第14話

文字数 2,992文字

      *・・・*・・・*

 予定通り、沢村には「同期がいるので一課に顔を出す」と言って捜査本部で別れた。特に疑った様子もなく沢村が他の刑事らと一緒に右京署を辞した十分後、紺野は熊田や佐々木と共に、急くように署を飛び出した。
 近くのコンビニにいた下平と合流し、労いもそこそこに加古川へ車を走らせたのが、六時過ぎ。予想より早く終わったが、到着は八時を過ぎそうだ。その旨を栄明に連絡したあと、紺野はさっそくコンビニの袋を漁った。先立って下平が三人分のおにぎりや飲み物を購入してくれていたのだ。今頃、後ろの車両では熊田と佐々木も有難くいただいていることだろう。
 いただきますと手を合わせ、ツナマヨに手を付ける。
「紺野、ダッシュボードの中に懐中電灯入ってるからな」
「あ、了解です」
 さすが、用意周到だ。
「近藤からのメッセージ見たか?」
 ペリペリと透明の包装を剥がし、海苔をおにぎりに巻きながら、紺野はええと答えた。
「見ました。深町伊佐夫のパソコンが開いたとか。内容までは聞いていませんけど、聞きました?」
「ああ。再生できるか確認したらしい。……酷かったそうだ」
 ぽつりと付け加えられたひと言に、紺野は咀嚼していたおにぎりを飲み込んだ。酷かったのは再生動作ではなく、その内容。
「そうですか……」
 警察官になってから、防犯カメラや携帯、ドライブレコーダーの録画を山ほど見てきた。暴行、強盗、放火、人を殺傷するその瞬間まで。どれだけ悲惨な映像でも、証拠として検察に提出する以上、内容はすべて確認しなければならない。はらわたが煮え繰り返っても、目を背けたくなっても。そしてそれは、決して慣れるものではない。
 紺野はペットボトルに手を伸ばし、お茶を喉に流し込む。
 口を離して息をついた紺野を横目で一瞥し、下平は話題を変えた。
「北原に、例のやつ渡したのか?」
「え、ああ、はい。昼間に熊田さんが。すでにパソコンを持ち込んでいたそうです。暇だから、事件を初めから見直していたらしくて。あいつの手帳まだ賀茂さんが持ってるので、助かったって言ってたみたいですよ」
「まだ返せねぇからな、あれ」
「人の出入りがあるので、いつ誰に見つかるか分かりませんからね」
 同僚たちから見舞いに行った話をぽつぽつと聞く。それでなくても医者や看護師、家族が出入りするのだ。何かの拍子で手帳を見られると、ごまかしようがない。
「熊さんが、これが漏れたら俺たち全員クビだから絶対に人に見られるなと、強く念を押したそうです」
「ははっ。責任重大だな」
「あいつに警察官人生を預けていると思うとぞっとします」
「相棒のセリフか、それ」
 下平の突っ込みを聞き流し、紺野はおにぎりにかぶりついて車窓へ目を向けた。もごもごと咀嚼し、飲み込む。
「……あいつら、もう到着していますね」
「だな。今頃、作戦でも練ってるんじゃないか?」
 六時を過ぎているとは思えないほど、空はまだ明るい。
 観光客とおぼしき集団に、店を出入りする買い物客。携帯やビジネスバッグを持ったスーツ姿のサラリーマンにOL、部活帰りらしい学生。店先を掃除する制服を着たコンビニの店員。ベビーカーを押す主婦。行き交うたくさんの車。この中の一人として知る由はない。今、どんな計画が進行しているのか。これから徐々に陽が落ち、完全に闇に包まれたその瞬間から、何が起こるのか。
「紺野、集中しろよ」
 赤信号で速度を落とした下平から硬い声で指摘され、紺野は我に返った。
「はい」
 そうだ。どれだけ気を揉んでも、何ができるわけではないのだ。こちらも何が起こるか分からないし、気がかりがあるのは自分だけではない。だからこそ、気を引き締めなければ。
 車が停まり、紺野は握っていたおにぎりを持ち上げた。かぶりついた時、ふと歩道を歩く母親に手を引かれた子供と目が合った。別に変なことをしているわけではないのだが、ちょっと恥ずかしい。
 紺野が素早く視線を逸らすと、子供は何か言いながらこちらを指差した。
 高速に乗ると、ちょっと飛ばすぞと宣言して下平は速度を上げた。そのおかげか、八時を少し過ぎた頃、目的地周辺に到着した。だが、片側一車線の道路に外灯はぽつぽつとしか設置されておらず、周囲には何もない。あるのは道路脇に延々と続く林だけで、しかも車一台すれ違わない。
 速度を落とし、下平が訝しげに眉を寄せた。
「こんな所に、本当に家があるのか?」
「地図では、それらしい建物が見えませんでしたよね」
「ああ。固定電話の契約書から住所割り出したんだよな」
「そのはずです」
「だったら間違いねぇ……あ、あれか」
 少し先の道路脇に、ハザードを点灯した一台の車が停まっており、側に人が二人立っている。下平はさらに速度を落とし、その車の後ろに付けた。さらに後ろに、熊田と佐々木が乗った車が停車する。
「お疲れ様です」
 揃って紺野たちへ声をかけたのは、懐中電灯を持った栄明ともう一人、秘書の郡司だ。怜司と名前が似ているなと思ったから、記憶に残っている。
 懐中電灯片手に車を降りる。
「お疲れ様です。すみません、お待たせしました」
「いいえ。私たちもつい先ほど着きましたので」
 にこやかな笑顔の栄明の下へ足を向けながら、紺野は記憶を掘り起こした。熊田と佐々木は栄明とも初対面だが、下平が寮へ来た時、二人は――どうだっただろう。まあ、正式に紹介はしていないだろうから、した方が無難だ。
 悠長にしている時間はない。紺野は脇に避け、さっそく紹介に入る。
「ご紹介します。こちら、下平さん、熊田さん、佐々木さん。こちらは栄明さんと、秘書の郡司さんです」
 初めまして、よろしくお願いします、と互いに会釈をする。と、栄明が林の中へ視線を投げた。つられるように紺野たちがそちらを見やる。真っ暗な闇の中から、宙に浮いた赤い光がこちらへ向かってくる。
 思わず身構えた紺野たちに、郡司が言った。
「使いです。先に様子を見に行かせました」
 ああ、と一同がほっとした声を漏らす。そういえば、精霊を付けると言っていたことを思い出す。近藤の事件で見た精霊は火の玉の形をしていたが、こちらは変化した左近の姿を模したかのような、見事な朱雀だ。そしてもう一体。闇と同化して見えなかったが、龍だ。会合で見た使いは小さかったけれど、近付いてくる朱雀は大人が両腕を広げたくらいあるだろうか。龍の方は一メートルほどと大きい。
 使いは速度を落とし、朱雀は栄明の肩に、龍は尾を揺らしながら空中で止まった。
「大丈夫だった?」
 尋ねると龍が一度大きく尾を振り、栄明が頷いた。
「郡司、君はここで待機。特に仕掛けはないようだけど、警戒するに越したことはないから。すぐに出られるようにしておいてくれ。いいね」
「……承知致しました。気を付けてください」
 不満そうな間だ。それを知ってか知らずか、栄明は頷いて腕時計を確認し、紺野たちを見やった。
「皆さん、護符はお持ちですね?」
 はい、と答え、それぞれお守りを入れているらしい胸ポケットや尻ポケットに手をやる。
「では、行きましょう」
 そう言って先行した栄明のあとに続いて、紺野たちは林の中へ足を踏み入れた。
 懐中電灯の明かりと朱雀の赤、そして五人の姿や足音が闇に飲まれるまで、そう時間はかからなかった。
「どうか、ご無事で」
 静寂の中、郡司が心配げな声でぽつりと呟いた。
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