第7話

文字数 5,203文字

 床で胡坐を組みながらソファに背を預け、缶コーヒー談義へと逸れた話を元に戻す。
「それで北原、捜査方針はどうなってんだ?」
「ああはい。えーと……」
 慌ててメモ帳を捲る紙擦れの音がする。
「とりあえず昴くんを探しつつ、三宅がトラブルを抱えていなかったかの調査は続けるみたいです。あと、紺野さんのご家族のアリバイの裏取りも……」
「いっそそうしてくれた方が、俺としても助かる」
「言えてるな。どうせすぐ分かるだろ。つーか、謎は色々残ったままだが、結局三宅が狙われた理由って……」
 濁した下平に、紺野は言った。
「それもあると思います。これは、あくまでも憶測なんですが――」
 自分たちへの牽制、そこに発生する矛盾、三宅への恨み、ターゲットの選択基準、それに対する疑問。
「なるほど……殺す条件か。確かに、それだったら滋賀県の事件は辻褄が合うし、柴と紫苑にわざわざ犯罪者を与えた理由になるな」
「だとしたら、やっぱり三宅はトラブルを抱えてたってことになりますよね」
「そうなる。まあ、恨みなんていつどこで買うか分かんねぇからな。てことはだ。もし紺野の考えが当たってるとしたら、田代と三宅が同時に殺されたのは、仕方なくって可能性も出てきたな」
「どういう意味ですか?」
 北原が聞き返した。
「もし、お前たちの行動があいつらにとって想定外だったとしたら、どうだ?」
 想定外――。
「そうか……」
 紺野は口元に手をあてがって呟いた。警察内部に協力者がいると分かり探ったのは、犬神事件がきっかけだ。もし近藤からの情報がなければ気付けなかった。
「三宅殺害が予定されていたとしても、俺たちがあの事件を探っていることを知って予定を変更したってことか」
「あ、なるほど。正体がバレたらまずいですもんね」
「これも憶測だけどな。けど、二人の周辺からお互いの名前が出てこねぇ理由にはなるだろ」
 紺野が言った。
「だとしたら、殺害現場には特に意味がないんでしょうか」
「さあ、そこまではなぁ。悪鬼を使ったにせよ、田代を移動させる手間は手間だろ。別々の場所でもいいような気もするが」
「俺、ちょっと思ったんですけど」
 北原が重い口調で言った。
「二人ともかなり残忍な方法で殺されてますよね。もしかして、恐怖を与えるためなんじゃないかと」
「こんな風に自分も殺されるって、見せつけるためか?」
 紺野が聞き返した。
「ええ。けど、それなら田代が住んでた左京区でもいいですよねぇ」
「だな。やっぱり、何か意味があるんだろうな」
「多分な」
 下平の悩ましい同意を聞いて、紺野は再び記憶を手繰る。保津川といえば川下り、請田神社(うけたじんじゃ)、ハイキングコース。あとは嵯峨野トロッコ列車。この四つのキーワードに心当たりはないが、観光はもちろんデートコースでもある。田代の方は分からないが、朱音と三宅が二人で訪れたことがあるとして、ごくプライベートなことを知っているとすれば、かなり親しくしていた人物。だが三宅の周辺からは不審な人物は見当たらない。
 となると、朱音と交流があった人物になるが、身重ということもあり二人は式を挙げず、友人知人らには葉書で報告したと聞いている。また朱音の葬儀は身内だけで執り行い、同じく葉書で知らせたけれど詳細は伝えておらず、病死ということになっている。もしその中に犯人がいたとしても、何故六年も経った今になって、という疑問が残る。身内でもないのに有り得ない、と言い切れないが、可能性としては低いように思える。
「殺害されるまで時間が開いてたことといい、まだ謎が多いな」
「ええ……。ああそうだ。謎といえば、また一つ謎が増えましたよ」
 少々おどけて言うと沈黙が流れ、北原と下平が同時に溜め息をついた。
「またか……今度は何だ?」
 うんざりした声に苦笑して、紺野は朝辻から得た謎の男の話をした。
「二十代で愛想のいい男? ああ、北原お前か」
「えっ!? なんで俺なんですか!」
「俺の回りの事件関係者で条件に当てはまるのはお前しかいないからだ」
「冤罪です!」
「分かってる」
「下平さん、俺で遊ばないでくださいよぉ」
「悪かった悪かった。ったく、何なんだ次から次へと」
 もう投げやりだ。二人の軽口に紺野は苦笑した。どうも緊張感が続かないメンバーらしい。無理矢理話を戻す。
「もし敵側の一人だとしたら、今のところ渋谷くらいしか該当する人物しか思い当たらないんですよ。でも目的が分かりません」
「回りくどいやり方ばっかしやがって、腹立つ!」
 気持ちは非常によく分かる。ライターを擦る音がして、乱暴に紫煙を吐く呼吸が届く。紺野は久々に襲ってきた喫煙衝動をごまかすため、コーヒーに口を付けた。
「バス会社に問い合わせて、車載カメラを確認すれば一発なんですけどね」
「……俺ら、今誰も動けねぇよな……」
「ですね……」
 監視を振り切っていいなら動くが、無駄に疑われるのは得策ではない。こうなると、三人でも手が足りないか。
「ああもう、しょうがねぇ。朝辻さんは無事だったわけだし、特にこれって実害もねぇならひとまず保留だ。あとはあれだ、深町仁美の事件」
「それなんですが、詳細は分かったんですけど、ただ……」
「ただ?」
 北原と下平が同時に反復した。
「非常に不快です」
 端的に告げると沈黙が返ってきた。それを了承と取り、紺野は緒方から貰った情報を伝えた。相槌も返さず黙って聞いた二人は、真剣に耳を傾けているというよりは、むしろ唖然としたのだろう。その空気が電話越しにも伝わってきた。
「それ、ほんとにやったのか……?」
「本当です」
「現実の話なんですか……?」
「現実だ」
 困惑する二人の気持ちはよく分かる。もし思い付いたとしても、普通の人間なら行動に移そうとは思わない。
「こっちの事件と関係がないなら、確かに亡くなってる可能性はあるが……」
「ええ。まだ似顔絵と同一人物かどうかは分からないので、何とも言えません。下平さん、どうしますか。榎本たちに伝えますか?」
「そうだなぁ……」
 下平が低い声で唸った。
「とりあえず可能性の一つとして伝えるしかねぇな。榎本の自宅近辺を調べたのはあいつらも知ってる。菊池の捜索が手詰まりだから、藁にもすがるってやつで教えてもらったって言えばなんとかなるだろ。それになぁ、今日も何の説明もなしに動いてるから、そろそろ榎本あたりが問い詰めてくると思うんだよなぁ」
「廃ホテルの時は、龍之介のことを理由にしたんですよね」
「ああ。多分リンとナナからも聞いてると思うぞ。だからなんも突っ込んでこねぇのが怖いんだよ」
 過去に男に襲われた経験がある榎本なら、黙っていないだろう。それでも何も言ってこないのは、下平から話してくれるのを待っているか、先輩たちに止められたか。下平から聞いた印象では後者かもしれない。
「まあ、話を聞いてあいつらが何か気付くかもしれねぇし」
「そうですね。それともう一つ、明たちの方なんですが、昼間に香苗の父親が連れ戻しに来たそうです」
「は?」
「えっ、何でですか?」
 連れ戻された経緯と香苗の過去を二人に伝えると、即座に下平の舌打ちが届いた。
「家事を全部押し付けてた上に、施設に入れようとして暴力まで振るったのか。なんて親だ」
「同感です。あんな小柄な女の子によくそんなことできますよね。しかも連れ戻した理由が家事をやらせるためって、信じられません。じゃあ、あの時、聞き込みに応じてくれた人たちが言ってたこと、当たってたんですね……」
「みたいだな。当主二人は偶然だと判断してる。宗史たちが動いてるらしい」
「事件とは無関係か。連絡がねぇってことは、まだ解決してないんだろうな」
「ええ、多分」
 と、メッセージが届いた。紺野は携帯を耳から話し確認する。明からだ。
「ちょっと待ってください、明からメッセージがきました」
 操作を間違えないように慎重に画面を切り替え、メッセージを開く。ざっと目を通し、紺野はほっと安堵の息をついた。携帯を耳に当て直す。
「解決したみたいです。全員無事に寮へ戻ったそうで、詳細は分からないから明日また連絡すると」
「良かったですねぇ。こっちも一安心です」
「特に何もなかったみたいで良かったな」
 三人同時に息をつく。この状況で何かあれば、事件と関係があるのではといちいち勘繰ってしまう。これはこれで疲れる。紺野はコーヒーに口を付け、了解と明へ返して頭を切り替えた。
「俺からは以上です」
「俺も特に」
「じゃあ俺だな。良親の携帯の件だが、自宅からは何も出なかった」
「空振りでしたか……」
「ああ。けど――」
 下平は、良親の両親の対応と、冬馬の戸籍謄本を回収したこと、リンとナナの件を報告した。
 深く考えても仕方がない。そう分かっていても、つい考えてしまう。良親が親から興味をなくされた理由は分からないけれど、アヴァロンで樹たちの関係を見ていたのは間違いない。親子ほどの年の差がある彼らが互いに気遣い、気にかける姿を目の前で見ていた。
 良親はただ、羨ましかっただけではないのか、と。
「やりきれねぇけど、冬馬が一番そう思ってるだろうな」
 ぽつりと呟いた下平の言葉に、そうですねと北原が同意した。確かにそうだ。ええ、と紺野も続いた。
 下平は気を取り直すように大きな溜め息をついた。
「あと尊の方だが、今朝、連絡入れた。母親が言うには、部屋から出てくるようにはなったらしいんだが、一言も口を利かないそうだ。まだ迷ってるみたいだな」
「カツアゲした挙げ句復讐されてるなんて、そう簡単に言えないでしょうね」
「ああ。さすがに過保護な母親も庇い切れねぇだろ。それに、父親がどう出るか」
 北原が言った。
「そういえば、父親はどんな人なんですか? 会いました?」
「事件の日、迎えに来た時に一度だけな。だから何とも言えんが、まともに見えたぞ。飲酒喫煙と深夜徘徊してて襲われただろ。尊を心配もしてたし、叱りもしてた。最後には、犯人を早く捕まえてくださいよろしくお願いしますって、頭下げて帰って行ったぞ」
「意外。まともですね」
 北原が素直な感想を言った。間違っていないので特に突っ込まずにおいた。母親も母親だが、と言いたくなるような父親だったらいっそ尊が不憫だと思うが、聞く限りではまともそうだ。尊はどんな気持ちで頭を下げる父親を見ていたのだろう。
「だからこそ迷ってるのかもな」
「父親が知ったら激怒するかもしれませんね。警察だけじゃなくて、菊池のところに謝罪に行くかも」
「そうなんだよ。まあ、それが普通なんだけどな」
 尊が頭を下げようが土下座をしようが、あるいは金を返そうが、雅臣の両親は決して許さないだろう。原因を作ったのは尊なのに、自分の息子が警察に追われるなんて理不尽すぎる。カツアゲなどされなければ、雅臣は受験生として日々過ごしていたはずなのに。
「リンとナナの件に関しては、もう冬馬たちに任せるしかねぇ。俺からはこんなもんだな。今日は特に収穫なかったからなぁ」
 下平の悔しそうな嘆息と、紙擦れの音がした。メモ帳を捲っているのだろう。
「お前ら、これからどうすんだ? 監視が付いてるだろ」
「それなんですよねぇ……」
 北原が困った声で呟いた。二人して監視されていては動けない。例の事件の再捜査をどうするか、目下の問題はそれだ。牽制されている以上、下手な動きはできない。今度は誰が狙われるか分からないのだ。だからといってこのままじっとしておくのは性に合わない。だがこのままでは、と堂々巡りの最中だ。
 三人同時に溜め息が漏れた。
 ふと、下平が笑いを押し殺した声で話題を変えた。
「そういやお前ら、お守り受け取ったか?」
 まさか聞かれるとは思わず、紺野はうっと声を詰まらせた。
「受け取りましたよ。恐竜柄でした!」
 堂々と、いっそ自慢気に答えた北原に、下平がぶふっと噴き出した。そりゃ笑うだろうよ。
「これ手作りですよね。華さんか夏也さんが作ったんですかね? 可愛いですよねぇ。もしかして、全員同じですか?」
「いや、俺は星だったぞ。赤地に白い星。青いのもあった」
「あ、それも可愛いですねぇ」
 そっちの方が良かった。
「初めは驚いたけど、これはこれでアリだな。紺野はどんな柄だったんだ?」
 経緯は知らないがわざわざ作ってくれたことは有り難い。だが、それとこれとは別だ。正直言って言いたくない。しかし、これが北原なら適当にごまかすのだが、下平に聞かれては答えないわけにはいかない。
 せめてもの抵抗に、紺野は目一杯間を開けた。
「…………車柄です」
 ぼそりと答えると、今度は二人の盛大な笑い声が鼓膜を直撃した。
「は……っ、肌身離さず持ち歩けよ……っ」
「車柄いいじゃないですかぁ、男の子っぽくて」
「誰が男の子だッ! 下平さんも笑いすぎです!」
 あからさまにからかう二人へ、顔を真っ赤にした紺野の怒号が響いた。今度明に会ったらどう仕返ししてやろう。
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