第17話

文字数 4,470文字

      *・・・*・・・*

 大河たちが無事新山口駅にて駅弁と土産を購入し、新幹線に乗り込んだ七時半頃。紺野は空腹と共に帰宅した。
 とりあえず米をセット。炊ける間に洗濯物を取り込んで風呂を洗う。夕飯は、下味をつけて冷凍しておいた肉があるからそれを焼いて、あとはサラダと味噌汁。
「……ほうれん草の胡麻和えにするか」
 エアコンを付けて、頭の中で予定を組み立てながら時計を外す。上着の内ポケットから取り出したメモ帳に、ふと手を止めた。
 昨日、捜査に進展があった。
 鬼代事件は警察にとって謎の多い事件だが、その中の一つ。渋谷健人がどうやって田代基次の住所を探り当てたのか、という謎についてだ。
 田代の事件を時系列に並べると、こうなる。
 四年前、田代が健人の妻子を殺害。しかし、医療観察法が適用され無罪となる。
 一年半前、母親が死去し、自宅の権利が叔母へ譲渡される。
 今年三月、田代が指定医療機関を退院。同時期に、健人が情報提供の停止要請を提出。
 四月、田代は父親の元へ引っ越し、その後、叔母は自宅を取り壊して土地を売却。
 八月、田代が遺体となって発見される。
 叔母は、姉、つまり田代の母親が死去し、田代が退院してくるまでの一年半、自宅をどうするか迷っていたらしい。彼女にとっては実家であり、しかし田代はあんな状態で、自身も夫も老齢。子供たちも府外や市外に出ていて管理する者がいない。父親が田代を引き取ることで落ち着いたあとに、取り壊しを決意した。遺品整理や家財の処分をするため何度も実家へ足を運んでいるが、その間、周辺で不審な人物を見かけるなど、おかしなことはなかったらしい。
 また、彼女は田代の裁判を傍聴したそうだ。被害者遺族として傍聴席にいた健人の顔は忘れられず、見たら絶対に分かると断言し、だがあれから健人を見かけたことはないと証言している。
 健人の動向から見て、田代の退院後、つまり会社を退職してから自宅を見張っていたと考えられる。しかし、四六時中見張ることは不可能だろうし、何よりも五カ月もの期間が開いている。復讐目的で見張っていたのなら、まだ働ける元気がある父親と同居する前に殺害する方が確実であり、そもそも長期間開けるのは不自然だ。となると、見張っていた可能性は低い、あるいは機を逃した。健人が田代の居場所を知る術は他にない。
 と思われていたが、意外なところから接点が出てきた。
 健人の元職場だ。大阪に本社を置く「株式会社 eライフエンジニアリング」は、関西圏内に支社を持つパソコンや携帯のメンテナンス修理会社である。健人が勤めていた京都支社は、市内のオフィスビルの中にある。
 そこへ再度聞き込みに行った捜査員が、すれ違った清掃員の制服を見て気が付いた。ポロシャツの胸元に刺繍されていた会社名と名札に。株式会社サンクリーン。ビル清掃を主とした清掃会社で、田代の父親のアルバイト先だ。
 サンクリーンへ行き父親の勤務記録を調べると、確かに記録が残っていた。一年ほど前のことだ。
 だが、本来彼の担当は別の地区で、eライフが入るビルへ行ったのはたった一度だけ。その日、欠員が出て急遽父親が代わりに入ったらしい。しかし、田代の父親は裁判を傍聴しておらず、被害者遺族として健人の名前は知っていたものの、顔は知らなかった。偶然ビル内で見かけたとしても、田代という名は珍しくもないし、健人が父親の顔を知っていたとは考えづらいのだ。
 他にどこかで接点があったのではと思い、父親に再度健人の写真を確認させたが、やはり知らないと繰り返した。
 ここまでくると、少々現実的ではないが、田代という名前の人物を手当たり次第に調べていたのでは、という突拍子もない見方が出た。確信もないのに、都合よく同じ名字の人間と会えるのかという意見もあったが、それしか方法が思い付かない。
 つまりは、こういうことだ。
 退職後、健人は田代の自宅を見張っていたが機を逃し、行方を捜していた。そんな時に、一年前に見かけた父親のことを思い出した。妻子を殺害した犯人と同じ名前なら、記憶に残るだろう。サンクリーンの場所はネットで調べればすぐに分かる。健人は父親を尾行し、自宅を特定した。田代退院から五カ月の期間が開いているのは、そのせいだろう。ちなみに、サンクリーン宛てに、父親に関する問い合わせやクレームはなく、会社周辺で不審な人物を見かけたことはなかったそうだ。
 捜査員たちはいまいち腑に落ちない顔をしていたが、とりあえず会社から自宅までの道のりの聞き込みに当たることになった。
 一方、紺野たちの間では、健人は初めから田代の居場所を知っていたのだろう、という意見で一致した。変化した式神は、昼間は目立つ。だが、悪鬼で移動ができるのなら、人目を避けて退院後の田代の動きを見張ることは可能。田代殺害も計画の内ならば、タイミングを計っていたはずだ。だから父親との同居も見逃し、五カ月もの時間が開いた。ただし、拉致し殺害するまでかなりの時間が開いていた謎については、解けないままだ。
 紺野は静かに息をついた。
 警察は、この件において真実を解明することはできない。悪鬼の存在を知らない以上、どれだけ時間と足を使っても徒労に終わる。そもそもこの事件自体、非現実的な力で引き起こされているのだ。犯人たちを逮捕したとしても証拠が出ないし、自供したとしても警察は信じない。証拠不十分で釈放される。唯一の証拠である霊刀を具現化することは、おそらくない。
 罪を償わせることは、難しい。
「くそ……っ」
 ドンッ、とメモ帳と一緒に手の平でデスクを叩きつける。
 大河の憶測が、脳裏をよぎった。死ぬつもりではないのか、と。あくまでも健人に対してのものだが、もし、昴もそのつもりだとしたら。
「あの馬鹿……っ」
 自分が死ぬつもりだからといって、人を殺していい理由になるか。
 健人の方は解明したが、こちらは未だ謎のままだ。昴は、どうやって三宅の居場所を知ったのか。何故今頃になって、殺意が芽生えたのか。
 一体、何があった。
 勢いよく冷風を吐き出すエアコンの稼働音だけが、部屋に響く。と、突如、内ポケットで携帯が着信を知らせた。
 紺野は気を取り直すように深呼吸をしながら携帯を取り出した。表示されていたのは、登録していない番号。思わず眉根を寄せる。
「……もしもし」
 警戒心丸出しで出ると、予想外の声が返ってきた。
「あっ、良かった。紺野さんの携帯で間違いありませんか」
 女性。しかも、ずいぶんと焦っている様子だ。誰だ、とますます警戒心が頭をもたげる。
「どちら様ですか」
「ああすみません。私、近藤千早の母です」
 これまた予想外の答えに目をしばたく。
「近藤の……?」
「はい。あの、千早から何か連絡はありませんでしたか」
「え? いえ……」
 何もありませんが、と答える前に、嫌な予感が胸を掠った。母親からの電話に、この焦りよう。平良の襲撃、下平からの不穏な情報。紺野は表情を険しくして、肩と頬の間に携帯を挟んだ。
「近藤がどうかしたんですか?」
 できるだけ冷静に尋ね、時計をつけ直しながらリビングへ移動する。
「実は、連絡が取れなくて……っ」
 とうとう声を詰まらせた母親に、携帯を持ち直す手が止まった。まさか、本当に――。
「落ち着いて状況を……」
 エアコンを消して身を翻すと、ごそごそとした物音に混じって、おかみさん落ち着いてくださいとなだめるような女性の声が聞こえた。客だろうかと思っていると、意外な人物に代わった。
「もしもし、紺野くん? 別府だけど」
 科捜研の所長だ。いつも温和な声が硬い。
「別府さん?」
「うん。今ね、近藤くんのお母さんのお店にいるんだ。時々来るんだけど、ってそんなことはどうでもいいんだよ。実は、十分くらい前かな。急な予約が入って、手が足りないからおかみさんが近藤くんに電話したんだ」
 部屋の電気を消しながら、少し早口の別府の説明に耳を傾ける。
「その時は繋がったんだけど、ついさっき、買い物を頼もうと思ってもう一度電話したら繋がらなかったみたいで。僕も何度か電話したんだけど、駄目だった」
 玄関で靴を履いて鍵を引っ掴む。
「たった十分で?」
「そう。この前のこともあるし、おかみさんも僕たちも心配で。もしかして紺野くんが何か知らないかなと思って電話したんだけど……、そうか、分かった。家の近くのコンビニにいたらしいから、今から様子を見に行ってくるよ」
 紺野はもどかしげに扉の鍵を閉め、足早に階段へ向かう。
「待ってください、俺が行きます。もし北原を襲った奴の仕業だとしたら危険です。何か分かれば連絡しますので、そのまま待っていてください」
「え、でも……っ」
 紺野は別府の返事を待たずに通話を切り、すぐに近藤へ繋ぐ。出ない。呼び出し音を四度ほど鳴らして、GPSアプリを立ち上げた。階段を駆け下り、駐車場へ向かいながら確認した近藤の位置情報は、東山区の大黒町通(だいこくちょうどお)りで止まっていた。店から南に下った場所にある、南北に伸びる狭い路地だ。
「松原交番の近くじゃねぇか」
 新人時代、紺野が詰めていた交番だ。当然、近隣はパトロールで何度も巡回している。
 一方的に近藤が泊まりに来るだけで、自宅がどこなのかまで知らなかった。こんな近くに住んでいたのか、と思ってすぐに思い直した。十七年前、あの事件の時もここに住んでいたとは限らない。いや、今はそんなことに驚いている場合ではない。
 祇園にいるはずの別府が、様子を見に行くと言った理由が分かった。大黒町通りから一番近いのは、清水五条駅の四番出口。大通り沿いに三軒のコンビニがある。「自宅近くのコンビニ」がその三軒のうちのどれかならば、店から徒歩で十五分かからないくらいだ。おそらく近藤は、コンビニで母親からの電話を受け、そのまま店に向かっていたのだ。
 紺野は車の鍵を開けながら、下平へ繋いだ。不自然なことだらけで疑問も多い。けれど今は、何よりも近藤の安否確認が先だ。
「おう、俺だ。どうした?」
「すみません、詳しい話はあとでします。つい今しがた、近藤と連絡がつかないと母親から連絡がありました」
「は!?」
 扉を閉めて、シートベルトを引き出す。
「GPSで居場所は分かっています。今から向かうので、下平さんは明たちに連絡をお願いします」
「分かった。気を付けろよ」
「はい」
 さすが、切り替えが早い。すぐに通話を切ってGPSのアプリに切り替える。エンジンをかけながら横目で地図を確認し、眉を寄せた。位置が動いていない。
「もしかして、携帯だけ……」
 手伝いを頼まれて店に向かっていたのに、どこかに立ち寄る、あるいは誰かと偶然会って立ち話するとは考えにくい。それ以前に、着信に気付かないこと自体が不自然だ。となると、何かあって携帯を落とした、あるいは――いや、それなら騒ぎになっている。別府たちが何度も携帯を鳴らしているのなら、なおさらだ。
 何にせよ、急がなければ。
 紺野は舌打ちをかまし、駐車場をあとにした。

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