第16話

文字数 3,745文字

 夏也が焼いてくれたホットケーキを頂きながら、大河は宗史と晴に風子(ふうこ)からの伝言を伝えた。
「何で風子ちゃんが謝らなきゃならねぇのか分かんねぇな」
「俺もだ」
 そう、二人ははちみつとバターたっぷりのホットケーキをほおばりながら言った。
 やっぱりそう言うと思った。大河は笑いを噛み殺し、うん分かった、と答えた。
 途中、樹の襲撃からホットケーキを死守しつつ完食し、腹ごなしついでに双子のお守り袋に宗史の護符を挟み、夏也のお守り袋に入れた。その際、どの霊符をどこに入れておくか決めておいた方がいいと助言を受けた。冬なら上着のポケットが便利だが、夏はどうしても限られてくる。独鈷杵もあるため、仕事の時はパーカーやシャツ、ジャケットが便利だそうだ。
 例えば、重さがある独鈷杵は尻ポケットに。調伏の仕事の時は調伏の霊符を、浄化の時は浄化の霊符を取り出しやすい場所のポケットに、という感じで、自分なりのルールを作るといいらしい。
 皆からアドバイスを受けながら試行錯誤し、とりあえず定位置が決まって訓練を再開したのは、午後四時を少し回った頃。
 イメージトレーニングとは、スポーツのトレーニング方法の一つだ。動いている自分を思い描くことで、技術や戦略、実際に動いた時の集中力を向上させるためのトレーニング法であり、かつ雑念を払う効果もあると言われている。つまり大河の場合、童子切安綱を振るう自分を想像することがそれに当たる。
 説明するのは簡単だが、これが意外と難しい。
 相手の呼吸を読めだの動きを予測しろだのと言われ続けてきたが、さすがにイメージトレーニングは教わっていない。自分の姿と霊刀をできるだけ正確にイメージしなければならず、片方に集中すれば片方が曖昧になる。そもそも自分の全体像など客観的に想像したことがない。美琴がいつからトレーニングを始めたのかは分からないが、なるほど、部屋に籠りがちになるはずだ。
 何度目かの失敗のあと、トイレに消えた樹を待つ間に大河は何気なく美琴を見やった。
 強度の確認と具現化を何度か繰り返し、今は裏の倉庫にしまってあった木刀を使って、素振りの基礎から教わっている。
 姿勢はいい。大きく振りかぶり、前へ突き出すようにして振り下ろす。きちんと両腕と地面が並行になっていて、綺麗だ。だが、振りかぶった時に剣先が下を向いてしまっていて、正中線も少し右にずれている。右手に力が入っている証拠だ。
 宗史から指摘を受けながら、一回一回の動きをゆっくりと丁寧に行う美琴の顔は真剣そのものだ。
「最近、竹刀振ってないなぁ……」
 術や体術を会得することに忙しくて、島を出た日以来、一度も触っていない。体がうずいた。
 大河は独鈷杵を半分ずつ両手に握り、構えた。握った独鈷杵はごつごつしていて、竹刀の柄とは感触が違う。重さも軽い。けれど、何かを握って構えるという行為が懐かしい。目を閉じて、深呼吸をする。
 体が覚えている。幼い頃から影正に叩き込まれてきた、剣道の基本。初心者であれ熟練者であれ、何度も反復して基本を確認する素振り。
 正眼の構えから振りかぶり、肩から肘、手首を連動させ、肩甲骨を使って剣先を前へ伸ばすようにして振り下ろす。正中線からずれないよう、力加減に気を付けて。
 そういえば、漫画の真似をする時は、剣道をしている分、自分の方がコツを掴むのが早かった。器用な省吾は一度教えるとすぐにできていたが。縁側に広げたコミックを何度も見ながら真似をした。体には大きすぎる摸造刀を構え、どちらがより格好良く再現できるか、時間を忘れて競い合った。どう考えても人間では有り得ない動きを無理矢理再現しようとバランスを崩し、切り傷や擦り傷をたくさん作って。そんな傷さえも、さらにリアルになったね、と言って二人で笑い合った。
 子供には重かった摸造刀。これを振り続けたらあんな風に筋肉が付くかな、と省吾は言った。すでに自分より体が大きかった省吾に負けたくなくて、こっそり振っていたことは内緒だ。
 と。
 キンッ! と甲高い金属音が意識の隙間に飛び込んできて、同時に衝撃が腕に伝わった。
「えっ」
「そのまま集中!」
 驚いて目を開けた大河の目の前には、こちらを見据えて霊刀を構える樹の姿があった。片手で横に構えた霊刀で受けているのは、霊刀だ。
 突然のことに理解が追い付かず集中力が途切れかけ、ゆらりと霊刀の輪郭が揺れた。
「集中しろッ!」
「はいッ!」
 いつもとは別人のような樹の鋭い叱咤に、条件反射で返事をして意識を集中する。何とか持ち堪えた霊刀の刀身から視線を下げる。繋がっているのは、自分の手の中。
 樹は横に避けると、霊刀を具現化したまま言った。
「そのまま素振り続けて」
「は、はいっ」
 具現化成功の余韻に浸る間もなく、すぐに構え直して大きく振り上げ、振り下ろす。樹は、それを黙ったまま側でじっと眺めている。
 竹刀の倍ほどの重さがあるだろうか、三十回ほど振ると頬を汗が伝い、顎へと流れ雫として落ちた。汗はともかく、もう息が上がっている。振り慣れない重さのせいもあるだろうが、具現化の影響の方が大きいようで、少し息苦しい。
「次、前進後退」
「はい」
 大河は一旦動きを止め、呼吸を整えてから霊刀を振り上げる。
 前進後退正面素振り。前進しながら面打ち、後退しながら面打ちを繰り返す素振りの方法だ。剣道場などでよく見られる練習方法で、動きながら正確な竹刀の振りを身に付けることができる。
 まるで品定めするように一瞬たりとも視線を逸らすことなく、樹は大河を見つめる。
 こちらも三十回ほど繰り返したところで、続けて指示が出た。
「次、左右面の切り返し。前後五回ずつ」
「はい、お願いします」
 集中力が上がっているのが分かる。お互いに正眼の構えで向き合う。
「始め」
 樹の号令に一度息を吸い込むと霊刀を振りかぶり、前進しながら右斜め45度に振り下ろした。狙うのは頭頂部と側頭部の真ん中辺り。これを左右交互に繰り返す。手首に無駄に力が入っていると、上手く切り返せない上に手首を痛めてしまう。しかも、竹刀とは重さも柄の形も違うため、力加減が難しい。
 樹は顔の正面に立てた霊刀を左右に振って、難なく受け止める。
 前進が終わると、今度は後退しながら同じ動作を繰り返す。
 金属音が等間隔で響く中、違和感を覚えた。
 樹が頭に当たる前に受けていたから気が付かなかったが、このまま振り下ろしたとしたら、先端の方で捉える程度にしか当たらない。もう少し内側に当てないと確実に避けられる。間合いに違和感はない。となると、霊刀の長さだ。特徴を調べた時、竹刀より短かった。
 あと一歩分。
 大河が歩幅を調整し間合いを詰めると、樹の口角がわずかに上がった。
 霊刀は真剣を具現化したものだ。受け損ねると大怪我どころでは済まない。だが、そんな心配はこれっぽっちもなかった。樹への信頼が、自分で思っている以上に大きいことを自覚する。
 何度か前進と後退を繰り返し、やっと樹がストップをかけた。
「オッケー、上出来」
 振り上げた霊刀をゆっくりと下ろしながら、荒い呼吸を繰り返す。とりあえず剣先を地面に向け、最敬礼をした。
「ありがとうございました!」
 勢いのまま大声で礼を告げると、樹は気分が良さそうな笑みを浮かべた。
「いいねぇ、師匠って感じ」
 そっちか。大河の出来に機嫌が良いわけではないらしい。霊刀解いていいよ、と言われ、少々もったいない気持ちで、脱力するように力を抜いた。
「さすが影正さん、しっかり基本を叩き込んでる。手首も柔らかいし、問題ないね。構えは一通り教わってるの?」
「はい。でも正眼くらいしか構えたことないです」
 止まらない汗を手の甲で拭いながら縁側へ向かう。Tシャツもジーンズも汗だくで気持ち悪い。
「まあ、剣道はスポーツだからねぇ。基本はできてるけど、片手で振ることにも慣れないとね」
 樹は庭を見渡しながらペットボトルを持ち上げた。
「もう一度具現化の練習して、一回手合わせしてみようか。皆がいるから危ないし、木刀で。ちゃんと手加減するから」
「はい、お願いします」
 タオルをTシャツの裾から中に突っ込んで体の汗を拭う。いっそ脱いで体を拭きたいところだが、美琴も夏也もいる。せめて着替えを準備しておくべきだった。
 大河は長く息を吐いて呼吸を落ち着かせると、タオルを首にかけてペットボトルを煽った。片手に視線を落とし、握ったり開いたりを繰り返す。
 さっきは咄嗟のことで余韻に浸れなかったけれど、手と腕に感触が残っている。竹刀とは違う重さ、鉄と鉄がぶつかり合う鈍い震動、柄の形、甲高い音。
 本当に、具現化したんだ。
 じわじわと実感し、喜びが湧き上がった。興奮と共に体の熱が上がる。自然と顔が緩んだ。
「大河くん、ニヤけてないで始めるよ。ていうか気持ち悪い」
「気持ち悪……っ。なんてこと言うんですか!」
 面と向かって気持ち悪いとは、失礼にも程がある。大河は独鈷杵を掴んでぶつぶつと文句を漏らしながら、樹の背中を追った。
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