第14話

文字数 2,669文字

 入浴を済ませリビングに入ると、何がどうなっているのか、あれほど濡れていた式神らは綺麗さっぱりした顔で各々の主の背後に控えていた。しかも、すでにひと騒動あったのか、犬猿の仲である志季と左近がむっつりとした顔で互いに睨みを効かせていた。ちなみに入浴組は自席で水分補給中、華は双子の世話を焼いている。
「どうなってんの?」
 キッチンで夏也から麦茶の入ったグラスを受け取りながら晴に尋ねる。宗一郎たちと並んでソファに座る陽と顔を合わせるのは、賀茂家に独鈷杵を受け取りに行った日以来だ。ひらひらと手を振ると、陽も笑顔で振り返してくれた。
「椿は水を扱えるし、乾かすだけならお手の物だろ」
「じゃあいちいちシャワー浴びなくても良かったんじゃないの?」
「乾かすだけだから、土や埃はそのままなんだよ」
「あ、そうなんだ」
 神の眷族とは言え万能ではないらしい。とは言え便利は便利だ。
 グラスを煽りながらダイニングの席に腰を下ろしかけ、そうだと思い出した。樹から傷を治癒しておけと言われていたのだ。
 大河はグラスを持ったまま、ソファに座る宗史の元へ歩み寄った。
「宗史さん、椿に治癒頼みたいんだけど、いい?」
 傾けていたグラスをローテーブルに置きながら、ああ、と宗史は頷いた。
「酷かったのか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
 宗史の隣に腰を下ろし、持っていたグラスをテーブルに置く。
「どうした」
 宗史は尋ねながら、背後に控えていた椿を振り向いた。椿は笑みを浮かべてはいと従順な返答をし、大河の前へ回り込んで床に直接膝をついた。腕を出しながらはにかんだ大河に、宗史の向こう側に座っていた晴がニヤつきながら口を挟んだ。
「樹に、不愉快だから治癒しとけって言われたんだよな」
「うん。訓練の傷と違うって言われた」
 傷口が黄金色の光で覆われる様を眺めながら、大河はこくりと頷いた。
「樹さん、そんなこと言ったのか」
「うん」
 照れ臭そうに笑ってもう一度頷いた大河に、宗史と晴が苦笑した。
 傷口を覆うじんわりとした温もりは心地良い。しかし案の定、わずかな痛みが走った。声を詰まらせて顔を歪ませる。牙の時と比べて耐えられる程度ではあるが、やはり無理矢理治癒力を上げると多少の痛みを伴うようだ。
「申し訳ございません。もうすぐ終わりますので」
 何故か眉尻を下げた椿に謝られ、大河は苦笑いを浮かべた。
「何で椿が謝るの。大丈夫、平気だから」
「ありがとうございます」
 ほっとした顔で礼を言う椿に、また苦笑いを浮かべる。気を使い過ぎるあまり会話が噛み合っていない気がする。
 傷口が塞がる不快な感触がやっと治まり、椿がかざしていた手を引っ込めた。
「大河様、よろしいですよ。いかがですか?」
 そう窺われて腕を見ると傷口は塞がり、というより綺麗に完治している。どこに傷があったのかすら分からない。
「うわ、すごい。綺麗に治ってる。牙は完治してくれなかったのに」
「他にはございませんか?」
「うん大丈夫、ありがとう椿。すごいね」
「いいえ、とんでもございません」
 柔和な笑みを浮かべて腰を上げ、ソファを回り込んで再び宗史の背後に控えた。あの謙虚な態度をどこぞの尊大な式神に見習って欲しい。
 神様にも得て不得手があるんだなぁ、と思いながらグラスに手を伸ばすと、手をつないだ藍と蓮が俯いて歩み寄ってきた。すぐ側で足を止めた二人はすっかり元気がない。これは相当華と夏也に絞られたか。
 大河は手を止めて腰を上げた。床に膝をつき、尋ねる。
「どうした?」
 落ち着いた声色で尋ねた大河の声に、双子はゆるゆると顔を上げた。もうすでに目に涙が滲んでいる。
「ごめんなさい」
 二人一緒に声を揃えて告げた謝罪の言葉に、つい苦笑が漏れた。茂たちがすでに謝ったことを報告しているはずなのだが。もう一度謝って来なさい、とでも言われたのだろう。しかし華と夏也がこってり説教しただろうし、さらに追い込むことはない。
「蓮」
 びくりと肩を竦めた蓮に、ゆっくりと手を伸ばす。そして、優しく頭を撫でた。もう許したはずなのに叱られるとでも思っていたのだろうか、大きな目をさらに真ん丸にして見上げてくる。
「蓮はさ、藍が捕まった時、取り返そうとしたよな。蹴られても泣かなかった。俺が来いって言った時も、体当たりして藍を助けたよな」
 弘貴と春平が自分のことのように誇らしそうな笑みを浮かべ、他の皆からは、へぇ、と感嘆の声が漏れた。
「良くやった。かっこよかったよ」
 続けて大河はもう片方の手で藍の頭を撫でてやる。
「藍は、捕まった時ずっと泣かずに我慢してたよな。怖かったのに、一生懸命耐えてた。頑張ったな」
 あの時、藍が泣き喚いていたら、苛立った少年は藍を先に殺していたかもしれない。あの時、蓮が少年に体当たりをしていなければ、藍を掴んでいた手は離れなかっただろう。
「勝手に抜け出したのは良くないけど、でも二人とも頑張った、偉かったね」
 満面の笑みで少し乱暴に頭を撫でると、苦しいくらい強く抱きついてきた。背中をあやしながら、でもと続ける。
「謝らなきゃいけないの、俺だけじゃないよな?」
 耳元で囁いてやると二人は体を離し、皆を見渡した。
「心配かけて、ごめんなさい」
 声を揃え、体が二つに折れるのではないかと思うくらい深く頭を下げた。二人が単語ではない言葉を喋ったところを初めて聞いた。
「藍、蓮。来なさい」
 皆が微笑ましげに二人を見つめる中、宗一郎が口を開いた。二人は頭を上げ、宗一郎の前へ歩み寄り、真っ直ぐに見上げて立ち止まる。その顔は、少し凛々しく見えた。
「自分たちが何をしたのか、よく分かっているな?」
 同時に頷く。
「では、私から言うことは何もない。だが処分は受けてもらう。明日から三日間、家から出るな。もちろん朝の散歩もなしだ。いいな」
 また無言で頷いた二人に、宗一郎がわずかに目を細めた。
「きちんと返事をしなさい」
「はいっ」
 少々の威圧感が籠った声に二人は素早く手を離し、きおつけの姿勢で返事をした。五歳児にも容赦がない。宗史もこんな風に育てられたのだろうか、と少し余計な詮索をする。躾は大事だが、この様子を見ると宗一郎の躾は徹底して厳しそうだ。
「よし、席に戻りなさい」
「はい」
 硬い返事をして席へと戻る二人の表情は、酷く強張っている。よほど怖かったのだろう、大河は「分かるぞ」と心で同意しながら大きく頷いた。
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