第1話

文字数 5,412文字

 何というかこう、ちぐはぐだな。
 冬馬(とうま)は、縁側の前でほうきを動かしながら、複雑な気持ちで左近(さこん)を一瞥した。
 現代の陰陽師の式神なのだから、文明の利器を使えてもおかしくないとは思うけれど、やはりイメージというものがある。そのイメージと反し、今目の前にいる神は難なく携帯を操作し、耳に当て、誰かと会話している。
 あれから、どうも手持無沙汰で左近に頼んでほうきを借りた。物騒な術のせいで荒れた庭の土を均し、開いた穴を丁寧に埋め、爆風で落ちた葉をかき集めていた最中だった。圭介と下平から連絡が入り、しばらくしてもう一度携帯のバイブ音が聞こえた。しかしポケットに入れている携帯から振動は来ない。どこからだろうと思ったら、左近がおもむろに袂から携帯を取り出したのだ。最近の神は電子機器も操れるらしい。
 いや、神に今も昔もないだろ。冬馬は自分に突っ込みながら、こんなものかなと手を止めて庭を見渡した。穴が開いていた場所は埋めた感があるけれど、描かれていた放射線はほうきで掃いた跡に変わり、落ち葉もあらかた集め、一見ここで戦闘があったとは思えない程度には綺麗になった。ただ、薄暗いからそう見えるだけで、夜が明けると果たしてどうか。
「冬馬」
 もう少しやるかと思っていると左近から声がかかり、冬馬は振り向いた。電話が終わったらしい、袂に携帯をしまっている。
「待たせたな。襲撃してきた女たちも引き上げた。だが、宗一郎(そういちろう)からお前を送ってやれと指示が出ている。右近(うこん)が戻るまでもうしばらく待て」
 志季(しき)いわく、水神らしい瓜二つの右近か。
「有難いけど、そこまでしてもらうのは申し訳ない。適当にタクシーを捕まえるから」
 言いながら、冬馬はほうきを縁側の脇の壁に立てかけた。待っている間に、何度か警察らしい番号から着信があった。今どこにいるのか聞かれるので出なかったが。そうなると、車は警察によって移動されているだろうから、直接警察署に行き、聴取を受けて、店に寄る。帰るのは何時になるのだろう。
「……冬馬」
 頭の中で予定を組みたてていると、左近が言った。
「龍に、乗ってみたくはないか」
 予想だにしない質問に、思考が一時停止した。
「……は?」
 冬馬は、こてんと小首を傾げた。一体何を言い出すのか。
「廃ホテルで、犬を見ただろう」
「ああ……、あ、確か、変化とかいう」
「そうだ。右近は、水神の眷族だ。水神の象徴は龍。人型で運ぶより、変化した方が断然早い。私でも良いのだが、朱雀を模すので目立つ」
 志季の小さな火の鳥を思い出した。確かに、夜とはいえあの真っ赤な鳥は目立つだろう。しかも人が乗れる大きさとなるとなおさら。だが。
「龍も十分目立つと思うけど」
「この時間ならば問題ない。人気のない場所に降ろす」
 冬馬は逡巡した。飛べるのなら、タクシーで移動するより確実に時間を短縮できる。聴取に時間を取られるだろうし、できるだけ早く店のスタッフを安心させてやりたい。などと理屈を並べてみるが、要は。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
 好奇心に負けた。けれど、龍に乗る、という甘すぎる誘惑に勝てる奴がいたらお目にかかりたいとも思う。またずいぶんと人の好奇心を煽るのが上手い神だ。苦笑いを浮かべる冬馬に、左近が分かったと頷いた。
「それと、護符を持っているな。出せ」
「ああ……」
 何だろう。冬馬は不思議に思いながら、言われるがままポケットからお守りを引っ張り出し、ぎょっと目を剥いた。何を思ったか、左近はどこからともなく短刀を出現させ、サイドの髪を指で一房つまみ、躊躇いもなく切り離した。
「ちょ……っ、何してるんだっ」
 さすがにこの時間に大声は出せない。何のつもりか知らないが、ほんの三、四センチとはいえ、綺麗な髪なのにもったいない。声を抑えて諌めると、左近は首を傾げた。
(わたし)の体の一部は、護符になる。共に持ち歩け」
 ほら、というように差し出され、冬馬は困惑顔で目を落とした。護符になると言われても、普通なら遠慮したい申し出だ。だが、神の髪はおそらく、いや、非常に貴重だ。ここで断ればそれこそバチが当たるし、無碍にするのは申し訳ない。しかし。
 冬馬は観念したようにお守り袋の紐を解いた。
龍之介(りゅうのすけ)は捕まった。もう終わったのに、どうしてだ」
 最大の疑問はそこだ。中から、和紙で作られたお守り袋を取り出して開くと、左近は慎重に折り畳まれた護符の上に髪を置いた。
「念のためだ」
 抑揚のない口調から、真偽は分からない。冬馬は、髪を飛ばしてしまわないようにゆっくりと和紙を閉じた。
「……分かった」
 お守り袋に戻し、紐をくくる。
 不意に、左近が右手を上に向けた。すると手の平の上に大きな炎が出現し、見る見るうちに形を変えていく。形成されたのは、鷹ほどの大きさの朱雀だ。綺麗な赤、羽根の一枚一枚、尾の長い飾り羽根まで精巧に再現されている。リンのアパートで見た水龍も美しかったが、こちらもまた見事だ。なるほど、もしこれと同じ形に変化するなら、確実に人目につく。
 朱雀は一度羽根をはばたかせると、すいと滑るように上空へ飛び去った。
「少し離れる。動くな」
「ああ……」
 興味深げに朱雀を眺める冬馬を見やり、左近は縁側から上がって部屋の奥へと引っ込んだ。
「……綺麗だな」
 まるで周囲を警戒するように旋回する朱雀は、夜空に映えて実に美しい。志季の雀、もとい火の鳥も、あれはあれで可愛かったけれど、こうして見ると彼がどれほど不得手なのかよく分かる。
 陰陽師、式神、そして鬼。人生観が、がらりと変わりそうだ。
「……もう、変わってるか」
 小さく笑みを浮かべ、手の中のお守りに目を落とした。指先で「厄除け」の刺繍を撫でながら、ふと、下平(しもひら)の言葉が脳裏を掠った。――お前は(いつき)にとって支えになる。
 左近は念のためと言っていたけれど、もしかして、樹と関係があるのだろうか。廃ホテルの事件は、平良(たいら)が計画したと言っていた。リンとナナを人質にして、智也と圭介を従わざるを得ない状況に追い込んだ。人の気持ちを利用するような奴ならば――。
「さすがに自惚れすぎか」
 いくら下平にあんなことを言われたからといって、さすがにこれは。冬馬は自嘲的な笑みを浮かべて、一つ息をついた。お守りをポケットに押し込んで、ゆったりと優雅に旋回を続ける朱雀を見上げる。
 本当に念のためなのだろう。
 と、唐突に朱雀が旋回をやめて降りてきたと思ったら、目の前で一度大きく羽根をはばたかせ、ふわりと下りてきた。
「っと」
 咄嗟に腕を出すと、朱雀は何の躊躇いもなく止まり、赤い目をこちらへ向けた。鷹匠よろしく腕に受け止めた朱雀をまじまじと眺める。
 本当に乗せているのか疑うほど重さがないのに、ほんのりとした温もりが伝わってくる。熱いのだと思っていたが、これなら触れても大丈夫だろう。冬馬は、もう片方の手で遠慮がちに羽根に触れた。元が炎だからだろうか。感触は、例えるならドライアイスの温かいバージョン。触れると形が崩れ、しかしすぐに元に戻る。
「どうなってるんだ……」
 感嘆の息を吐きながら、目を丸くして朱雀の目を覗き込む。
「冬馬」
 背後から声がかかり、冬馬は少し興奮気味に振り向いた。
「左近、これどうなって……」
 戻ってきた左近の後ろには、二人の女性。母親と妹だ。あ、と口の中で呟いて冬馬が体を向けると、朱雀が腕から飛び去って左近の肩へ移動した。
 左近が姿勢を正した冬馬の前で足を止め、彼女たちも立ち止まる。微かにお香のような香りが漂った。
「彼が桐生冬馬だ。冬馬、椿(つばき)の主、宗史(そうし)の母親の夏美(なつみ)と、妹の(さくら)だ」
 初めまして、と互いに深々と頭を下げる。またずいぶんな美人親子だ。
 頭を上げると、何やらまじまじと見つめられた。何でこんなに見られているのだろう。戸惑っていると、夏美が口元に笑みを浮かべた。
「貴方が、樹くんのお友達」
 そう、とどこか感慨深そうに呟いた夏美に、すぐに返事ができなかった。
 大切な人に変わりはないけれど、友達と言っていいのかどうか。雇用主と被雇用者から始まって、では今はどんな関係なのだろう。返事の代わりにぎこちない笑みを浮かばせ、冬馬はひとまず謝罪を口にした。
「こんな時間にお邪魔して申し訳ありません」
 夏美がいいえと笑った。
「お気になさらないでください。話は聞いていましたから。貴方が無事で良かった」
「ありがとうございます。しかし、桜さんはお身体が弱いと聞きました。大丈夫でしたか」
 冬馬が視線を向けると、桜はふわりと笑って頷いた。
「はい、大丈夫です。ご心配いただいて、ありがとうございます」
 透けるような白い肌は儚い印象を受けるけれど、可憐な笑顔は元気そうだ。
「良かったです」
 ほっと息を吐くと、夏美が「あっ」と思い出したように手を打った。
「そうだわ。椿が良い物を頂いて。ありがとうございます。とても喜んでいました」
「ああ、いえ。こちらこそ、命を救っていただきました。ありがとうございます」
 いえいえ気を使っていただいて、いえそんな、と始まった遠慮の応酬に左近が嘆息し、桜がくすくすと笑い声を漏らす。左近が遠くへ視線を投げた。
「冬馬、時間だ」
 そう言った左近の視線を辿った先には、屋根伝いにこちらへ向かってくる一つの人影。あっという間に大きくなり、着物姿の人物が軽い所作で庭へと着地した。
「ご苦労だったな、右近」
「まったくだ」
 嘆息と共に吐き出された返事に、左近が怪訝な顔をした。
 なるほど、志季が愚痴るわけだ。容姿はもちろん、髪型まで同じの上に声も似ている。さらに名前が似ていれば、どちらがどちらか分からない。左近が着物を着崩していなければ、永遠に判別できないかもしれない。しかし、火神と水神が瓜二つとはどういう理屈でそうなるのだろう。物理的には対照的なものなのに。あるいは対照的だからこそ、かもしれない。それにしても、声は男に近いが、右近と左近は「彼」なのだろうか「彼女」なのだろうか。
 今日は不思議に思ってばかりだな、と冬馬が二柱を見比べながら考えていると、右近がふいと視線を投げてきた。
「お前が、冬馬か」
「初めまして。わざわざ悪いな。ありがとう」
「構わん、気にするな。行くぞ」
 言うや否や、右近が大量の水を纏った。質量を増し、形を変えた果てに現れたのは、全長三メートルほどの美しい青龍。
 目を丸くして唖然とする冬馬へ、右近が紫暗色の目を向けた。乗れ、と頭の中に声が聞こえる。
 本当にどうなってるんだとは思うが、相手は神。もう理屈を考えるだけ無駄だ。冬馬は考えるのをやめ、改めて縁側を振り向いた。
「本当に、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「いいんですよ」
「桜さん。お身体、大事になさってください」
「はい、ありがとうございます」
 にっこり笑った二人から、左近へ視線を移す。
「左近。――ありがとう」
 生きろと言ってくれたこと、自らの髪を切ってまで気を使ってくれたこと。全てに対して、感謝の言葉を告げる。
「礼を言われるようなことはしておらん。それより、振り落とされぬようしっかり角を握っていろ。念のため、使いも護衛に付ける」
 そっけない返事と注意に、冬馬はくすりと笑った。肩に乗っていた朱雀が大きく羽根を広げて庭へ飛び出す。
「分かった。ありがとう」
 小さく頷いて、冬馬は身を翻した。姿勢を低くした右近の背中に両手をつき、勢いをつけて飛び乗る。
「右近、気を付けて飛ぶのよ」
 分かっている。夏美にそう返すと、右近はすうっと浮かんだ。
「では、失礼します」
「お気を付けて」
 ひらりと手を振る夏美と桜に会釈すると、右近が体を曲げてゆるりと方向転換し、緩く角度を付けながら上昇した。先導するように、朱雀が前を飛ぶ。感覚は、ジェットコースターに乗った時の浮遊感に近い。庭の塀を越え、屋根を越え、さらにもっと上へと昇りながら前に進む。
 夜空と星と月が、近くなる。
 怖くはないか。右近が問うた。
「ああ、高い所は平気だ」
 志季に腕一本で宙吊りにされた時はさすがに怖いと思ったけれど、生物に乗っているからか、こんな上空に身を晒していても不思議と怖さは感じなかった。肌を掠める空気は、真夏とは思えないほどひんやりとして清々しく、どこまでも見通せる視界は、むしろ解放感すら覚える。
 自分でも珍しいと思うほど、高揚している。冬馬は角を握り直して、眼下に広がる街を見下ろした。
 いつだったか、恋人にせがまれて夜景を見に行ったことがあった。彼女は歓声を上げて喜んでくれたけれど、どうしても綺麗だと思えなかった。それ以前も以降も、一度として、綺麗だと思ったことはない。人工的な光が集まっただけの、無機質な集合体。そんなものを見るために、わざわざ高い場所に足を運ぶ人の気持ちが理解できなかった。
 でも今は、驚くほど美しくこの目に映る。
 以前読んだ本の中で、作者は街を人の体に例えていた。そこに生きる人々は細胞、無数の家々や建物は臓器、連なって流れる車や延びる道路は血液と血管。
 複雑な構造の中で時間や仕事に追われ、出会いと別れを繰り返し、生きることに精一杯の毎日。そんな中で出会えた、大切な人。
 彼は今確かに、この街のどこかで生きているのだ。
 ――一緒に、この景色を見たかった。
 不意に、未練がましい気持ちが胸を掠めた。
 冬馬はそんな気持ちをごまかすようにゆっくり息を吐き出し、前を向いた。
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