第4話

文字数 4,641文字

 年を取ると、疲れが取れにくくなる。
 朝七時過ぎ。寝た気がしねぇとぼやきながら仮眠室から出て身支度を整え、コンビニで朝食を調達してから屋上に出た。日に当てていたら煙草に火がつくんじゃないかと思うほど、今日も今日とてお日様は元気だ。
 そんなことを思っても、そう気は長くない。下平はライターで煙草に火をつけ、吐き出した紫煙をぼんやりと目で追いかける。まずは、と停止していた脳みそを動かし、時系列に本日の予定を整理する。
 これから捜査会議を終わらせ、榎本への説明はそのあと。捜査に出るふりをして車内で説明し、午後からは捜査資料の整理をやらせるか。会合に連れて行けと言われるだろうが、彼女をこれ以上深く関わらせるわけにはいかない。向こうの予定にもよるが、熊田と佐々木に連絡を取って早めに合流し、昼食ついでに昨日の報告と美琴のことを話しておきたい。それから寮の会合に出席。何も起こらなければ、今日一日の予定はこんなところだ。
 あとは冬馬たち。冬馬は警察の対応、店や本社への報告に追われ、智也は入院、圭介たち三人は聴取の確認があるだろう。樹も気にするだろうし、どうなったか聞いておこう。
 下平は内ポケットから携帯を取り出して、冬馬へメッセージを送った。あとは熊田と佐々木にも。他にメッセージや着信はなく、下平は眉尻を下げた。北原は、まだか。
 自由に動けるようになるし、会合が終わってから様子を見に行こう。下携帯を内ポケットに押し込み、煙を深く吸い込んで、長く吐き出す。
 龍之介が事件に関わっていたのならば、リンとナナの件はおそらく計画のうちだ。正確には、想定内と予想外が半々。
 良親が平良に協力した時点で、リンとナナの存在は知られていた。龍之介なら興味を示すと考え、わざと二人のことを伝えたのだろう。隠し撮りする隙はいくらでもあっただろうし、特徴も分かる。目的は、あのタイミングで龍之介が冬馬たちの周りに現れたと、下平経由でこちらに知らせること。つまり、龍之介には悟らせずに、事件との関係を匂わせることが目的だった。
 だが、あからさまだと目をつけられる。龍之介には、アヴァロンには行くなと言い含めた。事件を起こす前に龍之介を確保されれば、計画が頓挫するからだ。あくまでも「匂う」程度にとどめなければいけない。そこで、「良親の仲間にナンパさせて連れて行くからグランツにいろ」とか何とか、やる気もないことを適当に言ってグランツに行くように仕向けた。龍之介が先に興味を示したのか、それとも煽ったのかは分からないが。
 もし龍之介がグランツではなくアヴァロンに行っていたら、迷うことなく事件に関与していると判断していた。それくらいタイミングが良かったのだ。
 だが一つ予想外の出来事が起こった。リンとナナが自らグランツに行ってしまい、案の定龍之介がちょっかいを出してしまったのだ。さすがの犯人たちも、リンが冬馬に相手にされず拗ねてグランツに行く、などと予測はできない。手酷く断られ、龍之介がムキになって二人を襲うと言い出した。犯人側からしてみれば、リンとナナは標的基準外だ。あくまでも計画遂行のために表向き利用しただけで、彼女たちに実害を出すつもりはなかった。何せ向こうには深町弥生がいる。放置しておくことはできず、利用することにした。廃ホテルの事件の時も、いざという時のために二人を監視していたかもしれない。
 龍之介のせいで計画を変更することにはなったが、結果的に本来の目的を果たし、草薙らの排除にも成功した。といったところだろう。
 リンとナナを守ろうとしたことは褒めてやる。と言いたいところだが、そもそも奴らが巻き込んだのだ。自分の尻を自分で拭ったに過ぎない。
「ったく、回りくどいやり方しやがって。腹立つ」
 下平は渋面でぶつくさ言いながら吸殻を灰皿に放り込み、コンビニの袋を漁った。梅干のおにぎりの包装を剥いて、がぶりとかぶりつく。
 リンとナナの件は、アパートや周辺の防犯カメラを調べれば、実行犯の身元を洗うのに時間はかからないだろう。志季の証言では生きていない可能性が高いけれど、二人の証言から警察は確実に龍之介を調べる。とはいえ、奴は今頃府警本部で聴取の真っ最中だ。拉致未遂事件の担当刑事は、龍之介が自首したと聞いて府警本部へ取り調べを申請するだろう。そこから龍之介たちの溜まり場を聞き出し、動画が残っていれば二年前のことや余罪が発覚する。
 また横領事件の方は、花輪節子も当然取り調べを受けることになる。接触した怜司の仲間のことも証言するだろうが、何せ名前を明かしてないのだ。横領の証拠を握っていたのだからと社内を調べても、仲間たちは当然知らぬ存ぜぬだ。桂木香穂の関係者を当たっても、怜司が知らせているらしいから両親は口をつぐむ。あとは銀行だが、こちらは賀茂家がついている。すでに何かしらの手を打っていることだろう。他に分かるとすれば、花輪の証言からの似顔絵か、接触した店の防犯カメラ映像だが、こんなもの変装すれば済む。
「……ほんと、ややこしいな」
 あっちこっちから鬼代事件に繋がる。よくもここまでややこしくしてくれたもんだと、文句の一つも言いたくなる。草薙たちの不正を知っていて殺す気がないのなら、いっそ会話を録音してマスコミやら警察に流せばよかったのに。六年前の事故を問い質せなくなるのは申し訳ないけれど。
「ん」
 下平はおにぎりにかぶりつこうと大口を開けたまま止まった。
 マスコミといえば、健人の目的はどうなったのだろう。そろそろ痺れを切らして、四年前の事件と共に田代基次が殺害されたと拡散してもいい頃だが。慎重に時期を見計らっているのか。
 下平はおにぎりにかぶりついた。
 それと警察。昨日、紺野はなんて言った? 確か、加賀谷は詳細を知らなかったと言っていなかったか。だとしたら、三宅と田代が殺害された亀岡の事件はどうなる。
 こちらの推理は、協力者を探っていた紺野と北原への牽制。その協力者は加賀谷で、だが詳細を知らなかった。けれど、少女誘拐殺人事件の犯人が殺害された時点で、情報を流した草薙が関与していると察したことは間違いない。さらに紺野と北原が自分を探っていることを知った。もしそうだとしても、草薙に手を貸した時から覚悟はできていたと証言したのならば、妨害工作などするだろうか。
 もう一つ。犯人たちは、草薙の罪を暴こうとしていた。加担した加賀谷も一緒に。だとしたら、加賀谷を調べていた紺野たちを牽制するだろうか。むしろそれが狙いだったはずだ。
 あれは加賀谷の指示、あるいは要求でなく、さらに紺野たちへの牽制ではなかった。とすると、三宅と田代を同時に殺害したのは計画通り――いや、事件が起こった時、どの刑事が担当するかは分からない。つまり、紺野が鬼代事件を担当したことは予想外。いやいや、昴がいるのだから予想くらいはしたか。となると、やはり紺野を担当から外すために計画を前倒しにした可能性も、なくはない。計画の変更というよりも、用意していたいくつかのパターンの中の一つ、と考えるべきか。その場合は、昴の気遣い。身内である紺野を巻き込まないために?
「んー……」
 下平は、自分の考えを訝しそうに眉根を寄せ、喉の奥で唸った。
 朱音と三宅が離婚したのは、昴が三つの時。朝辻家の養子となったのが、その二年後の五歳。二年間、昴は紺野家で暮らしていて、養子となったあとも紺野は足繁く朝辻家に通っている。昴は、年の離れた兄くらいには思っていただろう。ならば、犯人たちは紺野がはいそうですかと素直に引き下がらない性格であることは知っていた。
 つまり、担当から外しても無駄。と、分かっていたはずだが。紺野を外す目的ではなかったのだろうか。
 そういえば以前、北原が「三宅と田代、お互いに恐怖を与えるため」ではないかと言っていた。もしかすると当たっているかもしれない。
 ごくりと飲み込んで、不快気にぼそりと呟く。
「……ゲームか」
 平良個人ではなく、犯人たち全員がそう思っているのだろうか。わざと事態をややこしくして、こちらの出方と反応を見て楽しむ。もしそうだとしたら、質が悪すぎる。
 昨夜、タクシー運転手に起こされた時には署の前で、しかも料金はもらっていると言われた。後輩にタクシー代を出させるなんて不覚だ。自宅を経由したのだから、紺野は気にしなくていいと言いそうだがそうもいかない。せめて半分は出さなければ。熊田たちに頼んで渡してもらおう。
 そんなことを考えながら着替えを済ませ、頼まれていた犯人たちの身元を洗った。だが、新たに名前が浮上した楠井道元、満流親子と玖賀真緒の情報はなかった。補導歴もなければ、被害者でも加害者でも遺族でもない。これまで事件や事故とは無縁だったわけだ。念のために捜索願の方も調べたが、ヒットしなかった。
「それもなぁ……」
 これまでのパターンに沿えば、何かしらの事件関係者だと思ったのだが。ただ、平良も特殊ではある。
 北原の件は、捜査本部に平良の身元を明かし、雅臣や健人同様、何かしらの事件を表沙汰にするため。と推測もできたが、結局身元は判明しなかったので違う。そもそも、何か過去があるのなら因縁の相手を狙うはずだ。それとも、もういないのだろうか。すでに自ら手を下したか、あるいは「過去」の時点で死んでいる。それでも怒りは収まらず、歪んだ憎しみは世界そのものへ向けられた。もっと単純に考えるならば、現実とゲームの区別がつかないか、猟奇的な快楽殺人者。だとしても、何かしらきっかけがあるはずだ。
 前科があってもそこに至った原因が分からないのは、何だか不気味だ。
 下平は渋い顔で最後の一口を放り込み、もぐもぐと口を動かしながら包装をくしゃりと丸めた。
 なんにせよ、ひとまずリンとナナの件は完全に終息した。そこだけは一安心だ。二人には冬馬たちがついているし、任せて大丈夫だろう。ただ、冬馬たち――特に冬馬に関しては気が抜けない。
 先日、リンとナナの護衛の件で宗史からもらった連絡には、平良が冬馬を狙う確率がかなり高いことも書かれていた。宗史の推測通り、昨日は冬馬たちを狙うつもりがなかったのだ。そう分かっていたからこそ、志季も冬馬を賀茂家に連れて行き、案の定、かすり傷一つ負わずに見逃された。
 いくら樹が強いからといっても、どうしてそこまで執着するのかさっぱり分からない。あの男は本当にどうかしている。
 下平はペットボトルの蓋を開け、お茶でおにぎりを流し込みながら、今度は鮭のおにぎりに手をつける。これはこれで美味しいけれど、たまには炊きたてのご飯と味噌汁の朝飯が食べたい。卵焼きと焼き鮭と納豆があればなおよし。紺野の家に泊まったら食べられるだろうか。
 紺野が聞いたら、自分で作ったらいいじゃないですかと呆れられそうだが、自分で作るのと人に作ってもらうのとでは有難さが違う。そもそも、料理は苦手だ。味噌汁は出汁を入れるんだったか?
 少々虚しい気分になりつつおにぎりを頬張っていると、携帯が着信を知らせた。熊田からだ。会議が終わったら連絡するとのこと。よろしくお願いしますと返信し、時計を見ると八時十五分を表示していた。まずい、さっさと食べなければもう一服できない。
 下平は残りのおにぎりを口に押し込み、お茶で無理矢理流し込んだ。すぐに煙草に火をつけて食後の一服をしてから、小走りで課に戻った。
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