第15話

文字数 6,001文字

 深夜一時を過ぎた下京区。JR京都駅や多くの観光名所、商業施設、四条烏丸から四条河原町に広がる京都府有数の繁華街を有している地域である。
 樹と怜司は、駐車場に車を停め、繁華街へと徒歩で向かいながら哨戒していた。
「いいなぁ、僕も一緒に行きたかったなぁ」
 この三時間ほど前、初陣に出た大河を見送ってからずっとこの調子である。同じ台詞を聞かされるこっちの身にもなれと言いたい。
「お前しつこいぞ」
「だってさぁ、絶対何かやらかすって」
 それはない、と言い切ってやれないのは心苦しいが、それが刀倉大河という少年である。何せ前例が「あれ」だ。日本を代表する大企業、草薙製薬会長の次男、草薙一之介(くさなぎいちのすけ)に対し「クソジジイ」なる暴言を吐いたつわものだ。いくら知らなかったとは言え、あの状況なのだから自分より社会的に上に立つ人物だと分かっていたはずなのにだ。一般のサラリーマンなら確実に退職を迫られるか、もしくは左遷だ。そんなリスクがない高校生であり、しかも宗史と晴、ひいては陰陽師家当主二人が後ろ立てとなっている彼だからこその悪態だった。
 と言いたいところだが、彼においてはそんな理屈は微塵も考えていないのだろう。ただ宗史たちへの私怨満載の評価が気に入らなかったというだけの、シンプルな理由。
「単純と言うか純粋と言うか。あれほど人を警戒させない奴も珍しいな」
 羨ましいとは思う。良いにしろ悪いにしろ、人から好かれるのはそれだけで長所だ。けれど、一人でいることに苦痛を感じず、むしろ気楽だと思う自分には無くて良かったとも思う。
 唯一、一人を除いては。
「大河くんってさ、犬みたいだよね」
 唐突に言われ、怜司は大河を思い浮かべた。犬の耳と尻尾を付け足してみる――なるほど。
「確かに」
「しかも、誰にでも懐いて番犬にもならなさそうな頭の悪い犬」
「せめて人懐こいと言ってやれ」
 頭が悪そう、ではなく悪いと言い切るのが相棒の悪いところであり、良いところだ。
 長い間、上面だけの付き合いをしてきた。仕事は好きだったが、大勢と群れるのは嫌いだ。空気を読むだの流行りだの知ったことか。思ったことを言って、好きなものを追いかけることの何が悪い。そう思うのはきっと、社会性や社交性が欠如しているからだろう。にもかかわらず、あるように装って生きてきた。
 だからあの時、ぷつんと切れてしまったのだ。ぎりぎりに張り詰めた糸が、容易に千切れてしまうように。
 寮に入って樹に会って、驚いた。言いたい放題のやりたい放題。遠慮も謙遜もない。その代わり、嘘もない。どんな人生を歩めばこんな人間ができるのか理解できなかった。けれど、居心地は良かった。薄っぺらい関係、中身のない会話、見た目が美しいだけの不味い食事に囲まれていたあの頃より、生きていると思えた。
 もう自分を偽る必要はない。そう思わせてくれた。だから遠慮がない樹に遠慮なく言い返していたら、いつの間にか懐かれて、気が付いたら相棒になっていた。
「怜司くん、警戒心強いのに大河くんにはしなかったもんね」
「お前が言うな。俺よりお前の方が重傷だろう」
「そう?」
「初め野良猫みたいだったろうが。そんなお前が、いくら術のこととは言え彼には警戒せずに声をかけた。さすがに驚いたな」
「嫌だなぁ、男の嫉妬は見苦しいよ?」
「お前は一度脳外科を受診するべきだ」
「酷いな。それで?」
 含んだ言い回しに、怜司は単調に答えた。
「どう思う。今回の事件」
 樹はそうだなと前置きをして、人差し指を立てた。
「色々と思うところはあるけど、一つだけ確かなことがある」
「何だ?」
「僕たちは、疑われている」
 オブラートに包むでもなく遠回しにするでもなく、樹は他人事のように告げた。
「根拠は?」
「事件当初から、陰陽師が関わっていることは一つの可能性としてあったよね。その時点で僕たちはもう被疑者だ。さらに、柴と紫苑以外の鬼が存在することは公園の事件で確定事項となった。彼ら以外の鬼は根こそぎ排除されたという記述が事実だとすれば、可能性は一つしかない」
「……反魂か」
 そう、と樹は頷いた。
「僕たちが教わったことが嘘だったという可能性も否定できない。教えない理由としては、僕たちの中に蘇生術を行使する可能性がある者がいて、しかも非常に危険な術だから。あるいは、これまでは本当に蘇生術がなかった、とも考えられる。そうなると、少なくとも蘇生術を扱える、もしくは新しい術を編み出すほどの知識と霊力を持つ陰陽師が一人、関わっている」
「お前か」
「何でだよ!」
「両方当てはまる奴は、お前しか思い浮かばない」
「条件に当てはまるだけなら当主二人と宗史くんと晴くんだってそうだろっ。それに、僕たち以外にも陰陽師がいる可能性だってあるし、関わってる陰陽師が一人とは限らない。て言うか僕じゃないよ、心外だな。こんな事件起こして何が面白いの、くだらない」
 ぷいとそっぽを向いてしまった樹に、怜司は小さく笑ってすまんと謝った。
「つまり、陰陽師が関わっている以上疑われても仕方がないってことか」
「そうだよ。て言うか、この程度のこと怜司くんだって気付いたでしょ。皆だって気付いてるよ」
 ぶっきらぼうな声で返答された。すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。こうなると樹は長い。先刻、大河も洗礼を受けていたが、ねちねちといつまでも根に持つタイプらしく、一週間は同じネタで皮肉を返してくる。放置すると後々面倒臭い。怜司は小さく溜め息をついた。
「悪かった。今度ケーキ奢ってやるから」
 樹が物凄い勢いで振り向いて、
「コンビニの」
 そう付け加えると、速攻で背中にミドルキックをかまされた。最近のコンビニスイーツは美味しいよねと絶賛していたくせに。何が気に入らない。
 ぐふっ、と怜司がおかしな呻き声を上げた時、目の前の路地から若い二人組の男が飛び出してきた。
「ぎゃあっ!」
 出会い頭に化け物でも見たかのような悲鳴を上げられ、怜司と樹は思わず仰け反った。男たちは身を引いた勢いで後ろにすっ転び、もつれながら我先にと地面を這いずって怜司たちと距離を取る。
「何なんだよ、失礼な」
 樹がこれでもかと眉間に皺を寄せて男たちを一瞥した。まるでカップルのようにぴったりと密着し、血の気が引いた顔でこちらを見上げている。
「行くよ、怜司くん」
 失礼な奴ばっかりだ、とぼやきながら樹が立ち去ろうとすると、男の一人が震える声で呟いた。
「た、たたた助けて……っ」
 掠れた上に活舌が悪かったが、確かにそう言った。
 怪訝な顔で樹が振り向き、怜司は男たちの前にしゃがみ込んだ。
「どうした?」
 怜司は微かに漂ったアルコールと煙草が混じった匂いに眉を寄せた。顔色が悪く憔悴しているが、幼さが残る顔つきは未成年のように見える。
 男たちは路地の奥を指差した。
「と、友達が……っ変な奴に襲われて……っ! くくく黒い煙みたいな……っ」
 そこまで聞いて駆け出したのは樹だ。軽々と男たちの頭上を飛び越え、路地の奥へと姿を消す。男たちが、ひっ、と両手で頭を押さえて亀のように首を縮めた。
 怜司は溜め息をつき、眼鏡を指で押し上げながら立ち上がった。
「その友達は、今一人なのか?」
 無言で首を縦に振った男たちを、怜司は冷めた目で一瞥した。
「友達が変な奴に襲われてるのに、一人置いて自分たちだけ逃げてきたのか。またずいぶんと頼りになるご友人だ」
 そう言い捨て、怜司は樹を追った。
 ゴミ箱や自転車やビールケースを避けつつ飛び越えつつして抜けた路地の先には、二車線の道路が走り、その向こう側には仮囲いで囲まれた建設中の建物があった。扇子折りになっている部分の一部がこじ開けられ、樹が隙間に体をねじ込んでいる。おそらく男たちもあそこから入って逃げ出したと見える。
 中から激しい金属音が響いてきた。どうやら忍び込んで飲酒喫煙をしていたところを襲われたらしい。人目を避けているあたり、やはり未成年だったのだろう。
「樹、いけるか?」
 車が途絶えた道路を渡って声をかけると、樹は「何とか」と言いながら無理矢理通り抜けた。怜司を待つことなく、すぐさま音のする方へ走り出す。この状況で、ちょっと待て手ぇ貸せ、とは思わないが人に見られたらさすがに通報されかねない。怜司は急いで背中と両手でできる限り隙間を広げ、中へ滑り込んだ。
 マンションの建設中らしい現場は、外灯や隣のビルやマンションの廊下の明りなどが差し込んで、薄暗くはあるが見えないほどではない。簡易的な事務所か、プレハブ小屋に建設資材やら重機が置かれ雑然としている。建物は骨組のみで、中は空洞状態だ。
 太い柱が二本立つ奥から、空き缶が転がる高い音が響いた。駆け込むと、樹が尻もちをついた男を背に庇い、宙に浮いた悪鬼と対峙していた。悪鬼の下には、上下黒のジャージ、キャップにマスク姿の男がいる。このクソ暑い時期に見るからに怪しい格好しやがって、という感想は置いておいて、あれはもしかして。
「樹」
 男を注視しながら近寄ると、樹はにやりと口角を上げた。
「さっきの奴と後ろの奴、見えてるみたいだよ」
「ああ、やっぱりか」
「うん。霊感って意外な奴が持ってたりするよね。でもまあ」
 言いながら手の中に霊刀を具現化させる。
「だからってどうしようもないんだけど」
 霊感のある者が霊力もあるとは限らない。だから、陰陽師の数は少ない。
「どうする」
「とりあえず、取っ捕まえようか。事件の関係者かもしれないし、それ以前にあれ、取り憑かれてるし」
 悪鬼は生んだ者が恨みを持つ者を取り込んだ後、邪気の強い者には取り憑くことが多い。そして取り憑いた者の邪気を増長させ、新たに悪鬼が生まれる。その前に浄化しなければ生んだ者自身も取り込まれる上に、悪鬼は増加の一途を辿る。
 怜司は対峙する男をじっと見据えた。目深にかぶったキャップで、目元すらまともに見えない。だが、何かおかしい。取り憑かれた者は、悪鬼と自身の負の感情の影響で酷く攻撃的、かつ好戦的になる傾向がある。それなのにこの男は、この間にも攻撃を仕掛けてくるわけでもない。こちらの出方を窺っているようにも見える。
 不気味なくらい、落ち着いている。
「怜司くんは男の方を、僕は悪鬼を。いい?」
 樹の声で我に返り、怜司はああと答えた。
「それじゃ、よろしく!」
 樹の語尾と同時に二人が地面を蹴った。怜司は男の方へ真正面からぶつかり、樹は高く跳び上がって霊刀を薙いだ――と。
「!?」
「えっ」
 男は踵を返し、逃げるようにして建物の外へ駆け出した。つられるように、悪鬼が瞬時に縮んで樹の霊刀を避け男の後を追う。
 怜司は地面を擦りながら足を止め、すぐさま男の後を追った。地面に着地した樹も、呆気に取られながら後に続いた。
「……いない……」
 建物の外に出ると、すでに男も悪鬼も跡形もなく消えていた。両側はマンションとビルで挟まれて逃げ道はなく、敷地の奥も高い塀が行く手を阻んでいる。逃げるとすれば、やはり正面の仮囲いからだ。だが、あの隙間からではすぐに出られない。いくら身体能力が高くても、すんなり飛び越えられるほど仮囲いは低くないし足場もない。ほんの数秒の間に、どこから逃げた。
「怜司くん」
 少し遅れて樹が合流し、辺りを見回して顔をしかめた。
「……まさかとは思うけど」
「悪鬼が、従っているように見えたが……」
「うん、僕もそう見えた」
「有り得るのか、それ」
「分からない。見たことも聞いた覚えもない」
 ふむ、と考え込みながら樹は霊刀を消した。
「とりあえず、すぐに報告上げよう。できるだけ早く当主陣の意見が聞きたい。もしかしたらどっちか起きてるかも」
「分かった。じゃあ今日はこれで引き上げ……」
 最後まで言い切る直前、空き缶が派手に転がる音が響き、視界の端に何かが映った。
「ひ……っ」
 二人が振り向くと、さっきまで腰を抜かしていた男が、仮囲いの方へ向かって四つん這いの恰好のまま凍りついている。
 このまま関わらない方が無難だと思うが、おそらく彼らは未成年者飲酒禁止法違反、未成年者喫煙禁止法違反、さらに建造物侵入罪だ。このまま通報すれば良くて補導、最悪、家庭裁判所に送致されて拘留も有り得る。侵入目的が窃盗などでないところが、一般人からすれば「まあまあ」と思えなくもないが、全てはここの現場責任者が決めることだ。
「どうする?」
 樹を振り向くと、すでに携帯をいじっていた。
「あ……っ」
 男が懇願するように怯えた顔で樹を見やり、すぐに諦めたように俯いた。
「あ、すみません。今建設中の工事現場で人が襲われてたんですけど。いえ、犯人は逃げました。住所は――」
 通話しながら、樹はプレハブ小屋の方を指差した。扉の軒下に、監視カメラが二台設置してある。一台は扉の方を、一台はこちらを向いている。なるほど、どちらにしろ通報されるというわけだ。
 怜司は男に歩み寄った。
「警察が来るから大人しくしてろ。お前、未成年だよな。高校生か?」
 しゃがみ込んで尋ねると、男は視線を泳がせ、うっと声を詰まらせて目に涙を滲ませた。体から力が抜けたようにその場に座り込み、嗚咽を漏らす。
 悪鬼が見えていた以上あの禍々しさも感じていただろうし、得体の知れないものに襲われて相当怖かったことは分かる。友達に置き去りにされた挙げ句、警察に通報されて親にも学校にも連絡がいく。当然ショックだろう。だが、泣くな。傍から見たらこっちが何かしたように見える。
怜司は長い溜め息をついた。
「怪我、ないか?」
 男は嗚咽を繰り返しながら小さく首を縦に振った。半袖から出た腕に擦り傷が見えるが、大したことはなさそうだ。
 もう一度、今度は短く息を吐き立ち上がった。
 散乱したビールの空き缶や吸い殻。数年前から、未成年に酒や煙草を売った販売者側にも罰則が科せられるようになり、店側はかなり神経質になっている。彼らの容姿なら確実に身分証を要求されただろう。だとしたら、店で買えず家から持ち出したといったところか。
「自業自得だよ」
 携帯を尻ポケットに突っ込みながら、樹が言った。
「粋がった挙げ句襲われて警察なんて。親は当然だし、下手したら学校にも連絡がいくかもね。それを覚悟の上ってわけじゃなさそうだし。大人や世間をナメすぎなんだよ」
「辛辣だな」
「そう? でも、子供ってそんなもんかもね。自分は大丈夫、無敵だと思ってる。馬鹿だよねぇ」
 言いながら、樹は懐かしそうに、だが少し寂しそうに笑った。
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