第15話

文字数 3,753文字

 縁側に置いていたペットボトルやタオルをそれぞれ手に取る中、弘貴は「ちょっとトイレ」と春平に告げて室内へ上がった。その背中を無言で見送り、春平は息をつきながら縁側の端に腰を下ろした。真ん中では晴たちが美琴の独鈷杵について、形がどうの大きさがどうのと話し合っている。
 二人の様子を見ていた大河は、自分のペットボトルを抱えて春平の隣に座る。
「弘貴、大丈夫かな?」
「え? ああ、うん……」
 春平がはっきり頷かない理由は分かる。美琴だ。
 昨夜の話では、双子より早く寮に入っているようだったから、弘貴らがここに来たのは四年以上前になる。対して美琴は一年くらい前だと聞いた。三年もの差があるのに、美琴の方が先に独鈷杵を会得してしまったその悔しさは理解できる。
 ただ、大河はまだ陰陽術を始めたばかりで、美琴の方が術や霊力の扱いに慣れているからと割り切ることができるが、弘貴は違う。負けず嫌いの性格に三年の差、さらに二人の関係性が悔しさに拍車をかけているのだろう。
「弘貴、負けず嫌いだからね」
「うん……でも、弘貴も頑張ってたよね」
 ペットボトルを煽り、春平は長く息を吐いた。
「今までより訓練の時間増やしてたし、部屋でも筋トレとかやってたみたい。けど、美琴ちゃんの話聞いて驚いたんじゃないかな。皆と距離を置くために部屋に籠ってるって思ってたから」
「俺もそれ、びっくりした。部屋にいる時間、独学で勉強してたんだね」
「うん、さすがに想像しなかった。確かに真言とか霊符の一覧は貰ってるけど、霊力量で限界が決まってくるから……覚えても無駄かもって気持ちは、あったかな。それなら、今学んでることに集中しようって」
「それ、間違ってないと思うけど」
 今を見据えるか、先を見据えるかの違い。正解も間違いもないように思える。
「美琴ちゃんはね、今学んでることもきちんとこなしてたんだよ。その上で先を見てた。しかも学校の勉強もして。そりゃ、テレビ見たりゲームやってる時間なんてないよね……」
 春平は、俯いて自嘲気味の笑みを漏らした。
 息抜きは大切だと思う。皆と交流を深めて、相手のことを知って、自分のことも知ってもらって。そうして人間関係は出来上がり、絆が生まれる。寮で集団生活をしているのなら、なおさら重要なことだ。
 大河は、晴たちと談話する美琴に視線を投げた。確かに言葉はきついし態度もそっけないが、掃除の担当はきちんとこなしているし、霊符を描いてくれたことといい、華と哨戒の当番を代わったことといい、今もさっきも、宗史たちとは普通に接している。
 まったく交流を絶っているわけではないようだが、美琴はそれを最低限に抑えてまで陰陽術を優先した。
「理由が、あるのかな……」
 過去に。人との交流より、術を優先する理由となるような。
「え? 何か言った?」
 口の中でぽつりと呟いた声に反応した春平が顔を上げた。
「あ、ううん。何でもない」
「そう? あ、それより、大河くんの方はどうなの? 独鈷杵」
 まだ少し元気のない笑みを浮かべた春平の目には、自己嫌悪と弘貴を心配する色が浮かんでいる。
 大河はわずかに目を細めたが、話を蒸し返すほど無神経ではない。それがさぁ、とわざとらしく大げさに溜め息をついて肩を落とす。
「イメージはできてるんだけど、何でだろう、できないんだよなぁ」
「霊力量も独鈷杵も問題ないのなら、やっぱりイメージだよね」
「そう、怜司さんもそう言ってた。だからめっちゃイメージしたし、携帯の待ち受けも童子切安綱だからね、俺」
「そうなの?」
 ははっ、とやっと笑った春平に大河も笑みを浮かべた。
「でも駄目なんだよ。ほら、美琴ちゃんもイメトレしてたって言ってたじゃん。何が違う、のか……」
 ふと違和感を覚え、大河は俯いて顎に手を添えた。
 木刀を具現化した時に思い出していたのは、漫画のこと。印象深いシーンに、主人公が木刀を振るっている姿。それを真似していた。彼に、憧れて――。
「あ……」
 そもそも、イメージすることとイメージトレーニングは別物だ。
「そうか……!」
 勢いよく立ち上がった大河を、春平が目を丸くして見上げた。
「ありがと、春!」
「え? え、何?」
 春平の両手を握って礼を告げると、大河は駆け出した。呆気に取られた春平の隣に、戻ってきた弘貴が「どうしたんだ?」と不思議な顔をして腰を下ろした。
「樹さん、樹さん! 分かった!」
 無真言結界へと話題が変わった宗史たちの元へ駆け寄ると、皆が一斉に振り向いた。
「はいはい、何かなー? 解決策でも見つかった?」
「うん!」
 大河は自信満々に頷き、
「イメージの仕方が間違ってた!」
 自分の間違いを大声で宣言した。
 まるで大発見をしたかのような喜びに満ちた顔の大河を見て、宗史と晴と怜司が小さく噴き出し、樹がにっこりと笑みを浮かべた。
「はい、よくできました」
「……え?」
 別に驚いて欲しかったわけではないが、いかにも自分は分かっていましたみたいな反応は何だ。今度は大河が呆気に取られ、樹を見下ろしたまま固まった。
「て言っても、僕も美琴ちゃんの話を聞いて気が付いたんだけどね」
 僕もまだまだ、と反省の台詞を吐く樹に、大河はがっくりと肩を落とした。
「何だ、気付いてたんだぁ」
「まあね。でも、自分で気付けて嬉しかったでしょ」
 そう言われ、大河は目を見開いた。
 もしかして、自信をなくしかけていたことに気付いていたのだろうか。イメージトレーニングの指摘をしたのも、見習えと言ったのも、重要性が証明されたと言ったのも樹だ。会話の中に、それとなくヒントが散りばめられていたことに、今さら気付く。
 この人、すごいな。
「はい」
 大河は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「俺も、美琴ちゃんの話から気付きました」
 怜司と晴に挟まれて縁側から見上げてくる美琴を見やる。
「ありがとね、美琴ちゃん」
 笑みを浮かべた大河から、美琴はふいと目を逸らした。
「……別に、何もしてない」
「そんなことないよ。これでやっと具現化できるかもしれないし、めっちゃ助かった。だから美琴ちゃんのおかげだよ。ありがとう」
 もう一度告げると、美琴は目を逸らしたまま間を開け、小さく頷いた。それを見て、大河は頬を緩める。
「皆さん」
 様子を窺っていたのか、会話が一段落ついた時、夏也が縁側に出てきた。ダイニングテーブルでは、藍と蓮が端切れの片付けをしている。
「今日のおやつはホットケーキにしようと思うのですが、皆さんはどうされますか?」
「僕食べる! はちみつたっぷりで!」
 間髪置かずに手を上げて目を輝かせたのは言うまでもなく樹で、さっきの俺の敬意を返せと遠い目をしつつ「俺もー」と手を上げたのは大河だ。
「あたし、頂きます」
「俺も食うわ。やっぱ動くと腹減る」
「俺も頂きます。間食なしだとさすがにもたないな」
「同感。夏也、俺もいいか」
 美琴に晴、宗史、怜司が便乗する。
「はい、もちろんです。弘貴くんと春くんも食べますよね」
 端で話し込んでいる二人に話を振ると、はいと行儀の良い返事が返ってきた。
「すぐに準備します。あと、大河くんこれを」
 そう言って端に座っている樹の横から差し出したのは、キルティングの布でできたお守り袋だ。大河は無言でそれを受け取り、じっと見つめる。青地に白い星が散りばめられており、二重叶結びをされた黒の刺繍糸で口が縛られ、さらに厄除けの刺繍が施されている。
「蓮くんのバッグを作った時に余った布なので……やっぱり、子供っぽいでしょうか……」
 反応がないことに不安を覚えたのか、言葉尻を小さくした夏也を、大河は勢いよく見上げた。
「めっちゃ嬉しいです、びっくりした! すっげぇ丁寧、刺繍も綺麗だし! ありがとうございます!」
 笑顔で目を真ん丸にした大河に、夏也がほっと息を吐いた。
「良かったです。まだいくつか作っていますので、できたらお渡ししますね」
「えっ、ほんとに? ありがとうございます!」
 いえ、と夏也は笑みを浮かべるように目を細め、踵を返した。
 藍と蓮を連れてキッチンに入る夏也を見送り、大河はお守り袋に視線を落とす。確かに子供っぽいと言えば子供っぽい。けれどそんなことはどうでもいい。夏也が時間をかけて作ってくれたことが、嬉しい。それに双子のお守り袋と宗史の護符。
「なんか、すっごい最強のお守りなんだけど……」
 全て陰陽師の手によって作られているということは、多少なりともそこには霊力が籠っている。
 おお、と感嘆の声を漏らし、まるで宝物でも掲げるように空にかざした大河に、大げさだなぁと皆から笑い声が響いた。
「さてと、ホットケーキが焼けるまでもうひと頑張りしようか」
 腰を上げ、伸びをしながら言った樹に皆がそうだなと腰を上げる。
「改善策が分かった以上、これでできなかったらどうなるか、分かるよね?」
 このにっこり笑って人を威圧するのは陰陽師の習性か何かか。大河はお守り袋を握った両手に力を込め、はい頑張ります、とかろうじて答えた。
 それが、午後三時。
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