第5話

文字数 5,831文字

 紺野が気を取り直すように咳払いをした。
「ともかくだ、その草薙の計画ってのは間違いないのか」
「いえ、状況と彼の性格からの推測にすぎません。ですから乱暴な推理をするならと言いました」
 暗殺者(アサシン)モードから我に返った宗史が答えた。大河は心の底からの安堵を吐き出す。樹や平良よりも宗史の暗殺者モードが一番怖い。
「確証がないなら保留だな。ただ平良たちに依頼したってことは、依頼者はどこかで繋がってる可能性が高い。平良の周辺を探って何か出てくればいいが、どうだろうな。草薙も一応頭の隅に入れとく。さすがに大企業の身内を探るにはリスクが高すぎる。何かきっかけがないとなぁ……」
 うーん、と紺野が喉の奥で唸り声を上げた。
「あ、そうだ。これ事件と関係あるか分からないんだけど」
 と北原が思い出したように言った。察したのか紺野がああと反応する。
「下平さんからの報告で、最近グランツってクラブに龍之介が出入りしてて、店に迷惑かけてるって話だよ。さすがに下平さんも事件と関係があるか分からないみたい」
「グランツって、アヴァロンの競合店の?」
 樹が尋ねた。
「そう。元々キャバクラに行ってたらしいんだけど、そこで女の子たちに迫って何軒か出禁になったんだって。それでクラブに河岸変えしたらしいよ」
「ほんと懲りないよね、あのクソ龍。迷惑って、どうせセクハラでしょ」
「そうみたい。昨日もアヴァロンの常連の女の子が行って被害受けたらしいよ。アヴァロンも警戒してすでに出禁にしてるって」
「だろうね」
 当然のように頷いた樹に、大河は微笑ましさと寂しさがない交ぜになった。冬馬なら当然そうするだろうと分かるほど、二人は親しかったのだ。もう、どうしようもないけれど。
「まあ龍之介の件は、何かあったら下平さんの耳に入るだろうから任せるとして、実はな、今日鬼代事件の被害者と思われる遺体が発見された。しかも二体だ」
「え!?」
 さらりと話題を変えた紺野に、柴と紫苑以外の全員の驚きの声が揃った。
「ちょっと、何でそんな重要なこと早く言わないの?」
 責める口調の樹に、まあまあと北原が両手を上下に振って宥める。
「言うタイミングがなかったんだよ。いいから聞け」
 ここは言い争うところではない。樹は少々不満気に口をつぐんだ。
「被害者の一人は身元が割れてんだけど、もう一人は捜査中だ。明は今寮にいるのか?」
「ええ」
「じゃあ今じゃない方がいいな」
 ふむ、と紺野は逡巡した。電話とはいえ、内通者がいる寮で報告するのは気が進まないのだろう。
「明日の捜査会議のあとにするか。詳しいことは明に伝えとくから聞いてくれ。それとお前ら、何かあった時のために全員連絡先教えろ」
 樹の指摘が手痛かったのか、同じ言い回しで要求した紺野に北原が噴き出した。即座に後頭部に平手が飛ぶ。痛いなぁ、とぼやきながら携帯を取り出す北原に小さく笑い声が漏れる。
「俺と宗は赤外線付いてねぇぞ。どうする?」
「あー、そっちか。なら、番号言うからワン切りしてくれ」
「了解」
「はい」
 紺野と北原が自分の番号を告げながら、順番に赤外線ポートを合わせていく。志季と椿はともかく、柴と紫苑は何をしているか分からないだろう。ただ、早々に交換を済ませ確認をする大河の携帯を、物珍しそうにじっと見つめている。
「あ、やべ。良親の携帯持ってきちまった」
「ああ、それなら、念のために何か手掛かりが残っていないか確認していただけますか。あまり気分が良いことではありませんが」
「それは構わねぇけど、ずっと持っとくわけにはな」
「アヴァロンの系列店の店長なんですよね。下平さん経由で冬馬に渡して、店でも自宅でもこっそり戻してもらうとかできませんかね?」
「それしかねぇな。下平さんに相談するか。何か出たら明に伝えとく」
「お願いします」
 宗史と紺野と北原の証拠隠滅とも取れる相談を聞きながら、大河はひたすら感じる視線に堪え切れず二人を見上げた。ばっちり目が合う。しかしどちらも口を開かないまま凝視され、携帯を握り締めてどうするべきか思案する。何? と聞いた方がいいだろうか。
 妙な空気が流れ、はたと気付いた。
「そうだ。柴、紫苑、助けてくれてありがとう。あと昨日も。双子の居場所知らせてくれて助かった」
 今日のこともそうだが、昨日の礼を言いそびれるところだった。満面の笑みで大河が告げると、いや、と謙遜するように柴が小さく首を振った。
「童子は、無事だったか」
 脳内変換が少し遅れ、ああ子供のことかと理解する。気にしてくれていたのか。
「うん、元気。めっちゃ怒られたみたいだけど」
「そうか」
 会話が途切れた。口数が多い方ではないようだ。
「ああ、そうだ。樹さん、怜司さん」
 無事に交換が終わった宗史が、携帯をしまいながら樹と怜司を振り向いた。何やら密談中だったらしい、樹と陽が同時に顔を向けた。陽の顔がどこか嬉しそうに緩んでいる。
「すみません、何かお話中でしたか」
「ううん、大丈夫。何?」
 宗史は首を傾げながら続けた。
「実は一つお伝えしていない件があるんです。道すがら電話でも構いませんか」
「うん、いいよ」
「分かった」
 犬神の件だろう。近藤と言ったか、紺野と北原の知り合いらしいし、ここで話すのは憚られる。
「それと、二人はどうしましょう。車に乗ってもらっても構いませんが……」
「ああ、俺らが同行して追っかけるわ。どうせなら先に戻ってもいいし。車っつっても、信号で停まった時とか結構人目に付くだろ」
 街灯がある場所では、歩道から車内は見えてしまう。鬼の深紅の目は暗がりでは迫力があるし、それに角。コスプレと捉えてくれればいいが、それはそれで許可なく写真を撮る質の悪い者もいる。油断ならない。
 志季の提案に、宗史は椿を見やった。
「椿、まだ平気か?」
 気遣う言葉に、椿が相好を崩した。
「はい」
 明瞭な返事に、宗史も頬を緩ませた。この二人ほんとに仲が良いなぁと微笑ましく眺める。
「じゃあ、二人とも頼む。柴、紫苑、二人について行ってくれ」
「承知した」
 柴の了承に紫苑が頷いた。お前も少しは俺を気遣えよ、体力馬鹿のお前を気遣ってどうすんだ、神に向かってなんつー言い草だてめぇ、と悪態を付き合う志季と晴をちらりと見やる。これはこれで仲が良いと思うべきか。宗史と椿は、優しい主と忠実な部下といった感じで、晴と志季は悪友のような関係に見える。陰陽師と式神の関係も色々だ。
 だとしたら、平良と大きな犬の式神はどんな関係なのだろう。国を護るべき神が、国を滅ぼさんとする人に従っている。あの式神は、どんな気持ちなのか。
 それと、影綱(かげつな)(きば)。影綱の死後も、与えられた名を名乗るほどだ。仲は悪くなかったと思うが、あの尊大な態度と目付きの悪さからして宗史と椿のような仲だったとはとても思えない。明日か明後日くらいに日記の訳が届く。回ってくるのはもう少しあとだろうが、読めば分かりそうだ。
「よし、話がまとまったところで」
 紺野が首を鳴らし、
「帰るか」
 宣言すると、全員が気の抜けた息を吐いた。
「うわ、すごい埃」
 口々に疲労を訴える言葉を漏らす。車に向かいながら全身をくまなくはたくと、暗くて見えないが、かなり埃臭いためどれだけまみれていたのか分かる。
 うちまで送ってやるからお前助手席乗れ、いいんですかありがとうございます、と紺野と北原の会話が聞こえた。この有り様で電車に乗るのは気が引けるだろうし、ましてや街中は歩けないだろう。意外と面倒見がいいらしい。一方樹と怜司は、ねぇ途中でコンビニ寄ってよ喉乾いたアイス食べたい、俺はさっさと帰って風呂に入りたい、じゃあどっかの自販機、我慢しろ、無理、といつも通りの掛け合いをしながら埃を払っている。さらに、お前ら汚ぇな、貴様に言われる筋合いはない、お互い様ですよと、わずかに、ほんのわずかに和んだ様子で会話をする志季と紫苑と椿を、柴が無言のまま眺めている。
「確かに喉乾いたな。このナリでコンビニは入り辛ぇから、自販機見つけたら寄るか」
 聞こえていたらしい、あらかた埃を落とした晴が車に乗り込みながら言った。
「そうだな」
「賛成。炭酸飲みたい、炭酸」
「あ、僕もです」
 好みの銘柄を言い合いながら後部座席のドアを開けると、紺野と北原が乗った警察車両がUターンをして目の前で停まった。助手席の窓が下がり、北原が顔を覗かせた。
「じゃあ皆、気を付けて帰ってね。お疲れ様」
 お疲れ様です、と口々に告げる。と、陽が小走りに駆け寄り、中を覗き込むように腰を折った。
「あの、紺野さん、北原さん」
「うん?」
「今日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。ありがとうございました。あっ、それと、冬馬さんのことも。我儘を言ってすみませんでしたと、下平さんにもお伝えください」
「う、うん、分かった」
「お疲れ様です、お気を付けて」
「ありがとう……」
 ぺこりと会釈をして踵を返した陽の背中を、北原が唖然として見つめている。気持ちは分かる。どう聞いても中学生の口から出る台詞ではない。初めて紹介された時も思ったが、同じ環境で育って何故こうも違うのか。ちらりと晴を見やるとじろりと睨まれた。
「じゃ、じゃあね皆」
 ひらひらと手を振りながら窓を閉める北原の顔は、少々戸惑い気味だ。しかし手を振り返す陽はどこか楽しそうだ。
「そんじゃ俺たちも行くか」
 徐行速度で去って行く車を見送り、晴の声を合図に各々乗り込む。
 助手席側の後部座席に腰を落ち着けると、晴がシートベルトを引っ張り出しながら尋ねた。
「陽、お前さっき樹と何話してたんだ?」
「えっ」
 同じくシートベルトを金具に嵌めていた陽の手が止まった。この反応は怪しい。
「言いたくなきゃ別にいいけどよ、報告はするぞ。お前と樹がこそこそ話してたってな」
「そんな、ずるいですよ!」
 陽が焦った顔で前のめりに訴えた。ずるいというよりせこい。宗史も仲裁に入る様子がないところを見ると気になるらしい。兄に脅され、宗史にまで放置された陽は可哀相だが、正直気になる。ここは黙っておくに限る。
 仲裁が入らないことに諦めたのか、陽はしっかりシートベルトを締めると背を預けた。前に停めてあった樹と怜司の車が発車し、大きくUターンして戻ってくる。それに倣い、晴も発車させる。
「絶対に言わないでくださいね」
「分かった」
 大河と宗史と晴の声が揃った。大人気ない策略に、もう、と陽が頬を膨らませた。
「冬馬さんのこと、お礼を言われたんです。ありがとうって」
 大河が目を丸くして陽を振り向き、宗史と晴は喉の奥で笑った。
「僕、あの時興奮してたから、つい押し通してしまって。だって、やりたくもないことに巻き込まれて、その上命まで狙われてあんなことされて。それで捕まるっておかしいじゃないですか。でも冷静になって考えたら余計なことしたんじゃないかって心配だったんです。冬馬さんたちは覚悟をしていたようですし。だから、余計なことじゃなかったですかって聞いたら、僕にとっては余計なことじゃないよって言ってくれたんです」
 その時のことを思い出したのか、陽がはにかんで俯いた。
 もし陽が言い出さなかったら、樹が止めていただろうか。それとも彼らの意思を尊重しただろうか。どちらも間違いなんて言えない。どちらも、冬馬たちを思っているからこその判断だ。
「またいつか……会えるかな」
 前を行く車を見つめてつい心の声を漏らした大河に、晴がハンドルを切りながら言った。
「お互い京都に住んでるしな」
「冬馬さんの居場所も分かってる。縁があればまた会うだろうし、会おうと思えばいつでも会えるよ」
「そうですよ」
 いつもより優しい声色の三人に、大河は目を細めた。
「うん」
 轍を辿るタイヤが砂を擦る音が、車内に響く。
「そういや一つ気になることがあるんだけどさぁ。樹が嘘付かねぇって冗談だろ?」
「は?」
 何の話か分からない。大河と陽が揃って首を傾げ、宗史が携帯を操作していた手を止めて振り向いた。
「ほら、良親に言ってただろ。自分は嘘を付かないって知ってるだろとかなんとか」
「ああ、言ってたな。あ、あれか。庭の石」
「そうそれ」
「何の話ですか?」
 陽はその場にいなかったから知らない。
「俺が結界の対象にした石を真っ二つに叩き割ったんだよ。それを失敗したって言い張ってたんだけど……あれ、でもあの時って確か……」
 どう考えても樹の実力なら寸止めは容易いだろう。そう思っていたし、宗史と晴も故意だと言ったから言い訳だと思っていたが――。
「あの日って、アヴァロンに行った日じゃなかった?」
 間違いない。昴と夏也と香苗がいて、早朝訓練でしごかれた日だ。あ、と宗史と晴が察した。
「じゃああれ、嘘じゃなかったのか」
 晴が呟いた。
 今なら分かる。樹はあの時、いつもならできる寸止めを失敗するほど、動揺していた。
「ちょっとぉ、あれ嘘だと思ってたの!?」
 突然、憤慨した樹の声が車内に響き、大河と宗史と晴がぎょっと目を丸くした。生の声ではない。
「しまった……」
 宗史が手元に目を落とし、溜め息と共に小さく呟いた。晴がちらりと横目で見て、大河がシートベルトを伸ばして覗き込む。液晶が通話状態になっている。犬神の件を話すために電話しようと操作し、一旦止めたが指が触れて通じてしまったらしい。しかもスピーカーになっていないのに響くということは、かなりご立腹だ。
「僕嘘なんか付かないからね! 今まで皆に一度も嘘付いたことないよ!」
 樹うるさい、と怜司の声が混じった。ここは怜司のためにも早々に謝った方が得策だろう。宗史が運転席と助手席の間に携帯を移動させ、
「あの、樹さん――」
 三人声を揃えて言った。
「すみませんでした」
「悪かった」
「ごめんなさい」
 陽が口を覆って肩を震わせている。
「今度抹茶パフェ奢ってもらうからね!」
 樹らしい詫びを要求し、それで? と宗史へ話を促した。
 宗史が携帯を耳に当て、晴と陽が苦笑を洩らす。そして大河は「京都、抹茶パフェ」で検索をかけた。
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