第5話

文字数 3,835文字

      *・・・*・・・*

 ランニング代わりに庭を走り、「森もどき」でフットワークの訓練をして、ほどよく息が上がってきた頃、樹と怜司が戻り、茂たちが続々と起きてきた。大あくびをする弘貴は寝足りないようだ。
 少しだけ刀や影綱の独鈷杵の話題で盛り上がったあと、術の総復習に剣術、体術、霊刀の具現化と、各々いつも通りの訓練メニューをこなす。ちなみに、刀は縁側、独鈷杵は和室に置いてある。
 朝食の時間、弘貴から皆へ「お願い」がされた。施設の夏祭りに行っていたと聞いていたが、まさかそんなヒントを得ていたとは。ジュースを飲むくらい朝飯前だ。皆が二つ返事で承諾し、今日の買い出しリストに付け加えられた。
 そして、大河が携帯をテレビにつなげられるか怜司に聞いてみたところ、すんなり「できるぞ」と返ってきた。こどもの日やひな祭り、夏祭りにクリスマスと、イベントごとに撮った動画を皆で見ているらしい。ついでに、訓練の様子を撮らせて欲しいと頼むと、その使用目的に照れ臭そうにしていたが承諾してくれた。
 柴と紫苑は潜伏先の調査へ向かい、樹と怜司は就寝、茂と夏也は双子の散歩、他の者は掃除や宿題など、いつも通りの担当をこなす。
 大河も荷物の片付けと宿題を終わらせて、宗史の独鈷杵を手にリビングへ下りた。扉を開けると、いつもとは違う光景があった。美琴と香苗が秘術の訓練をしていて、華が双子の勉強を見ている。弘貴と春平はまだ部屋だろうが、茂と夏也がいない。
「よくできました。偉いわ、二人とも」
 華が双子の頭を撫でて、顔を上げた。双子がくすぐったそうに肩を竦めて相好を崩す。
「あら、大河くん。宿題終わった?」
「はい。しげさんと夏也さんは?」
「警察から連絡があって、弘貴くんたちと一緒に出掛けたわ」
「あ、そっか」
 そういえば昨日言っていたなと思い出し、大河は縁側に腰を下ろした。さてと独鈷杵に目を落とす。部屋でもできるのだが、柴と紫苑のあの姿を見ていたせいか、ちょっと真似をしたくなった。
 前に宗史から聞いた手入れの方法は、眼鏡拭きなどの柔らかい布で拭くだけという、実にシンプルなものだった。お酢や重層、あるいは専用の薬剤を使う方法もあるらしいが、よほど黒ずまない限りやらないらしい。そこで実家から失敬してきたのが、影正が使っていた眼鏡拭きだ。刀の鞘の手入れにも使っていたためか、結構な数がタンスの奥にしまってあったのだ。
 一旦、全体を大雑把に拭いてから、装飾の隙間を丁寧に磨いてゆく。本来こういった細かい作業は向いていないし、柴と紫苑のような穏やかで優雅な雰囲気には見えなかっただろう。けれど、目に見えて光沢を取り戻す独鈷杵は、集中力を発揮するには十分なくらい面白かった。
 借りてから一度も手入れをしていなかったせいか、終わった頃には眼鏡拭きは真っ黒で、手洗いをする羽目になってしまったが、独鈷杵は綺麗になったので良しとする。
 こまめにやろうと決め、昼食まで美琴と香苗に交じって秘術の訓練をしていた時、華へ夏也から電話が入った。昼食に間に合わないから外で食べてくるという連絡だった。柴と紫苑が戻り、双子がいじると危ないからという理由で、刀は影綱の独鈷杵と一緒に和室で待機となった。椅子が空いているので、柴や紫苑と一緒にテーブルを囲んだ。人数が少ない中での昼食はいつもより静かで落ち着いていたけれど、やっぱり少し物足りない感じがした。
 途中で樹と怜司が起きてきて、大河が女性陣に交じって片付けを終わらせると、樹が「島で撮った動画が見たい」と言いだした。怜司に教わって携帯とテレビを繋ぐ。
 テレビの前に陣取ったメンバーは、大河、華、美琴、香苗、そして何故か双子も一緒だ。柴と紫苑はソファに腰を落ち着かせてのんきに麦茶をすすり、樹と怜司は食事をしつつ視線はテレビだ。
「この四人に追いつく省吾くんもすごいけど、宗史くんと晴くん。体幹と筋力が段違いだわ」
「これ、二人とも本気ですか? 初めて見る。すごい……」
「動きが速くて見えない……」
 女性陣が順番に唖然と呟き、大河は無言で何度も首を縦に振り、藍と蓮は唐突に立ち上がって真似をし始めた。
 画面の中では、宗史と晴、柴と紫苑が睨み合っている。画面越しでも伝わる緊張感。やがて、そろそろ休憩しようぜ、と言って晴が息を吐き出したところで画面がブレ、録画が終わった。
「大河くん、もう一回初めから」
「あ、はい」
 すぐに樹から催促され、大河は握り締めたままの携帯の再生ボタンを押した。携帯の小さな画面とは違い、テレビで見ると迫力に圧倒され、気が付けば手のひらには汗が滲んでいる。
 流れ始めた動画を、全員が再び息を潜めて食い入るように見つめた。藍と蓮も真似をやめて凝視する。
 御魂塚があった広場で手合わせが始まり、そこから場面は森の中へと移動する。先を行く柴と紫苑を宗史と晴が追いかけ、さらに後ろから省吾が追いかけているという状況だ。
 示し合わせたように、柴と紫苑が振り向いた。後方へ滑りながら足を止めた二人とは反対に、宗史と晴は勢いを殺すことなくそれぞれに突っ込む。宗史は柴、晴は紫苑。そして省吾は四人の横へ回り込んだ。
 しばらく続く接近戦は動きが複雑で、目で追えない。しかもあちこちに移動するため、角度によっては何をしているのか見えない部分がちらほらある。しかし、それは仕方がない。省吾は最適な撮影場所を探したようだが、被写体にこうも激しく動かれては定まらないだろう。全体的に綺麗に映っているし、あまり画面がブレないだけでも称賛ものだ。
「あ、ここ」
 誰に言うでもなく美琴が小さく呟き、わずかに身を乗り出した。その横顔は至極真剣で、瞬き一つしない。
 宗史は連続して拳を繰り出し、柴を後ろへと追いやる。右拳を掴まれ、半回転して放り投げられた。このままの体勢では後ろに迫る大木に激突する。と思いきや、宗史は体勢を立て直して両足で幹に着地し、ぐっと力を溜め込んで斜め上へと跳んだ。柴が宗史を追って上を見上げる。宗史は左足を縮め、右足だけで交差して掲げられた両腕目がけて下降した。柴の草履が地面を滑ったのはほんのわずかで、宗史が小さく舌打ちをかます。そして躊躇なく左足を柴の横面目がけて振り抜いた。柴は宗史を押し返して後方へ飛び退きつつ、頭を下げて蹴りをかわす。
 一方、晴は同じように拳を連続して繰り出したあとに蹴りを放ったが、足首を掴まれて斜め上へとぶん投げられた。後ろには葉を茂らせた太い枝。それを肩越しに確認し、体勢を整えて逆手で掴む。体が大きく後ろへ浮かんだ反動を利用して前に大きく跳ぶと、弧を描いて紫苑の頭上を飛び越えた。目で追いかける紫苑目がけて、落下しながら回し蹴りを放つ。紫苑が身を低くしてかわし、一度大きく跳ねて後退した。
 柴に押し返されて地面を滑った宗史と、一回転して着地した晴が背中合わせに止まった。
 人外ならともかく、木に着地したのといい、人間が空中であんな簡単に体勢を変えられるものなのかと思うが、実際録画されている。
 先日、宗史は言った。霊力量だけで陰陽師の強さは決まらない、と。まさにその通りだ。ただ――。
「ていうかさぁ」
 再び始まった手合わせから視線を逸らさずに、大河は怪訝を顔中に滲ませた。女性陣が振り向き、各々口を「あ」の形に開いた。
「宗史さんと晴さんって、ほんとに人間なの?」
「正真正銘人間だが?」
「ひっ」
 不意に上から声が降ってきて、大河は引き攣った悲鳴と共に肩を跳ね上げた。勢いよく振り向くと、腕を組んだ宗史と、口を押さえて肩を震わせた宗一郎が立っていた。しまった、いつの間に。
 冷ややかな視線を降らせる宗史としばし見つめ合い、
「ごめんなさい」
「よし」
 素直に謝罪を口にすると、やっと宗史は視線をテレビへ向けた。全身で脱力した大河に、華と香苗が笑いを噛み殺し、美琴からは溜め息が漏れる。
 なんてタイミングの悪い。来るなり笑い上戸を発動させた宗一郎と、にやついた樹と怜司が憎い。教えてくれればいいのに。
「あら、もうこんな時間?」
「しげさんたち、遅いですね」
 掛け時計を見上げて、華と香苗が腰を上げた。一時を少し回っている。美琴も少し名残惜しそうにしつつ、テレビを一瞥して続く。藍と蓮が柴と紫苑のもとへ駆け寄った。
「大河、それ送ってもらっていいか?」
「あ、いいなぁ。僕にも送ってよ」
「あっ、あたしにもお願い」
「あたしもいいかな」
「あたしも」
 催促した怜司に樹が便乗し、さらに華、美琴、香苗が続く。
「んー、じゃあグループの方に送りますね」
 茂たちも見たがるだろうし、寮で作っているグループメッセージの方に送った方が、手間がない。りょうかーい、と軽く返ってきた返事に、宗史がちょっと恥ずかしそうな顔をしてソファへ向かう。
「大河」
 宗一郎が携帯をいじる大河にこっそり耳打ちした。
「今朝、椿の件で桜に叱られてな、少々落ち込み気味だ」
 くくっと喉を鳴らした宗一郎を見上げ、大河はこれでもかと眉間にしわを寄せた。
「八つ当たりじゃんっ」
 声量を押さえて叫んだ大河に、宗一郎はますます肩を震わせて背を向けた。
 椿のことは宗史の独断なのに、これはさすがに理不尽――いや待て。妹に叱られて落ち込んで八つ当たりなんて、まるで子供みたいではないか。
 俺はそんなことしないぜ。大河はすました顔でソファに腰を下ろす宗史を見て勝ち誇ったように笑い、再び携帯をいじった。
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