、きゅるるると腹の虫が鳴った。美琴はぎょっとして素早く腹を押さえ硬直した。夕飯代を電車賃に回したから、何も食べていないのだ。だからといってこのタイミングで鳴らなくても。恥ずかしすぎる。
 顔を真っ赤にして俯く美琴から明が顔を逸らし、口を押さえてふっと噴き出した。
「明」
 間髪置かずに閃が非難めいた口調で呼びかける。
「す、すまない。可愛いなと思って」
 言いながらも声を殺して肩を震わせる明に、美琴がますます顔を赤くし、閃が短い溜め息をついた。
「気にせずともよい。明は極度の笑い上戸だ。それより、何も食べておらんのか」
「……はい」
 笑い上戸なのか。しかも極度の。じゃあ、このホテルに泊まったいきさつを話した時も、さっき洗面所で笑ったのも。よくよく思い返せば、泣きじゃくった上に間抜けな顔をすれば笑いもするだろう。いやそんなことより今は腹が鳴ったことの方が重要だ。
 恥ずかしい、ととうとう顔を覆った美琴に、閃がテーブルに置かれたメニューを開いて差し出した。
「先程の擬人式神の件と、笑った詫びだ。遠慮せずに好きなものを頼め」
 そう言われて思い出す。確か、無料のドリンクやフードがあると言っていた。金がかからないのなら、そうさせてもらおう。
「ありがとうございます」
 また腹が鳴ったら、今度こそ羞恥で死ぬかもしれない。美琴はおずおずと身を乗り出してメニューを覗き込み、閃から明へ「いい加減にしろ」と小言が飛んだ。

 あのあと、オムライスにカレー、サイコロステーキにハンバーグにパスタと、レストラン並みのメニューの豊富さに圧倒され、結局オレンジジュースとパフェとピザ、明はコーヒーがあるからと、閃がウーロン茶を注文した。初めは無料のドリンクとパフェだけだったのだが、閃が、
『明。私はピザを食べたことがない』
 と訴えたので注文することになり、二人で半分こした。もしやピザのページで目が止まったのを勘付かれたのかと恥ずかしくなったが、どうやら本当に食べたことがないらしく、伸びるチーズに「これはどこまで伸びるのだ」と怪訝な顔をしていた。かくいう美琴も、スーパーに売っている冷凍のピザを祖母と一緒に誕生日に食べたことがあるくらいで、デリバリーや店で出されるものは初めてだった。他にも頼んで構わないよと明に言われたが、食べ切れないともったいないのでと断った。
 給食は別として、誰かとあんな風に笑いながら食事をするのは、浜中家でごちそうになった以来だ。寮にいる陰陽師たちや、鈴という名のもう一人の式神の話を聞きながら、物理的に満たされる食欲以上に心が満たされて、食べながら涙がこぼれそうになった。
 閃は術を解かれ、明が払ってくれたのは、ホテル代とタクシー代。結局何もなかった上にホテル代まで出させてしまい、さらにタクシー代なんてとんでもない。急げばまだ最終電車に間に合うからと断ったのだが、心配だから家まで送ると押し切られてしまった。
 敷地の前で何度も礼を言ってタクシーを見送り、自宅へ戻ったのが、午前一時過ぎ。
 美琴は、玄関扉を背に長く息を吐いた。
 初めて三宮に行った時と同じ、どっと疲労感に襲われる。けれどあの時とは違う、胸の奥にほんのりとした温かさと安心感があって、どこか頭がふわふわして夢見心地だ。
 いつもなら、暗くてしんと静まり返った部屋は物悲しく思うのに、今日ばかりは心地良い。誰にも邪魔されず、まだあの夢のようなひと時に浸っていられるから。
「寝なきゃ……」
 ひとしきり反芻して、惜しく思いながらも意識を現実に戻す。不意に思い付いた。靴を揃えて脱ぎ、手洗いとうがいをして自室へ入る。正面に押入れ、左側はベランダ、右側には勉強机と祖父母の仏壇が並んで置かれ、机の横の壁には制服が掛けられている。
 電気を点けて、コートと鞄を脱いで祖父母の仏壇の前で正座し、財布から霊符を取り出した。
「おじいちゃん、おばあちゃん。今日ね、すごいことがあったの」
 今日の出来事は誰にも話せない、自分だけの秘密。でも二人なら。
 あの世で、怒っているかもしれない。呆れているかもしれない。でも聞いて欲しかった。とても優しくて、素敵な現代の陰陽師の話を。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み