第3話

文字数 2,386文字

 二人の背中を見つめ、越智は少し驚いたように目をしばたいた。
「こう言ってはなんですが、春平くんは何というか、頼りがいが出てきましたね。いつもあんな感じですか?」
「ええ。普段はどちらかといえば大人しい方ですが、現場での指示は春くんの方が適任です」
「ほう。意外ですね」
「昔は違ったんですか?」
「ええ。弘貴くんや夏也ちゃんのあとをついて回るような子でした。内気で口数も少なくて、ここに馴染むのもかなり時間がかかったみたいです。そうですか……」
 どこかほっとしたように表情を緩めた越智とは逆に、茂はわずかに顔を曇らせた。
 先日、図らずとも夏也の過去を知ってしまったけれど、春平と弘貴については何も知らないままだ。とはいえ、わざわざ聞こうとは思わない。彼らと出会って三年。一度も、親の話しを聞いたことがないのだ。
「ここだけの話し、実は心配だったんです」
 不意にぽつりと呟かれた言葉に、茂は視線を戻す。
「弘貴くんと夏也ちゃんはともかく、春平くんは大人しい子でしたから。あんな子が、陰陽師としてやっていけるのかと。しかもこの事件です。もちろん、彼の活躍は会合や依頼完了の報告で聞いてはいました。しかし、本当に陰陽師が向いているのかどうか。ですが、どうやら杞憂だったようですね。子供の順応力を侮っていました」
 越智は照れ臭そうにははっと笑い、会場へ視線を投げた。
「ただ、そうでない子もいるのは、確かです」
「と、いうと」
「施設の退所年齢は、原則十八歳です。措置延長と言って、必要と判断されれば二十二歳まで延長できますが、ほとんどの施設が行っていません。今年、二年後に制限年齢を撤廃する法改正が可決しましたが、遅すぎるくらいです。もちろん、受け入れられる人数には限りがありますし、年齢制限が撤廃されることで起こり得る問題もあります。しかし、考えてみてください。自立しろと言われてできる十八歳の子が、どれほどいると思いますか。親や経済的な支援が後ろ盾としてあるなら別ですが、ここにいる子のほとんどはそれがありません。それ以前に、虐待や育児放棄などで重大なトラウマを抱えているんです。卒園してから、金銭問題や人間関係に悩み、不安や孤独が原因で、それまで収まっていた後遺症が再発した子も少なくありません。慎重に、継続的に支援しなければいけないのに、現場では圧倒的に手が足りな……っ」
 一気にまくし立てて力説していた越智が、はっと我に返った。
「す、すみません。つい熱くなってしまいました」
「ああいえ」
 照れ臭そうに笑って頭をかく越智に、茂はふっと微笑んだ。大企業の副社長としての顔と、一人の大人としての顔。彼が氏子代表として選ばれた理由が、改めてよく分かる。
 越智は気を落ち着かせるように息を吐き出した。
「本当は、希望する卒園児童を当社で全員受け入れたいのですが……」
「……会社は、慈善事業ではありませんから」
 濁した言葉を代わりに口にすると、越智は眉をハの字にして視線を落とした。本人の意思はもちろんだが、会社である以上、適正や即戦力のある人材を求めるのは仕方のないことだ。採用人数が限られた中で、そういった人材を落としてまで私情を押し通し、経営を続けられるほど、社会も会社も甘くはない。
 理想と現実の大きな差に、越智は歯痒い思いをしているのだろう。
「ですが、だからこそ、氏子の皆さんには助けられています」
 越智は続けた。
「施設や卒園児童の支援・アフターケアをする法人、募金を行っている自治体もあります。今では、ネットで交流して情報交換をしている子たちもいます。ですが、それだけでカバーできないのが現状です。支援金をはじめ、栄明様には入居できる部屋を紹介していただいたり、他の方からは生活を始めるにあたって必要な日用品や、当面の食料などをご提供いただいたり。本当にありがたいことです。確か、茂さんも」
「ええ。支援というほどのものではありませんが、春くんたちから話を聞いて。古い物でもいいのかと思ったのですが」
「いいえ、とんでもない。とても助かりました」
「それなら良かったです」
 家財を処分する時に、春平と弘貴から言われたのだ。この冷蔵庫まだ使えるけど貰ってもいい? と。何をするのか聞いてみたところ、卒園予定の児童に譲りたいと言う。一から全てを揃えるのは、大人でも出費が大きいと思うほどの金額になる。それがまだ十八となればなおさら。さらに家賃や光熱費、食費などもかかってくる。処分する経緯が経緯なだけに、不快に思わないだろうかという心配はあったが、少しでも手助けになるのならと思い、譲ることにした。
 後日、春平たちと共に自宅を訪れたのは、高校三年生の男女二人。あと二人いるそうだが、寮のある会社に就職が決まり、必要ないらしい。ストックしていた未使用のティッシュや洗剤からテレビ、デスクや椅子、箱のまましまい込んでいたマグカップや皿のセット、タオル類など、欲しいと言われた物はほとんど譲った。ただ、残念ながら冷蔵庫は、さすがに大きいということで処分することになったが。あとから聞いた話では、洗濯機は越智の会社で分解洗浄され、男の子に渡ったらしい。
 また女の子の方は、お菓子作りが趣味らしく、ハンドミキサーやデジタルはかり、クッキーの型抜き、ケーキ型を嬉しそうに袋に詰めていた。オーブンレンジも欲しいと言うので、買い替えたばかりで綺麗だったため、後日、園の職員の車に乗せてテレビなどと一緒に施設に運んだ。その時に振る舞ってくれたバナナ味の手作りマフィンの味は、今でも覚えている。美味しいよと伝えると、彼女は照れ臭そうに笑った。
 確か、経済的な理由で調理師学校への進学を諦めたが、仕事とバイトを掛け持ちし、貯金を溜めて退職。二年前に入学したらしい。去年の夏祭りでは会えなかったが、今どうしているのだろう。
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