第12話

文字数 2,136文字

「あっ、香苗ちゃん!」
 閉まる扉の隙間から大河の声が届き、そのままぴったりと閉められた。どうやら向こうも終わったらしい。あの弘貴の叫び声は何だったのだろう。
 宗史が息をつくと、歓声が響いた。そのすぐあと、樹さんたちにも教えてくる! と大河の大きな声が聞こえ、慌ただしく廊下をかける足音と、茂たちの微かな話し声が遠ざかって消えた。
 晴がくくっと喉で低く笑った。
「あいつ声でけぇ。しかも携帯忘れてるし」
 グラスを持ち上げてストローをくわえる。
「それだけ嬉しかったんだろう」
 会合や寮に来た時に顔を合わせていることもそうだが、何より廃ホテルの時、北原に助けられている。大河にとって、慕う理由は十分なのだろう。
 と、今度は庭の方から樹たちを呼ぶ大河の声が響き渡り、歓声が響いた。よっしゃよくやった、と叫んだのは志季だ。
 宗史は、苦笑いしながらチェストに置いていたペットボトルへ手を伸ばした。
「お前の式神も相当うるさいぞ」
「そんなことまで責任取ってられるか」
 苦い顔でぼやいてグラスをテーブルに戻した晴を一瞥し、宗史はペットボトルをあおる。
「……話すのか」
 神妙に問われ、宗史はペットボトルから口を離した。静かに息を吐き出す。
「ああ」
 端的な答えに返ってきたのは、渋い顔だった。
「まあ、いつかは話さなきゃいけねぇけど……、春のこともあるしなぁ」
 宗史はペットボトルをチェストに戻し、枕に背を預けた。
「春がどうかしたのか」
「んー、お前がやらかしたあとの話なんだけどな」
 間違っていないけれど何て言い草だ。宗史は突っ込みたい衝動を堪えて、省かれていたやり取りに耳を傾けた。右近と大河のやり取りや、風呂場でのこと。
「それ、大河は?」
「確実に気付いてるぞ。今朝も気付いてないふりしてたし、春も普通にしようとしてたみたいだけど、傍から見たらどっちも不自然なんだよ」
「そうか……」
「しげさんも春と美琴のこと心配してたぞ。ああでも、美琴はいつもと同じに見えたな」
「美琴はしっかりしてるから。自分で考えて答えを出す癖がついてるんだろう。とはいっても……」
「悔しいだろうな」
 宗史は返事の代わりに重苦しい息をついた。美琴は努力をしてきた分だけ屈辱を覚える。相手が大河ならなおさらだ。さらに訓練に励むとは思うが、無茶をしなければいいけれど。そして春平。美琴以上に難しいのは彼だ。卑屈になって、自分を卑下するかもしれない。いっそ事件から外れたいと言い出す可能性もある。それはそれで春平の意志だし、強制はできない。けれど実際問題、戦力が落ちる。
「距離を置いて、ゆっくり考える時間が必要かもしれないな。ちょうどいい」
「だな。早けりゃ明日か」
「ああ」
「つーか、いいのかよ。こう次から次へと。あいつまたごちゃごちゃ考えねぇか?」
「今話さなければ、多分手遅れになる」
「そりゃまあ、そうだけどさぁ……」
 一蹴され、晴は苦い顔で嘆息した。
 いつか必ず知る時が来る。ならば、敵の口から知る前に、自分たちから話してやった方がいい。それに、しばらく一緒に行動することになる。近くにいて大河の様子を窺ってやれるし、省吾たちもいる。ちょうどいい機会だ。
 晴がやれやれといった顔で腰を上げた。自分の携帯をポケットに突っ込んで、トレーにグラスを乗せる。
「そんじゃま、昼飯までゆっくりしてろよ」
「ああ。っと、晴。夜に電話するから」
「何かあったか?」
「実は、影綱の日記に気になる記述があってな。父さんも気にしていたから、一応お前にもと思って。明さんから聞いてないか?」
「いや、聞いてねぇ。そんな大層なことなのか?」
「俺たちの推測が間違っていなければ」
 ふーん、と不思議そうな顔で晴は小首を傾げた。
「それと、明さんと陽は今日どうするんだ?」
「あー、警察が張り付いてるだろうからなぁ。さすがに真っ昼間から変化させるわけにはいかねぇし。電話じゃねぇ?」
「そうか……」
 きちんと顔を見たかったのだが。宗史が残念そうに呟くと、晴はグラスを二つと大河の携帯を乗せたトレーを持ち上げた。
「とりあえず、余計なこと考えてねぇでさっさと休め。大河に怒られるぞ。つか、あいつ意外と過保護だよな」
 喉で笑いながら部屋を出て行く晴の背中を、宗史は複雑な顔で追いかける。心配してくれているとは思うが、過保護まではいかないだろう。と思う。
「じゃあな」
「ああ」
 ひと言残し、晴は部屋をあとにした。
 一人残された部屋で、宗史は息をついた。ついと窓へと視線を投げる。差し込む夏の日差しに乗って、大河たちの騒がしい声が微かに届く。
 ――大丈夫だろうか。
 不意に椿への心配が頭をもたげ、同時に大河が話題にしなかったことに気付く。いの一番に聞いてきそうなことを、聞いてこなかった。さすがに頭になかったわけではないだろうから、ここは椿のことを信用していると取るべきか。
 後悔はしていない。けれど、式神がいないことが、少し――。
「自分で命令しておいて……」
 情けない。
 宗史は口の中で自分を罵り、ごそごそと布団にもぐって目を閉じた。「ぎゃあ」やら「うわっ」やら悲鳴ばかりが聞こえるが、大丈夫か。
「……眠れる気がしない」
 ぼそりと吐き出して、宗史は布団を頭までかぶって喧騒を遮断した。
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