第1話

文字数 4,764文字

 自分の名前に、疑問をもたなかったわけではない。
 安倍晴明を祖に持つ土御門家長男の名が「(あきら)」。父をはじめ、歴代の長男には必ず「(せい)」の字が入っている。それなのに何故父は、あえて「明」と名付けたのか。
「お聞きになりましたか」
「ええ。晴様が九字結界を行使されたとか」
「まだ三つになったばかりでしたね」
「そもそも、あの名前」
「栄晴様は、次期当主に晴様をとお考えなのでしょうか」
「では、明様がお生まれになった時から?」
「先見をなさったのか、あるいは占術によるものか」
「しかし、栄晴様は何をお考えになっているのか、少々分かりづらいお方ですし」
「どちらにせよ、陰陽師としての才覚があるのは晴様で間違いないでしょうな」
 本人は覚えていないようだが、晴は齢三つにして九字結界を行使した。見よう見まねの遊び半分だったとはいえ、それは事実だ。そして次第に目覚める霊力は、長い時間をかけて引き出した明のそれと、容易に並んだ。
 幼い弟から見せつけられた、陰陽師としての才覚と、未知数の霊力。
 だが、そんなものどうでもよかった。もともと争い事は苦手で、ましてや可愛い弟と当主の座を巡って争うなど、冗談でもごめんだ。いずれ晴が当主となるのなら、それもいい。兄として精一杯支えてやるまでだ。
 それでも、どうしても名の由来だけは、聞けなかった。
 当主、才覚、霊力。それらへの執着はなくとも、生まれた時から――あるいは生まれる前から、父の期待はなかったと知るのが、子としてどれほど怖いことか。矛盾しているのは分かっている。執着はないけれど期待は欲しいなど、我ながら我儘だ。
「晴、(はる)
 陰陽師家当主とは思えないほど穏やかで優しく、いつものんびりとしていた父。そんな彼があからさまなことをするとは思えないし、母が許さなかっただろう。しかし、陰陽師であることに変わりはない。生まれてくる自分の子が当主としてふさわしいかどうか、事前に知る手立てがある。
 陰陽師の父を持った子であるがゆえの、疑心と不安。
「ドライブレコーダー映像? 今頃?」
 縁側に腰を下ろし、ペットボトル片手に聞いていた晴が眉をひそめた。
 氏子の代替わりが始まった頃、かつての急激な成長はなりを潜め、晴は訓練をサボるようになった。それは意図的なのか、無意識なのか。天の邪鬼な彼のことだ、理由を問い質してものらりくらりと逃げられる。どちらにせよ、晴の実力は今以上――当主である自分以上であることに間違いはない。
「それ、どう考えても合成じゃないですか?」
 同じように腰を下ろした陽が、汗を拭いながら小首を傾げた。
 陽は、真面目で聡く、心優しい。成長速度は少し心許ないけれど、確実に、また着実に伸びている。生まれてすぐ母を亡くし、六年前に父を亡くしたせいか、少々しっかりしすぎなきらいはあるが、時折見せる年相応な姿は、親代わりとしては安心するばかりだ。無理して背伸びをしているのではないかと、思ってしまうから。
 余計な心配をかけるわけにはいかず、聞くつもりはないけれど、陽は兄二人の名をどう捉えているのだろう。
「そうだろうね。映像の解析はするらしいが、とりあえず任意同行をかけるそうだ」
「なに他人事みたいに言ってんだお前」
「明兄さん、応じるんですか?」
「もちろん。ここで拒否すると、ますます嫌疑をかけられる。それに、面白そうだろう?」
 余裕の笑みを浮かべた明に、晴と陽が呆れた顔をした。
「面白いってなぁ……」
「貴重な体験だ。せいぜい楽しませてもらうさ」
「ほんっと、いい性格してるよな、お前」
「お褒め頂いて光栄だよ」
「褒めてねぇ」
 渋面で即座に突っ込んだ晴に肩を震わせ、明は改めて二人の弟を順に目に止めた。
「晴、陽。お前たちに、話しておくことがある――」
 結局、この名の意味を聞く覚悟ができる前に、父は殺された。
 焼死体となって発見された藤本、のちに指名手配された岡部の両名による、自殺目的の線が濃厚だと説明を受けた。しかし、路上生活者が自殺をするのに、何故盗んでまで車による自殺を選んだのか。またあの時間、あの場所を通る車の数は極端に少ない。偶然巻き込まれたにしては、あまりにも不自然だった。目撃者はおらず、現場付近に防犯カメラはない。遺留品も全て燃えて灰となり、鑑定は不可能。加えて、唯一の生存者は行方不明。
 真実を知る方法は、一つしかなかった。
「それ、本当か……?」
「ああ、おそらく間違いない」
「……じゃあ、父さんは……」
 六年越しに突然こんなことを聞かされて、動揺しないはずがない。呆然と目を丸くした二人に、明は小さく頷いた。
 沈黙が落ちた縁側に、うるさく鳴く蝉の声と近所の喧騒が響く。陽が声を殺してタオルに顔をうずめ、やがて、晴が俯いたままぽつりと口を開いた。
「何で、黙ってた……?」
 低い声。怒りを押し殺した声だ。陽がゆっくりと悲しげな顔を上げた。
「六年前、お前はまだ十六、陽は八つだ。話すには酷だと判断した」
 ぐしゃりと歪な音を立てて、晴がペットボトルを握り潰した。
「見くびってんじゃ……ッ」
「晴」
 勢いよく顔を上げた晴の言葉を、明が強く静かな声で遮った。
「お前は、黙っていられるか?」
「……っ」
 真っ直ぐな眼差しで見据えた明に、晴が声を詰まらせて身を引いた。
「こちらが岡部を探していることを知られれば、せっかくの証人を消されてしまう恐れがある。それだけは絶対にできない。だから話さなかった」
 計画の全ては、予定通りだっただろう。しかし、一つだけ予想外の出来事が起こった。それが岡部の逃走だ。妙子(たえこ)が会っていた「主」なる男からの情報もなかったため、探していたかどうかはっきりしたことは分からない。もし探していたとしても、口封じが目的ならば大っぴらにできなかったはずだ。だからこそ六年という年月が経ち、しかし彼らより先にこちらが発見できた。
 晴は俯いて奥歯を噛み締め、陽も膝の上で拳を握り締めたまま、動かなくなった。
 しばらくして、晴がおもむろにへこんだペットボトルを煽った。全て飲み干してから、側に置いていた煙草に手を伸ばす。
「晴」
 陽の近くで吸うなと約束している。無意識だったのだろう、咎めるように名を呼んだ声に、晴ははたと我に返って手を引っ込めた。
「いいですよ、晴兄さん」
 そう言って苦笑した陽の目は、わずかに充血している。
「陽、晴を甘やかしちゃ駄目だよ」
 晴が心外そうに顔を歪めた。
「誰が甘やかされてるって?」
「おや、自覚がないのか?」
「覚えがねぇっつってんだよ」
「甘やかされすぎて麻痺したか。贅沢だな」
「おま……っ」
 遠慮なく切り返すと、晴は中途半端に言葉を切り、諦めたように溜め息をついた。
「……宗は……、知らねぇか」
 独り言のようにぽつりと呟き、晴は「ああクソっ」と悪態をついて乱暴に頭を掻いた。
「ああ、宗史(そうし)くんにも伝えていない。彼は――」
 陽が明を見やり、晴が俯いて困ったようにうなじに手を当てた。
「優しすぎる」
 幼い頃から次期当主として自覚を求められ、彼自身もその立場は承知していた。しかしそれでも、当時はまだ、十四の子供だった。
「だが、妙子さんから報告が入れば、全て伝わる」
 宗史にとって栄晴は二人目の父であり、師匠でもあった。だからこそこれは、次期当主となる彼が乗り越えるべき試練でもある。
 晴が盛大に息を吐き出した。
「ったく、あいつは……、面倒臭ぇな」
 悪態をつきながらもフォローする気満々の晴に、明と陽は顔を見合わせて笑みを浮かべた。
 と、軽快なチャイムが鳴り響いた。
「さて、お迎えだ」
 明はゆっくりと腰を上げ、袂から霊符を取り出して庭へ放つ。晴と陽も立ち上がり視線を投げた。
(せん)
 名を呼ぶや否や、霊符の周りに真っ白な煙が渦を巻いて出現し、一気に量を増した。霧散し、中から見慣れた着物の柄がちらりと現れる。
「お前たちは、宗一郎さんの指示に従いなさい。いいね」
「……ああ」
「分かりました……」
「承知した」
 急かすようにもう一度チャイムが鳴り、明は、せっかちだなぁとぼやいた。縁側から下りて草履を履き、直接玄関の方へ向かう。駆け出そうとした陽を「不自然だろ」と晴が止め、一方閃はその場で軽く飛び跳ねて屋根の上へ着地した。
 通用口のかんぬきを抜いて扉を開けると、表情は平静を装っているが、警戒心丸出しの刑事が四人立っていた。門前に二台の捜査車両が停まっている。
 明は扉を支えたまま、眼鏡の奥でにっこりと笑みを浮かべて小首を傾げた。
「どちらさまでしょうか」
 尋ねる途中で、待ちかねたように一人の刑事が手帳を掲げた。
「警察です。土御門明さんですね?」
「はい」
「矢崎徹さんが殺害された日時のドライブレコーダーに、貴方の姿が映っていました。話をお伺いしたいので、ご同行をお願いします」
 明は驚いたように瞬きをし、顎に手を添えると逡巡した。
「それは変ですねぇ。あの日は外出していませんが」
「拒否されますか」
 視線がわずかに鋭くなり、明は顎から手を離して肩を竦めた。
「いいえ、まさか。調べられて困ることはありません。ご一緒しますよ」
 余裕の笑みと態度に、刑事らの訝しんだ視線が注がれる。
「ああ、でもその前にちょっと」
 明は庭の方を振り向き、「晴、陽」と声を張って二人を呼んだ。晴が言い聞かせたらしい、何があったのかというふうな顔をして二人が姿を現した。手招きをして呼び寄せ、事情を説明する。
「任意同行ですか?」
「ふーん。ま、行って来いよ。どうせすぐ解放されんだろ。大変だな、警察って」
 陽は驚いた顔をしたが、晴はさして驚きもせず、しかし嫌味ったらしい顔で嫌味ったらしく言い放った。敵対心丸出しだ。やめなさい、と明が小声で窘める。
「申し訳ありません、いくつになっても反抗期で」
「誰が反抗期だ」
 笑顔でおどけた明と速攻で突っ込んだ晴に、刑事たちが戸惑った表情を浮かべた。
「じゃあ、行きましょうか。晴、陽を頼んだよ」
「はいはい」
 軽く答えた晴にますます困惑した顔をして、刑事らは明を取り囲み車へと誘導する。追いかけるように陽が飛び出し、晴が続いた。
一人が運転席へ回り込み、後部座席には明を真ん中にして二人、残りの一人はもう一台の捜査車両へ乗り込んだ。任意同行なのに、まるで犯人扱いだ。
 ドアが閉まると、明が刑事の向こう側からひょいと顔を出し、笑顔でひらひらと手を振った。
「あいつ……」
 溜め息交じりでぼやいた晴とは反対に、陽は今にも泣きそうな顔できゅっと唇を噛んだ。
 明を乗せた車が先行し、二台目が門前から発車する。道路まで走り出た陽を追いかけて、見えなくなるまで車を見送った。
「陽」
 車が消えた道路を見つめる陽の頭に、ぽんと手を乗せる。
「大丈夫だ、心配すんな」
「……はい」
 力なく返事をして、踵を返す。通用口の内側にはいつの間にか閃が降りてきていて、晴と陽がくぐるとすぐに扉が閉められた。
 例の映像は合成で任意同行に拘束力はなく、帰ろうと思えばいつでも帰れる。頭では分かっていても、あんな話を聞いた上に、目の前で兄が警察に連行される様を見て不安に思わないわけがない。それに、警察側からしてみれば願ってもない証拠だ。すでに思い付く限りの防犯カメラは調べ尽くしているだろうが、何だかんだ理由を付けて、帰そうとしない可能性もある。
 映像が合成だと判明し解放されるのが先か、明が茶番に飽きるのが先か。
 どちらにしろ、明が捕まることはないのだ。今は、やるべきことをやらねば。
 閃に肩を抱かれて庭へと戻る陽の後ろで、晴は携帯を耳に当てた。土御門家当主が不在となった今、全ての指揮権は賀茂家当主にある。
 ああ俺、と待ちかねたようにコール二回で繋がった宗一郎へ報告をしながら、晴は嫌味なくらい晴れ渡った空を仰いだ。
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