第1話

文字数 1,464文字

 伊勢神宮は、一生に一度は参拝したい神社として、出雲大社や明治神宮と共に必ず名が挙がる。そのため平日でも観光客が多く、伊勢街道やおかげ横丁にはたくさんの食事処や土産物屋が軒を連ねている。店によっては側を流れる五十鈴川を眺めることができ、食事をしながら豊かな自然を堪能することができる。
 ゆえに、伊勢神宮近くは参拝者でごった返しており、近くの駐車場に入れるのも一苦労らしい。歩く時間が長ければ長いほど目立つ。鈴と紫苑が。そこで、市内で松阪牛を扱っており、かつ駐車場が近くにある店を探したところ、夕飯時より早い時間だったことが幸いしたのか、運良く掘りごたつの個室が取れた。
 食事処で各々好きなメニューを注文し、待っている間に待機場所の確認、また夏也から擬人式神についての話を聞いた。擬人式神の意外な使い方に、鈴と弘貴は称賛し、紫苑は感心し、春平は驚いた。
 そして、松阪牛に舌鼓を打っていた時だった。
「紫苑、口に合わない?」
 牛鍋御膳を前にして箸を止めた紫苑に、華が心配げに尋ねた。
「食わないんだったら俺が、いてっ」
 横から箸を伸ばした弘貴の手の甲を、鈴が向かいの席からぴしっと叩いた。
「卑しい真似はやめぬか」
 じろりと紫暗色の瞳で睨まれ、弘貴はおどけるように肩を竦めた。そんなやり取りを気にも留めず、紫苑は覇気のない顔で憂いの帯びた溜め息をついた。
「今頃、柴主はいかがしておられるのか……」
 そこか。もう一度深い溜め息をついた紫苑に、皆が顔を見合わせて苦笑する。紫苑の柴への忠誠心は嫌というほど知っているが、たった数時間離れただけで食事も喉を通らなくなるとは。
「そんなに気になるなら電話してみろよ。携帯は?」
「柴主がお持ちだ」
「じゃあ俺の貸してやるよ」
 弘貴はテーブルに置いていた携帯を手早く操作し、ほらと差し出した。呼び出し音がする。紫苑は箸を置き、
「かたじけない」
 と堅苦しい礼を言って受け取った。携帯を耳に当て、どこか緊張した面持ちで待つ。ぴくりと肩を震わせ、紫苑は姿勢を正した。どうやら繋がったようだ。邪魔をしないようにと気を使っているのか、それとも聞き耳を立てているのか、春平たちは黙々と箸を進める。一瞬おかしな間があって、紫苑が恐る恐るといった様子で口を開いた。
「柴主。紫苑でございます。その……今、いかがしておられるのかと……」
 たどたどしいのは携帯に慣れていないせいか、それともわざわざ電話をかけたことに恐縮しているのか。どちらにせよ、いつもの紫苑からはちょっと想像できないくらいにおどおどしている。弘貴が牛肉を口に含んだまま肩を震わせた。
「作用でございますか。何かご不便や変わったことはございませんか。……それならようございました。……はい」
 古めかしい言葉遣いと携帯がちぐはぐだ。などと考えながらお吸い物をすすっていると、
「御意」
 突然の仰々しい返事に、ぐっと喉が詰まった。華は椀を抱えたままきょとんと目をしばたき、夏也は豆腐を箸に乗せたまま固まり、弘貴は運んだ牛肉を口元で止めた。口がぽかんと開いたままだ。唯一、鈴だけが平常心だ。
「では、失礼致します」
 先程までのたどたどしさはどこへやら。すっかりいつもの明朗とした口調だ。
 紫苑はどこか満足そうに携帯を耳から離し、ありがとうと言って弘貴に返した。そして改めて手を合わせ、箸を軽快に動かす。
「ふむ。美味いな」
 満足そうに牛肉を口に運ぶ。一体何を言われたのだろう。
「生御意初めて聞いた。ほんとに言うんだな」
 生御意って。春平は苦笑いをし、自分の御膳に箸をつけた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み