第9話

文字数 3,697文字

「さて」
 茂が場を仕切り直す。
「何か質問あるかな?」
 改めて聞かれると、出てくるのは質問ではなく唸り声だ。
「ところどころ知ってるとはいえ、ちょっと情報が多いよね」
 茂がメモを春平たちの方へ向けながら、苦笑いで口を開いた。
「多いどころじゃないすよ、多すぎ。俺の脳みその精度考えて欲しい」
 むっつりと膨れ面をして自虐した弘貴に、茂と華が小さく笑った。
「ああそうだ、昨日のことは会合で話すからね。全員揃ってからの方が一度で済むし」
 はい、と春平たちが頷く。
「あの」
 香苗が眉をハの字に下げて顔を上げた。
「北原さんは……」
 悲痛な顔で茂が首を横に振り、華が視線を逸らした。それを見て、香苗はますます情けない顔をした。そうですか、と呟いて俯く。
 栗澤平良。話を聞く限り、彼の樹への執着は異常だ。自分の力を確かめるためとか、そんな理由なら宗史や晴、いっそ当主二人を狙うだろう。こちらの実力は、向こうも把握しているのだから。何か、もっと別の目的があるのだろうか。
 樹のことといいゲーム発言といい、彼は躊躇いなく北原を刺した上にわざと引き抜いた。要注意人物だ。
「ていうか、俺ら疑われてたんすね。紺野さんたちも俺らのこと調べてたし」
 アイスコーヒーが入ったグラスを持ち上げて、弘貴が何でもないことのように口にした。ああとも、うんとも言えない曖昧な声が茂と華から漏れる。そんな二人を見て、弘貴は慌ててストローを口から離した。
「いや、ムカつくとかって意味じゃないすよ。まあ、昨日はいきなりあんな話されて腹立ったけど、今はちゃんと納得してる。内通者が誰か分かんなかったならしょうがねぇよなって。じゃなくて、宗史さんたちもそうだけど、樹さんたちがすげぇなって思って。だって一緒に暮らしてんすよ? 俺だったら絶対態度に出る」
「あ、あたしも」
 香苗が便乗した。
「知ってたら、態度に出てました。だから皆すごいなって思います。それに昨日、美琴ちゃんは昴さんと一緒にお散歩に行ってるし」
「あ、そっか。あいつ、あの時はもう知ってたのか」
「うん」
 香苗は、すごいなぁ、と感心と自嘲が混じった笑みを浮かべて呟いた。美琴は、昴が敵だと分かった上で一緒に双子の散歩に行ったのだ。それでなくとも公園襲撃事件があった。どんな気持ちだったのだろう。
 自分だったらきっと無理だ。そう思ってしまうのは、背負う責任と、覚悟の違いだろうか。だとしたら、美琴は何を背負っているのだろう。一年をかけて、影ながら一人で努力するような、何か。
「春くんは、どう思ってる?」
 突然、華から話しを振られて慌てて頭を切り替える。
「僕も同じです。分かりやすく態度に出てたと思います」
 弘貴や香苗に倣うような答えだなと、自分でも思った。でも本心なんだから仕方ない。そう、とどこかほっとしたように笑みを浮かべた華に、ぎこちない笑みを返す。
 んー、と弘貴が長く唸った。
「隗と皓の行動も未だに意味分かんねぇし、平良はなんか異常って感じ。狙われてる樹さんもだけど、俺、しげさんも心配なんだけど」
 さらっと口にした弘貴に、茂が照れ臭そうに笑った。
「ありがとう。でも僕は大丈夫だよ。確かに元教え子だけど、十一年も経ってるから。ただまあ、今度会ったらお説教の一つや二つしないと、とは思うよねぇ」
 ふふと不敵な笑みを浮かべた茂に、和やかな笑い声が上がる。
「まあ謎は多いけど、でも、謎解きや敵側の動きを予測するのは、宗一郎さんたちがしますよね」
「そうだね」
「じゃあ、俺は訓練に集中します。難しいこと考えるのむいてないし。適材適所。昨日の大河を見てるから余計にそう思う。あ、もちろん何か気付いたら報告しますよ。……気付ければの話ですけど」
 最後に気弱なことを付け加えて、弘貴はおどけるように肩を竦めた。
 弘貴の気持ちは分かる。あんな巨大な悪鬼を見て、大河は少しも怯まなかった。廃ホテルでも見ているからだろうが、それでも当たり前のように霊刀を具現化できるなんて。あれはもう、体に染みついている者の反応だ。
 それと弘貴が憤慨した時。右近からしっかりしろと言われたとはいえ、彼の性格なら一緒に宗一郎を責め立ててもおかしくないのに、冷静な判断をした。
 自分への不甲斐なさと、劣等感。昨日から、大河の顔がまともに見られない。この短期間で、彼はどれだけ成長するのだろう。
「あたしもそうします」
 香苗が便乗した。
「もっと、強くなりたいので」
 きちんと顔を上げ、真っ直ぐ茂と華を見据えて言い切った香苗に、春平は目を丸くした。寮に来たばかりの頃よりは、少しずつ主張するようになってはいたが、こうもはっきり言い切るなんて。茂たちも驚いた顔で瞬きをしている。
 父親の件から、彼女は少しずつ強くなっている。そんな気がした。
 では、自分はどうだろう。
 弘貴の真っ直ぐな強さや大河の急激な成長に嫉妬し、美琴の努力に気圧されて、それでも強くならなければと思った。覚悟ができず、鬼の習性の話を聞けず自分の弱さを再認識し、それでも独鈷杵を会得しろと言われて嬉しかった。褒められて嬉しかった。でも今再び、彼らの強さに卑屈になる。
 何度も何度も、同じことの繰り返しだ。
 昴と話して、ゆっくりでいいと思った。柴は人と比べるなと言った。けれど、目の前でこんなに差を見せつけられて比べずにいられるほど、余裕も自信もない。
 自分は、何のためにここにいるのだろう。
「春は謎解き得意だよな」
 不意に話しを振られて、春平は我に返った。
「えっ、いや、そんなことないよ」
「なんで。謎解き番組とかの問題すぐに解けるだろ」
「すぐってわけじゃないし、全部は解けないよ。それに、それと事件の謎は違うだろ」
「そうかぁ?」
「そうだよ」
 小首を傾げる弘貴に、春平は苦笑した。意図的にヒントが隠された問題と、人の動向からヒントを探りさらに答えを導く事件の謎はまったく違う。くくりが大雑把すぎやしないか。
 もう、と呆れ顔でぼやき、春平は再び茂のメモに目を落とした。
 こちらを探っていた昴が戻ったということは、敵は大きく動くつもりなのだ。激しい戦闘になるかもしれない。千代がいる以上、戦力で勝っているとは言い難い。まさに樹が言った通り、覚悟を決めなければいけない。
 弱さとプライドをかけた天秤は、まだ不安定にゆらゆら揺れている。
『私たちの許へ来ないか。君の力を貸して欲しい』
 こんな時いつも思い出すのは、かつて宗一郎が言ってくれた言葉。春平は爪が食い込みそうなくらい両手を握り締め、表情を引き締めて顔を上げた。
「僕も、訓練に集中します。独鈷杵もまだ全然だし」
「あっ、お前それ俺の前で言う!?」
 弘貴が噛み付いてきて、春平は驚いた顔で身を引いた。
「別に嫌味じゃないよ」
「今の俺にはそう聞こえるんですぅ」
 弘貴は膨れ面でぷいとそっぽを向いた。
「被害妄想気味じゃない?」
「悔しいからそうなるんですぅ」
「なんか腹立つ言い方だなぁ」
 むっと唇を尖らせると、弘貴が屈託なく笑い、皆からも朗らかな笑い声が上がる。春平も、まったくとぼやいて苦笑した。
「皆」
 茂が笑い声を収め、改まった顔で一人一人を目に止めながら言った。
「一人で抱え込まないで、何かあったら言うんだよ。一人じゃないんだから。いいね」
 そう言われて、以前の大河のことを思い出した。隗と再会した時の彼は、かなり思い詰めていたと聞いた。下手をすれば、霊力が使えなくなっていたかもしれない、と。
「はい」
 声を揃えて頷いた春平たちに、茂は満足そうに微笑んだ。
「さて、他になければこれで終了」
 ほっと空気が緩み、弘貴がコーヒーを一気に飲み干してさっさと腰を上げた。
「んじゃ、さっそく訓練訓練」
「弘貴くん、夜にちゃんと宿題するんだよ」
「分かってまーす」
 あまり当てにならなさそうな返事だ。位牌に向かってお邪魔しましたと手を合わせる弘貴の背中に、茂はしょうがないなと言いたげに笑みをこぼす。春平は側に置いていた携帯で時計を確認した。
「春くんたちは?」
 華が同じくグラスを持ち上げた。
「夜に回そうと思ったんですけど、今からでもできそうなのでやっちゃいます。そろそろ終わりそうなので」
「あたしは夜に。明日くらいには終わります」
「嘘、早くね!?」
「偉いわ二人とも」
 振り向いた弘貴の驚きと華の感心の声が重なり、夏也がついと弘貴へ視線を投げた。
「弘貴くんは、いつ頃終わりそうですか?」
 淡々としているのに、圧がものすごい。うっ、と弘貴が両手を合わせたまま顔を歪めた。茂と華、夏也と春平から窺うような目で、香苗からは心配げな目で見上げられ、弘貴は扉の方へじりじりと後退した。そして後ろ手でハンドルを握り、
「お、俺の味方は大河だけかあぁぁ!」
 と、わけの分からないことを叫びながら脱兎のごとく部屋から飛び出した。味方ってなんだ。
 乱暴に閉められた扉を見つめて春平ら四人が溜め息をつき、香苗がぽかんとして固まった。今年は手伝わないと言ってあるのに、どうしてこう弘貴は。
「あとで確認するよ……」
 溜め息まじりの茂の言葉に、華と夏也と春平が大きく頷いた。
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