第6話

文字数 2,239文字

 状況が理解できず、一人で膝を抱えていた。
 ――春も一緒に遊ぼうぜ。
 そう、初めに声をかけてきたのは、弘貴だった。眩しい笑顔と一緒に差し出された手は、同じ年なのに大きくて、温かかったことを覚えている。
「うろちょろするところは変わってないな」
 夏也に会場を任せた春平は、職員に許可を得ると、正面玄関で靴を脱ぎながらぼそりとぼやいた。左側は、食堂兼交流スペースだ。園庭に面する窓を開けて解放しているため、賑やかな声が聞こえてくる。
 皆と一緒に遊んでいたのに、気が付けば姿が見えないなんてしょっちゅうだった。園の外で散歩中の犬と戯れていた時は、本気で殴ってやろうかと思った。だがそんな時は決まって、夏也があの無表情で淡々と説教をするのだ。一人で園の外に出ないようにとあれほど言ったでしょう、皆心配したんですよ、これで何度目ですか反省してください、と。さすがに小学生高学年にもなると説教はなくなったけれど、弘貴の落ち着きのなさは相変わらずだ。
「さてと」
 玄関ホールで、春平は視線を巡らせた。
 ひまわり園の養育形態は、園内ユニット制が採用されている。十二名以下の小規模なグループで生活をすることで、より家庭的な雰囲気や生活を体験でき、個別に支援しやすくなるというメリットがある。ここでは男女別に八つのグループがあり、五人から六人で構成されている。
 二階と三階が子供たちの生活スペースとなっており、それぞれのユニットに小さなキッチンやトイレ、洗面室、浴室、リビング、職員の宿直室が。そして一階は、左が食堂兼交流スペースと厨房、右には職員室、会議室、医務室、一番奥に園長室と続き、廊下を挟んで静養室、相談室、心理療法室と、子供の心のケアをするための部屋も用意されている。
 いくら卒園児だからといって、さすがに生活スペースには行っていないだろう。となると、一階のどこか。まさか、はしゃぎすぎて怪我したなんてこと――ない、と言い切れないのが弘貴だ。
「あ、春平くん。来てたんだね、どうしたの?」
 医務室を覗いてみるかと嘆息したところで、食堂兼交流スペースから、高校生男子と小学生低学年の少年が手をつないで出てきた。一つ上の孝博(たかひろ)と、今年初めに入園した子だ。
「孝くん。弘貴見なかった?」
 笑顔でひらりと手を振ると、少年は孝博の後ろにさっと身を隠した。思わず苦笑いが漏れる。以前来た時は一切口を開かないと言っていたが、どうやらこの数カ月で孝博は信頼を得たらしい。物腰が柔らかく、無理にあれこれ話しかけたり構ったりすることがないので、側にいて落ち着くのだろう。少しだけ、昴に雰囲気が似ている。
「ああ、弘貴くんなら、さっき園長先生と一緒にいたよ」
「園長先生と?」
「うん」
 もうすぐ花火が始まるこのタイミングで、園長に何の用が。少年が、恐る恐るといった様子で、しかし何かをねだるような目で孝博を見上げた。
「ごめん、春平くん。花火なくなっちゃうから、行くね」
「あ、うん。ありがとう」
 孝博と少年を見送り、春平は職員室へ足を向けた。窓から見る限り、数人の職員が談話しているだけで二人はいない。隣の会議室と相談室も覗くが、むっとした空気が漏れ出ただけだ。となると、園長室。何か相談ごとでもあるのだろうか。あるいは、子供たちのことで何か気がかりなことがあったのか。園長と一緒にいると分かったのだから、別に探すこともないとは思うが。
 春平は、園長室の前で足を止めた。引き戸がわずかに開いていて、弘貴の声が漏れてきた。
「すげぇ懐かしい、ここ」
「弘貴くんは、いたずらするたびに呼び出されていたからねぇ。君ほど元気な子はまあ珍しいよ」
「えー、そんなことないでしょ」
 二人の明るい笑い声に、春平はほっと息をついた。人を心配させておいてのんきなものだ。
居場所が分かったのだから、メッセージを入れておけばいいだろう。そう思い、携帯を引っ張り出して踵を返す。
「それで、話って?」
「うん。あのさ、俺がここに預けられた理由って、何だったんですか?」
 何でもないことのように問われた質問に、え、と漏れそうになった声を飲み込んだ。思わず足を止めて扉を振り向く。しばしの沈黙のあと、園長の声が届いた。
「弘貴くんは、覚えてないんだね」
「ほとんど。父親と一緒に暮らしてたってことは覚えてます。あと、部屋が結構汚かったとか、コンビニ弁当ばっかだったとか。そのくらい」
 そうか、と園長が心苦しそうに呟いた。
 立ち聞きなんて趣味が悪い。早く立ち去らなければと思うのに、足が動かない。
これまで弘貴に気にしている素振りはなかった。理由を知っていて、それでも前向きに笑っているのだろうと、ずっと思っていた。だから香苗の家で話題になった時、知らないと知って驚いた。割り切っているように見えたのに――いや、そんなわけない。施設に預けられた理由が気にならない子供なんていない。弘貴があまりにもあっけらかんとしているから、そう見えただけだ。
「俺さ、ここにいる時も楽しかったけど、今もめっちゃ楽しいんです。陰陽師の仕事も、皆のことも好きだから……まあ、一人あんま仲良くねぇ奴はいるけど、悪い奴じゃないし」
 ははっと園長が短く笑った。
「今色々あって、乗り越えなきゃいけなくて。今の環境を守りたいんだ、どうしても。だから、どんな理由でもちゃんと受け止められる。そう思ったから、聞きに来ました」
 守りたい――。
 強く言い切られたその言葉だけが妙に耳に響いて、春平は唇を結んだ。
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