第16話

文字数 2,776文字

 確かに、目的は悪鬼の調伏だった。だがそれをわざわざ説明する義理はない。未成年を助けたついでに違法行為をしていたから通報した。成り行きだが事実だ。それなのに、何故警察署に連行されて事情を聞かれているのか理解できない。この時間では、今報告書を上げても返答は朝になるだろう。
 早めに意見を聞きたいと言った相棒はすっかり機嫌を損ね、明後日の方向を向いたままさっきから一言も喋らない。腕組みをし、組んだ足を苛立たしげに揺すっている。
「つまり、道を歩いていたら男の子たちに助けを求められた。行ってみたら男に襲われてる少年がいて、襲っていた男はすぐどこかに逃げた。それで貴方たちは通報した、で、間違いない?」
「ええ、間違いありません」
 同じことを何度聞けば理解するのだろう。この、少年課の若い女刑事は。
 通報してから現場に駆け付けたのは、近くの交番の警察官だった。すぐに巡回していた機動捜査隊が到着し、事情を聞かれた。そこで、洗いざらい喋った。おかしな男が少年を襲っていたから助けようとした。飛びかかったらすぐに逃げた、と。さすがに悪鬼だの哨戒中だの話すと面倒だから省きはしたが、ほぼ嘘は言っていない。
 その後、被害者であり不法侵入の被疑者が未成年ということで少年課の刑事が駆け付け、保護、連行された。助けを求めた少年二人も、置き去りにした少年の証言から街を歩いているところを保護され、さらに三人の親が先ほど泡を食って訪れた。今は、建造物侵入と飲酒喫煙の件も含め、別室で取り調べを受けている。
「で、僕たちはいつまでここにいればいいの」
 心底機嫌の悪い無愛想な声色で、樹が一時間半ぶりに口を開いた。テーブルの向こう側に座った女刑事は、何か書き込んでいた調書から視線を上げた。
「もう少し待ってくれる?」
「あのねぇ……っ!」
 樹の気持ちも分かる。あれから二時間も経っている。
「さっきから何度も何度も同じことを繰り返し聞いてくるけど、あんたちゃんと話し聞いてる? 調書取ってるんだよね? で、僕たちは目撃者だよね? 普通目撃者の調書って、一度聞いてから後日改めて間違いがないか確認って形が多いよね? それなのに何で僕たちは二時間もここで聴取されてるの? 何がそんなに分からないの? 難しい流れの話じゃないよね? いい加減にしてくれないかなぁっ!」
 声を荒げる樹をじっと見つめ、女刑事は何故か鬼の首を取ったような顔で言った。
「やけに詳しいわね。何で?」
「こんなことネットで調べればいくらでも分かるだろうがッ!」
 口調が乱暴になってきた。そろそろ限界か。
 怜司が口を挟もうとした、その時。
「あんたじゃ埒が明かない! 下平さんいないの!?」
 樹の口から知らない名前が飛び出した。誰だ、と思っていると、女刑事の方は知っているらしく怪訝な表情を浮かべた。
「何で下平さんのこと君が……」
「おー、なんだ。聞き覚えのある声がしてると思ったら、樹じゃねぇか。つか何で少年課にいるんだ? もう少年って年じゃねぇだろお前、何やらかした」
 女刑事の言葉を、軽口を叩くしゃがれた声が遮った。振り向くと、金髪の少年一人を引き摺るようにして連行した中年の男が一人、こちらを見て懐かしげに笑っていた。樹が立ち上がり、女刑事を指差した。
「ちょっと下平さん! この人大丈夫なの!? ちゃんと新人教育してんの!?」
「ちょっと君!」
「何だよ! あんたが人の話ちゃんと聞いてさっさと調書取らないから悪いんだろうが! あんたそれでも刑事か!? こっちは暇じゃないんだいい加減にしろッ!!」
 駄目だ、限界だ。大河同様、樹も普段の口調は穏やかだが、怒るととたんに口調が変わる。
「樹、ちょっと落ち着け」
 怜司が立ち上がり樹の肩に手をかけると、強く振り払われた。
「っ!」
 声を詰まらせたのは、樹の方だった。そして、こちらを見つめるその表情に、怜司は目を丸くした。初めて見る、怯えた顔。
「樹……?」
 どうした、と尋ねる前に、樹は弾かれたように部屋から飛び出した。
「おいっ!」
 何が何だか分からない。怜司が追いかけようと椅子を避けると、女刑事も立ち上がった。
「ちょっと待ちなさい!」
「やめとけ」
 制止する声に思わず怜司も一瞬動きが止まり、下平と呼ばれていた男を振り向くと視線で「行け」と促された。怜司は小さく会釈をし、後を追った。すれ違いざま、下平に囁かれた。
「あいつ、あれでかなり繊細だからな。気ぃ付けてやれよ」
 ずいぶんと樹を理解しているような口ぶりに振り向くと、下平は連行してきた少年を別の刑事に引き渡しながら女刑事から調書を受け取っていた。
 ああそうか。怜司は何となく理解した。
 少年課を出て玄関まで一気に抜ける。怜司はぐるりと周囲を見渡しながら歩道へと向かった。
左手の半円状に奥まった場所には自転車が一台、パトカーが一台停まっている。その半円状の場所の前、歩道の手前ぎりぎりに設置されているのは、花壇のようにコンクリートで囲んだ砂の中に埋め込まれ、ライトアップされた「下京警察署」の文字を掲げた大きな石柱――これも社名板と言うのだろうか――と、日本国旗をはためかせたポール。
 その下に、樹はいた。コンクリートの端に、子供のように膝を抱えて丸くなっている。両腕で抱え込んだ膝に顔をうずめ、ぴくりともしない。
 いい年をした大の男が警察署の前で膝を抱えて丸まっている姿は、はっきり言って不審だ。酔っ払いか。
 怜司は溜め息をつき、ゆっくりと歩み寄った。
「ここ、動くなよ」
「どこ行くの」
 打てば響くような反応だったが、顔はうずめたままだ。
「そこのコンビニ。すぐ戻る」
 道路を挟んだ目の前にコンビニが見えるが、いかんせん片側三車線の道路を警察署の前で渡るほど無謀ではない。確か同じ通り沿いにもう一軒あったはず。
 怜司は五分ほどで戻ってくると、同じ体勢でじっと待つ樹の頭に、ぶら提げていたビニール袋を置いた。
「帰るぞ」
 樹は無言でゆっくりと頭を上げながら、ビニール袋に手を伸ばした。
「何、これ」
「言ったろ」
 怜司が手を放すと、樹は袋の中を覗き込んだ。プラスチックの容器に入ったチーズケーキとプリンが一つずつ入っている。樹は袋の中をじっと見つめたまま、ぽつりと言った。
「今食べていい?」
「せめて車に戻ってからにしろ」
 こんな夜中に何が悲しくて男がスイーツを食べ終わるのを警察署の前で待たねばならんのか。
 行くぞ、ともう一度促し、返事を待たずに踵を返すと、樹はビニール袋を提げて立ち上がった。
「ダブルシューかティラミスが良かった」
「張り倒すぞお前」
 軽口を叩きながら追いついてきた樹が、はにかむように笑った。
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