第10話

文字数 2,977文字

「悪いが、断る」
 熊田がきっぱり言い放ち、とたんに樹の眉間に皺が寄った。二人の間に険悪な空気が流れ始める。それなのに宗一郎たちは沈黙を守ったままで、大河ははらはらしながら視線を泳がせた。
「確かに、俺たちには霊感なんてもんはねぇ。昨日の件でどれだけ危険なのかも実感した。けど、俺たちは仲間をやられてんだ。手を引いてくださいって言われて素直に聞くと思うか?」
「プライドと命を天秤にかけられるようなレベルの事件じゃないって言ってるんだよ」
「そもそも、北原が襲われた時と状況が違う。内通者も警察内部の協力者も、もういねぇ。顔は知られただろうが、素性まで犯人に伝わってるとは思えん。昨日あの場所に紺野はいなかったし、岡部の録音にも名前は入ってなかったはずだ。下平さんの同僚くらいには思われてるかもしれんが」
「楽観的すぎる」
「お前の推理も憶測だ。確証はねぇ」
 ドンッ! と樹が拳をテーブルに叩き付け、身を乗り出した。
「何かが起こってからじゃ遅いんだよ!」
「おい」
「そこまで」
 下平と宗一郎が同時に口を挟んだ。落ち着けと下平が樹の肩に手をかけ、宗一郎はどこか楽しげな笑みをうっすらと浮かべている。樹はきつく唇を結んで身を引いた。
「平行線だ。どちらの主張も間違っていない。明、どう思う」
 宗一郎が携帯へ視線を投げると、そうですねぇ、とのんびりした声が届いた。
「推測、憶測と言われれば、敵の目的はともかく、ほとんどがそうにすぎません。しかし、樹の危惧も正しい。ですが実際問題、紺野さんと北原さんが動けない今、熊田さんと佐々木さんの協力は有難い。それに、素性を知られていないとしても、お二人の存在は確実に知られています。ここで離脱させるのは逆に危険かと。事件から外せば無事という保証はない。重要なのは、敵側がどう認識するか。それが読めない以上、お二人には状況を把握しておいていただくべきでしょうね」
「それは分かって……っ」
「もちろん、条件があります」
 樹の声を強く遮り、明は続けた。
「細心の注意を払って頂くこと、決して独断で動かないこと、報告を徹底すること。できることなら夜道を避けて頂きたいのですが、難しいと思うので、人通りが多い道を選ぶかタクシーや車を使うこと。この四点です」
 要は、今の体勢に変更なしだ。にっこり笑顔の提案に乗ったのは、熊田と佐々木だ。
「構いません」
「あたしもです」
 一方、樹はこれ以上ないほどに不満顔をしている。そんな樹に、佐々木が声をかけた。
「樹くん。あたしたちは、長年組織にいるわ。報告、連絡、相談の基本的なことは身に付いてる。もう、習性って言ってもいいかしら」
 佐々木は自嘲気味に笑い、おどけるように肩を竦めた。熊田が続く。
「それに、これでも立場はわきまえてるつもりだ。さっきはあんなこと言ったけど、この事件は俺たちよりもお前たちの方が犯人の動向を正確に読める。だったらどうするべきか、ちゃんと分かってるぞ。絶対に勝手なことはしない、約束する」
 真摯と言ってもいいくらい真剣な眼差しの二人を、樹は真偽を探るような目でじっと見据える。
「あとな、樹」
 下平が口を挟み、内ポケットから携帯を取り出して操作した。それを見て、紺野と熊田と佐々木も同じように携帯を引っ張り出す。
「実は、お前たちに倣ってGPSを設定した。榎本たちもだ」
 下平は樹、紺野はテーブルの真ん中、熊田は宗一郎、佐々木は柴と紫苑へ、それぞれ携帯を差し出す。各々、身を乗り出したり受け取ったりして確認する。
「それと、迷ってたんだけどな。さっきの話を聞いて決めた。あとで冬馬にも話して、GPSを設定させる。宗史から聞いたぞ」
「え……」
 携帯を見つめていた樹が顔を上げ、まん丸な目で宗史を見やった。
「気付いてたの?」
「はい。すみません、勝手なことをして。憶測ですが、俺はかなり高い確率だと思っているので、お知らせしておいた方がいいと思って」
 何の話だろう。大河は首を傾げて宗史を見た。
「冬馬さんが、平良に狙われるんじゃないかって話しだ。あれだけ執着していれば、可能性は高い」
「あ、うん、確かにそうだけど……」
 自分はつい今しがた気付いたのに、宗史たちはすでに気付いていたのか。
 さっきの言い回しからすると、樹も以前から気付いていたのだ。それに加えて北原の件と雅臣の矛盾する行動を加味し、平良が自分を挑発するために北原を襲ったと判断した。状況だけではあるが、確かに可能性はかなり高い。また下平も同じように思って、冬馬にもGPSを設定させようと決めたのか。
 すごいなぁと感心している間に、柴から志季を通して晴へ携帯が回り、大河は感心しながら宗史と一緒に覗き込んだ。寮の場所に刑事組の印があり、別の場所に固まった印が二つ表示されている。榎本、前田、大滝がひと固まり、新井、牛島がひと固まり。
 それぞれが確認を終え、携帯が持ち主に戻る。樹も下平へ戻した。
「あともう一つ。班の奴らの提案なんだが、あいつらの顔が分かった方がいいと思って、写真撮ってきた。あとで送る」
 敵側の人数は正確に分かっておらず、顔も全員判明していない。何かあった時、敵か味方か判別できなければ、無駄に疑心暗鬼になって余計な時間を食うことになる。その対策だろう。
 紺野が、ここへ来る前に榎本たちに会ったと言っていたが、刑事同士で色々と話し合い、できる限りの策を講じていたのだ。危険な事件であると、きちんと分かっている証拠だ。
 樹が観念したように溜め息をついた。
「分かった。でも、平良本人が襲ってくる可能性が断然高いから、絶対に油断はしないで。護符も肌身離さず持ち歩いて。熊田さんと佐々木さんだけじゃない、下平さんと紺野さん。あと皆も警戒して、悪いけど」
 関係性で狙われるのなら、当然宗史や晴、陽、寮の者たちも例外ではない。いっそ睨むような目付きで視線を巡らせて念を押す樹に、大河たちは力強く頷いた。
 おそらく、どんな対策を講じても、絶対に安全とは言い切れない。それでもできる限りのことをしなければならない。仲間を、大切な人を守るために。
 では、自分には何ができるのか。宗史や晴、柴や紫苑、省吾たちはもちろん、寮の皆、紺野や桜や冬馬たち、島の皆、小田原や翔太。守りたい人がたくさんいて、そのための力もある。未熟もいいところだが。
 大河はぐっと拳を握った。
 もっと強くなりたい。もっと、今とは比べ物にならないくらい――そう、牙が契約してもいいと思えるくらい、強く。
 体の中から、じわじわと熱が上がってくる。決意と覚悟を伴って。
「樹、俺からも言っておくことがある」
 紺野が口を開き、樹が視線を向けた。
「北原には伝えておく。けど」
 紺野は真っ直ぐ樹を見据えて、言った。
「断じてお前のせいじゃない。北原は絶対にそう言う。俺もそうだ、お前のせいだなんてこれっぽっちも思ってねぇ。それだけは覚えとけ、いいな」
 告げられた言葉は、とても強く、そして優しくリビングに響いた。
 樹はわずかに息を詰め、視線を泳がせて少し俯いた。
「うん……、ありがと」
 下平の大きな体の影になって見えなかったけれど、この声色は照れている。意外と照れ屋なんだよな、と大河は緩みそうになる口元に力を込めた。笑っていることがバレたら訓練で何をされるか分からない。ここは我慢だ。
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