第14話

文字数 6,188文字

「――以上です」
 革張りのデスクチェアに腰を下ろした宗一郎を前に、宗史は報告を終わらせた。だが。
「……父さん。いつまで笑ってるんですか」
 案の定、右近の動向がツボにハマったらしい。体を二つに折って背中を振るわせる宗一郎を、宗史は白けた視線で見下ろした。報告の途中で笑いが止まらなくなった宗一郎を放置し続けたのだが、結局終わるまで笑い続けたのだ、この当主は。
 宗史が溜め息をつくと、宗一郎はやっと体を起こし、目尻に浮かんだ涙を拭った。
「お前の采配に問題はない。よくやった」
 笑いながら褒められても有り難みが薄い。
「しかも、想像以上の結果だ」
 つまり。
「右近がどう動くか読んだ上で、手を出すなと指示を出されたんですか」
 右近が助けに入ったタイミングは、どう考えてもおかしい。相手が酒吞童子で、香苗がいて見張っていたのならもっと早く助けに入ったはずだ。ならば、宗一郎から指示が出ていたとしか考えられない。大河たちが寮を抜け出すことはもちろん、右近が香苗を見張ることを前提に、何もなければそれで構わない。だが何かあった場合、右近が助けに入るまでの間、大河の成長ぶりを弘貴たちに見せつけるために、そんな指示を出した。
 返事の代わりに、宗一郎はにっこりと笑みを浮かべた。どうやら正解らしいが。
「悪趣味ですね」
 忌憚なく言い放つと、宗一郎はくすりと笑った。
「心外だな。美琴の件に加え、大河の成長ぶりを間近で見たからこそ、弘貴と春平は独鈷杵の訓練を承諾し、香苗も決別する強さを得た。違うか?」
 美琴の件、ということは、少なくとも廃ホテルの事件より前から、弘貴たちに独鈷杵の訓練を勧めるつもりだったのか。
 背をもたれ、腕を組んで不遜な笑みを浮かべた宗一郎に、宗史は唇を結んだ。
 美琴に一歩先を行かれたとはいえ、右近が初めから介入していたら、弘貴はともかく春平は独鈷杵の訓練を渋っただろう。また香苗も、あの父親と決別できず、もし次があった時は同じことを繰り返していた。そうなれば、せっかく寮に入って少しずつ変わっていたのに、また昔に戻ることになる。例え牽制はできても、香苗自身が決別しなければ意味がないのだ。
 過去を忘れることはできない。それでも変わっていくことはできる。それが強さへと繋がるのなら、今の状況で父親の存在は、邪魔だ。もちろん香苗が内通者でなければの話だが。
 しかしそれでも、右近が不憫だ。
「まあ、さすがに酒吞童子と隗については、私も予測できなかったがな」
 そこまで分かっていたら、今回の件は罠でいっそ宗一郎が敵側の主犯じゃないかと思う。
 宗史は薄く唇を開き、しかし結局言葉を飲み込んだ。どう思われますか。彼に対し、そう聞くだけの素直さはない。
「父親の安否については明日、右近に確認させよう。それで、大河の様子はどうだ?」
 心情を察したように変えられた話題に、宗史はわずかに眉を寄せた。
「明日、話しを聞こうと思っています。様子を見る余裕はなくなりました」
「同感だ。ああ、そうだ。明日の仕事だが」
 宗一郎は腕を解き、デスクにあった依頼書を取って差し出した。それを受け取り、ざっと目を通す。
「……これ、ですか?」
 眉をひそめると、宗一郎が嘆息した。
「先方には急ぐ必要はないと伝えたのだがな、依頼人がしつこく催促してくるらしい。いい機会だと思って受けることにした」
 全員に一度に報告をするには、どうしても大河を寮から連れ出す必要がある。仕事はいい口実になる。
「しかし、柴と紫苑はどうしますか?」
 結界樹の影響で中に入りたくないだろうし、二人を伴って仕事に行くのは不自然だと思うが。
「潜伏先を探りに行くのは午後か?」
「おそらく。剣術の指導を頼んだので、変更になるかもしれませんが」
「ならば、樹と怜司に伝言を。早朝訓練の時には顔を合わせるだろう。柴と紫苑が出る前に連絡しろと伝えてくれ。午後からならお前が。左近に伝えさせる」
「了解しました」
 宗史は宗一郎から視線をずらし、デスクに置かれた紙の束を見やった。
「読まれましたか」
「ああ」
「何か分かりましたか」
 ふと宗一郎が楽しげな笑みを浮かべた。こういう笑い方をする時は、必ず何かを企んでいる時だ。
「なかなか興味深いことが書かれていたよ。明日、明に回す」
「独鈷杵の在り処や、刀倉家に攻撃系の術が伝わっていないことも?」
「いいや、それについては何も。だが――」
 宗一郎はじらすように間を開けて言った。
「ヒントはあった」
 どんな、と口を開きかけた宗史を、宗一郎が制すように手を上げた。
「それが正しいかどうかは、まだ分からない。答えはおそらく大河が知っている」
「大河が?」
 どういうことだ。心当たりがないと言っていたのに。
「それも含めた深夜の会合だ。もし間違っていなければ、刀倉家に連絡を入れて確認してもらう。その後の対応はまだ決めかねているところだ」
 宗史は小首を傾げた。
「珍しいですね」
「どう事態が動くか分からないからな。安易に動けない」
 そう言いながらもどこか楽しげな表情に、宗史は眉根を寄せた。彼の目には、一体何が視えているのだろう。
 だが、ここで尋ねても答えてくれないのは百も承知だ。宗史は諦めて息をついた。
「では、これで失礼します」
「ああ、ご苦労だった」
 宗史は踵を返し、ハンドルに手を掛けたところでふと肩越しに振り向いた。
「父さん」
「うん?」
 一度瞬きをした宗一郎に、宗史は爽やかな笑みを浮かべた。
「あまり右近をいじめると、香苗に取られますよ」
 宗一郎が珍しく声を詰まらせて固まったのを見て、宗史は笑みを湛えたまま「おやすみさない」と言い残し書斎をあとにした。
 後ろ手で扉を閉め、
「ま、可愛らしい嫌がらせだ」
 満足気に一人ごち、足取りも軽く風呂へと向かった。

        *・・・*・・・*

「やっぱこっちだったか」
 呆れ気味に声をかけると、縁側の前で落ちた霊符を拾っていた明が顔を上げた。バイクを停めている間に閃の術を解いたらしい。
 土御門家は、平屋の日本家屋ともう一棟、二階建ての住宅が建っている。頻繁に人の出入りがあるため、祖父が建てたプライベートな住居で、平屋の方はもっぱら「仕事用」だ。しかし広い庭はここにしかなく、幼い頃から訓練や二人の弟の面倒を見るため、また今でも一日の大半を平屋で過ごす明にとって、居心地がいいらしい。
「おかえり」
 袂に霊符をしまいながら、明は穏やかな笑みを浮かべた。
 室内から漏れる明かりを頼りに本を読んでいたようで、分厚い文芸書が縁側に置いてある。その横には陶器製のブタの蚊取り線香入れ。昔ながらの線香の香りが漂い、白い煙がゆらゆらと立ち昇っている。何年か前、もっとお洒落なやつあるだろ、という突っ込みに対して、蚊取り線香入れと言えばブタさんだよ、と固定観念――もとい、こだわった反論が返ってきて呆れた覚えがある。香りも今は何種類か出ていて、試していたようだがしっくりこなかったらしく、気が付いたら結局これに戻っていた。
「夜にここで読むのやめろっていつも言ってんだろ。目ぇ悪くなるぞ」
 苦言を呈しながら、晴は煙を吐き出すブタを挟んで縁側に腰を下ろした。ヘルメットを床に置き、縁側の下に常備している灰皿を引っ張り出す。さっそく煙草に火を点けて深く吸い込み、長く吐き出した。
「ここが一番集中できるんだよ。ああ、やっと切ったか」
 一瞬何のことか分からず、見下ろしてくる明を見上げたまま首を傾げ、ああそうかと気付いた。午前中に髪を切ってから帰っていないのだ。待つだけの時間は妙に長く、すっかり忘れていた。廃ホテルの事件の時、皆はこんな感覚だったのかと思った。
「お前は、やっぱり短い方が似合うな」
 腰を下ろしながらさらりと褒められ、晴は「そりゃどうも」と煙草をくわえた。
「陽は? 寝たのか」
「ああ。心配してたんだけどね、もう遅いから休ませた。明日話すよ」
 そうか、と返して晴は前置きもなく報告を始めた。
「――以上だ」
 報告は得意ではない。しかも現場におらず、実際目にしていない出来事を説明するのはさらに苦手だ。いっそ宗史から聞いてくれと思う。
「笑いすぎだろ、お前」
 手で口を覆い俯いて、声もなく肩を振るわせる明に、晴は白けた視線を投げた。右近のことがツボにハマったのだろうが、ここまで笑われると可哀相に思えてくる。今頃、もう一人の笑い上戸もハマっていそうだ。
「ごめんごめん」
 やっと体勢を戻した明は、眼鏡を外して目尻の涙を拭った。ますます右近が可哀相だ。
「宗史くんの采配はさすがだけど、宗一郎さんの方が一枚上手だったな。あの人の思惑通りだ」
 明は眼鏡をかけ直し、苦笑いを浮かべてしみじみと言った。
「本当に、あの人には敵わない」
「絶対に弱味とか握られたくねぇ」
 しかめ面をして新しい煙草に火を点ける。
「おや、握られていないとでも思ってるのか?」
 吸い込んだ紫煙を吐き出し、晴は肩を落とした。
「……だよな……」
 明はくすくすと笑った。色々と心当たりがあるだけに否定できない。気を取り直すように晴はもう一度息をついた。
「で? どう思うよ」
 改めて尋ねると、明はそうだねと逡巡した。
「何とも言えないかな」
 明でさえ判断が付かないのなら、自分があれこれ考えても仕方がない。灰皿に灰を落としながら、そうですか、と軽く聞き流す。
「美琴は少し様子見だ。体調が悪そうだったらしばらく訓練をさせないよう、華たちにも伝えておく」
「了解」
「精神面に関しては、華や夏也がいるから問題ないだろう。ただ、弘貴との関係は気になる。これがきっかけで少しは素直になってくれるといいんだけど」
「あいつらなぁ、ほんといつまで意固地になってんだっつーの」
 美琴を保護したのは明だ。保護された時の状況は大体聞いている。だが、それと同年代の弘貴たちへ対するきつい当たりは別物だろう。大人組には素直なのに、あれは何なのか。
「大河くんの様子は?」
 晴は一拍置いて答えた。
「あんま良くねぇな。宗が明日話し聞くっつってたけど……」
 大河の性格ならば、樹が言うように聞けば話してくれそうだとは思う。けれど――。
「話しにくいだろうね」
 明の代弁に、晴は無言で紫煙を吐き出した。
 隗を憎んで当然。当たり前の心理だ。それは嫌というほどよく分かる。だからこそ、吐き出せば楽になるだろうとも、そう簡単に吐き出せるだろうかとも思う。自分の醜い感情など、認めたくないだろうし知られたくないだろう。ましてや、あんな話を聞けば。
 隗と酒吞童子のいきさつを聞きながら、失敗したと思った。好奇心から、つい「お前たちは違うのか」などと聞いてしまったが、聞かなければあそこで終わっていたかもしれないのに。まさかあんなエピソードがあったなんて。
 大河を、追い込んだかもしれない。
 難しい顔をして燻る煙を見つめる晴を横目で一瞥し、明がおもむろに口を開いた。
「だが」
 晴は我に返って明を振り向いた。
「割り切ってもらわなければ困る」
 鋭い声と、真っ直ぐ前を見据える強い眼差しに、晴は目を細めた。
 栄晴に似て温厚な性格の明がこんな目をするようになるなんて、六年前は想像もしなかった。それほど、陰陽師家当主という立場には、責任と重圧がある。分かった上で、明は今の自分と同じ年でその座に就いた。
 晴は庭に視線を投げ、まあでも、とおどけるように言った。
「どうしても言わねぇようだったら、志季に任せるわ。無理にでも吐き出させた方がいいだろ」
「志季に?」
 明は首を傾げたが、すぐに思い当たったようで小さく笑った。
「樹の件か」
「そ。あいつ、何気に大河のこと気に入ってるしな」
 好戦的で粗雑なわりには妙に情に厚いというか、青春を地でいっているような式神だ。祖父を殺害され、それでも必死に前を向こうとしている大河は、彼にとって好感が持てるらしい。おそらく今も、やきもきしながら下界の様子を見ているのだろう。もしかするとひと暴れしているかもしれない。
 式神は術者の鏡というが、ならば何故あんな式神が、面倒事は勘弁主義の自分にあてがわれたのか。神の考えは未だによく分からない。分からないこそ神だとも言えるが。
 ふふ、と明が小さく笑い、晴が怪訝な目で見やる。
「何だよ」
「いいや、何も」
 口に手をあてがって肩を振るわせる明に、ますます眉をひそめる。何がそんなにおかしいのか知らないが、宗一郎同様、笑いの沸点が低すぎやしないか。
「つーかさ、あれ良かったのかよ」
 明の笑いが収まるまで待つと夜が明ける。話題を変えると、明がかろうじて笑いを収めてこちらを向いた。
「あれ?」
「独鈷杵のこと。誰が内通者か分かんねぇのに独鈷杵の訓練させるとか、こっちの手の内見せるようなもんだろ」
 ああ、と明がやっと落ち着いた様子で前を向き直った。
「問題ないよ」
 さらりと言い切られ、今度は晴が振り向く。
「内通者のために、他の者たちを危険に晒すわけにはいかないだろう。それに、今から訓練をしても内通者が判明するまでに会得できるとは限らない。警戒はさせてしまうだろうが、それだけでも敵側の動きは制限できる」
 内通者が判明してからでは、独鈷杵――新しい術や武器を会得させるほどの時間がないということだ。リスクは伴うが、会得できたのか、どの程度の精度なのかなど、内通者が寮を去ったあとのことは向こうに伝わらない。多少の抑止力にはなる。
「それに、どのみち彼らには独鈷杵の訓練を勧めるつもりだったんだよ」
「そうなのか?」
「ああ。霊符のみで対峙させるには危険すぎる。けど、余計なプレッシャーをかけることにもなる。さてどうしようかと思っていたところに、美琴と今日の事件。美琴と大河くんは、いい仕事をしてくれたよ」
「なるほどねぇ……」
 そこまで考えていたのか。ということは、先日の会合で「独鈷杵の予備があった方がいい」という提案は、その場で思い付いたことではなく計算づくだったらしい。
 晴は感嘆の息を吐きながらも、苦い表情をした。
「なーんか、お前らの手の平の上で転がされてる気がして、ぞっとしねぇな」
「上手く転がってくれればいいんだけどね」
 恐ろしいことを平然と口にして笑う明に、晴は顔を引き攣らせた。確かに樹や怜司は納得できなければ全力で抵抗しそうだが、それすらも容易に収めるだけの頭と実力があるのが当主だ。恐ろしすぎる。
 おお怖、とぼやいた晴を一瞥し、明は笑いながら本を手に腰を上げた。
「今日はご苦労だった。お前も早く寝なさい。灰皿、きちんと始末しておくんだよ」
「分かってるって」
 背後を通り、廊下を行く足音を聞きながら紫煙を吐き出す。と、足音が止まった。
「晴」
 不意に呼ばれて振り向くと、明は背を向けたまま言った。
「僕は、これ以上何も失うつもりはない」
 突然告げられた言葉に、晴は目を丸くして背中を見つめた。
「強くなりなさい」
 静かで、しかし押し潰されそうなほど重い声。ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたように、息が詰まった。
 ゆっくりと遠ざかる背中が見えなくなってから、晴は庭へ視線を向けた。煙草の煙を肺の奥まで吸い込んで、長く吐き出す。
 灰皿に吸い殻を押し付け、後ろ手をついて夜空を仰いだ。
「了解」
 ぽつりと呟いた声は誰にも聞かれることなく、蒸し暑い夏の空気に溶けた。
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