第3話

文字数 6,438文字

 昼前に捜査員たちを署に呼び戻し、(たける)の証言を伝え、菊池雅臣(きくちまさおみ)の捜索願を照会し、添付されていた顔写真と照合依頼を科捜研に送った。
 本山以下三名の捜索願も提出されており、雅臣が本山の携帯を所持している可能性に加え、失踪日も同日であることから、雅臣が彼らの行方も知っているのではないかとの意見が出た。「黒い煙」の話も一応伝えはしたが、尊に届いたメッセージを信じたようで、彼らがまだ生きていると思っている。
 下平(しもひら)榎本(えのもと)は雅臣宅を、一班は、念のため一年前のカツアゲ現場となった錦市場の防犯カメラ映像の有無の確認、もう一班は本山たちの自宅を当たり、彼らが行きそうな場所に心当たりがないか、聞き込みを行った。
 正直、かなり迷った。雅臣の両親にどう説明するべきか。
 悪鬼のことはさすがに言えないが、カツアゲされて失踪し、挙げ句の果てに暴行事件の容疑がかかっているなど、親からしてみれば天地がひっくり返るほどの衝撃だろう。
 唯一の救いは、証言だけで証拠がないことだ。だが紺野(こんの)が言うには、「耳介認証(じかいにんしょう)」なるもので照合ができるらしい。雅臣の捜索願に添付されていた顔写真は、耳が映っていた。かなり高い確率で合致するだろう。雅臣が犯人として警察から追われるのは、時間の問題だ。
 同時に、鬼代事件の被疑者としても。
 両親の心情を思うと、いたたまれない。
 けれど、被害者が出ている。小さな情報でもいい、何か得られるものがあるのなら、手段を選んではいられない。
 結局、正攻法を選んだ。
 悪鬼のことは伏せ、全てを両親に伝えた。
 雅臣は、親から見ても真面目を絵に描いたような少年だったという。
 運動は苦手だが、勉強は良くできていた。父親と同じ医者になることが夢だと言えるほど、親子仲は良好。それがある日を境に、日に日に憔悴していったらしい。同時に父親の財布から金がなくなることが増えた。まさかと思っていたが、定期テストの順位を大きく下げたことをきっかけに、雅臣を問い詰めたらしい。だが彼は一切口を開かず、ただ黙って俯いていた。
 そんな息子に、父親は言った。
「もういい、勝手にしなさい。その代わり、何があっても自分で何とかしろ」
 と。
 それから数日後、雅臣は失踪した。
 携帯は繋がらず、祖父母の元にも行っておらず、雅臣から何か相談事をされたこともないと言った。アルバイトをしておらず、人付き合いが苦手だった彼の少ない友人や、塾の方にも心当たりがないか聞いたが手掛かりは得られず、両親は翌日の夕方に捜索願を出した。
 そんな中、同級生で同じ塾に通う松井桃子(まついももこ)が訪ねてきた。
 塾で雅臣が失踪したと噂を聞いたらしい。彼女は、数ヶ月前から様子がおかしかった彼を、ずっと気にかけていたそうだ。彼女からの連絡にも応答はなく、何があったのかも分からないと言った。
 両親からの聴取で一つ、尊の証言とは食い違う部分があった。雅臣と桃子は、恋人関係ではなかったのだという。
 それならば恋人ではないと否定すれば済むのでは、と思ったが、本山たちからすれば二人がどんな関係であろうと構わなかったのだろう。ただの友人であれ、恋人未満であれ、雅臣と関係がある者を人質に取れれば。それがたまたま桃子だったというだけのことだ。
 菊池家を辞し、両親から聞き出した雅臣の友人と桃子の住所を調べるために学校を訪ねた。捜査員たちにも伝え手分けをして彼らを当たったが、錦市場の防犯カメラ共々、結局何も出てこなかった。
 桃子を訪ねた捜査員が言った。彼女は、自分を庇っていたらしいと知ると泣き崩れ、どうか彼を探して欲しい、もし復讐をしているのなら止めて欲しいと言っていた、と。
 その報告を聞きながら、ふと違和感を覚えた。
 彼が鬼代事件に関わっているのは間違いない。その目的は、この世を混沌に陥れることだ。
 復讐心に燃えるのはともかく、親子仲は良好で、友人もいて、恋人に間違えられるほど仲の良い少女もいる。そんな人間が、画策に乗るだろうか。
 彼らをも巻き込むかもしれないのに――。
「下平さん、下平さん」
 午後六時。
 本山の携帯の発信履歴を提出してもらうよう、携帯電話会社への書類を作成していた下平は、榎本の声で我に返った。
「ん、おう、何だ?」
 モニターから顔を上げると、榎本の心配そうな顔がこちらを見下ろしていた。
「手が止まってますけど、大丈夫ですか?」
 言われて気付く。キーボードに手を置いたままの恰好でぼんやりしていた。
「ああ、ちょっと考え事だ。すまんすまん」
 あたしに謝られても、と怪訝な顔をしつつ榎本は報告書を提出してきた。
「あの、下平さん……」
「うん?」
 その、と言い淀んだ榎本に、下平は報告書から視線を上げた。
「何だ?」
「あ、いえ、何でもありません。資料、もう一度読み直してみます」
「ああ、頼む」
 失礼します、と背を向けて自席に戻る榎本を視線で追いかけ、下平は首を傾げた。
 報告書に目を通して確認印を押印し、要請書を書き上げたのは六時も十五分になろうとした頃。携帯が着信を知らせた。
 知らない番号に、少しの警戒心を持って通話ボタンを押す。
「もしもし」
 相手のわずかに躊躇った気配が伝わってきて、ますます眉間に皺が寄った。誰だ、と尋ねようとした矢先、届いた声に下平は虚をつかれた。
「僕だけど」
 ぶっきらぼうなその声は、(いつき)だ。思わずついて出そうになった名前を飲み込みながら、下平は席を立ち、早足で戸口に向かう。
 調書の確認の電話を入れた時は、署の電話からだった。昔名刺を渡したことはあるが、まさかまだ持っていたのか。いや、そんなことよりも。
 エレベーターだと電波が悪くなるため、廊下に出てそのまま非常階段へ向かった。
「樹か。どうした」
 速度を落とすことなく廊下を歩きながら問う。あのさ、とわずかに言い淀んだ。
冬馬(とうま)さんの携帯の番号、知ってる?」
 ぽつりと呟くような質問に、自然と速度が落ちる。
「……何でだ」
「知ってるの? 知らないの?」
 質問を質問で返した樹の口調は、どこか余裕がない。下平は眉根を寄せて足を止めた。すれ違う職員の視線から逃れるように壁際へ移動する。
「何で冬馬の番号が知りたいんだ」
「知ってるの知らないのどっちなの」
 何か隠している。語気を強めた樹に、下平は一拍置いて答えた。
「いや、知らねぇな」
 例の噂があったとはいえ、あれは正式な捜査として調べたわけではないし、それ以外でも調書を取るようなことも連絡を取り合うような状況になったこともない。端的な答えに、今度は真偽を探るように樹が間を開けた。
「分かった、ありがと」
「おい待……っ」
 声を遮るようにぶつっと通話が切られ、下平は舌打ちをかました。
「あのクソガキ……っ」
 リダイアルしようとして手を止めた。かけ直しても、あの様子ではどうせ出ない。もどかしげに電話帳を開き、紺野へとかける。コール二回で繋がった。
「俺だ、今樹から電話があった。何か聞いてねぇか」
「え、は?」
 繋がるや否や何の説明もなく尋ねた下平に、紺野が間の抜けた声を漏らした。
「樹から電話って、何の用だったんですか?」
「冬馬の携帯番号を聞いてきた」
 冬馬の? と紺野が反復した。
「分かりました、(あきら)に聞いてみます。分かり次第折り返します」
「頼む」
 はい、と頷いた声がして、すぐに通話が切れた。
 下平は深く溜め息をつき、乱暴に頭をかいた。どう考えても何か動きがあったとしか思えない。何かはさっぱり見当もつかないが、ただ、樹と冬馬を繋ぐような何か、ということだけは分かる。あの噂に関係することだろうか。
 煙草が吸いたいところだが、もしもの時のためにすぐに出られるようにしておきたい。苛立ちを募らせながら少年課へと戻る。
 乱暴に席に腰を下ろし、携帯をデスクに置いて肘をついた。組んだ両手を手庇のように額に当て、まだ鳴らない携帯を凝視する。
 樹に初めて会ったのは、彼が高校二年生の時。昼間はまだ残暑が厳しく、けれど夜はずいぶんと涼しさを感じられる、そんな季節だった。
「あれ警察呼んだ方がいいんじゃない?」
「放っとけよ、面倒に巻き込まれたくねぇだろ」
 パトロール中、すれ違った通行人たちの会話が耳に飛び込んできた。警察だと名乗り詳しく話を聞くと、路地裏で三人の男たちが喧嘩をしていたという。駆け付けた現場にいたのが、樹だった。
 どう見ても未成年。相手はすでにおらず、聞くとまだ高校生だという。署に連行して調書を取り、連絡先を尋ねた時に彼は言った。
「電話、無い」
 と。
 聴取の内容から、嘘でないように思えた。パトカーはタクシーではない、けれどこのまま帰すわけにもいかない。仕方なく自宅まで送り届け、ついでに親に報告をするために部屋の前までついて行った。人の気配はするのに、部屋の明かりが点いていない。
 その理由は、部屋を覗いて分かった。
 樹は無表情のまま、「今、無理だと思う」と言った。とは言えこのまま帰るわけにはいかない。しかし何度声をかけても一向に反応はなく、その日は樹によくよく言い聞かせ辞した。
 繁華街をうろついていた理由が理由だったため、何日か続けて現場周辺をパトロールしたが姿を見かけず、安心していた。
 再会したのは、数日後。パトロール中に立ち寄ったアヴァロンで、何故か冬馬と共にいた。何でこんな所にいるんだ、と問い質すと、樹は真っ直ぐこちらを見上げて言った。
「だって、置いてくれるって言うから」
 生気のない目で告げられた一言に、心臓が委縮した。
 警察官として見逃してはならない。けれど、ここで樹を引き離していいものか、とも思った。冬馬に関するきな臭い噂が頭をよぎった。裏取りをしても何も出てこない噂だが、何か起こってからでは遅い。
 散々迷い、葛藤し、結局、
「いいか樹、何か変なことさせられそうになったら俺に連絡しろ。冬馬、こいつにおかしなことやらせたら問答無用でしょっぴくからな。あと酒と煙草もだ。いいな」
 後に酷く後悔するとは思いもせず、見逃してしまった。
 渡した名刺を、樹は頷きながら珍しいものでも見るようにじっと眺めていた。
 それから約三年後、樹の失踪を知ったのは、彼が姿を消して一カ月半ほど過ぎた後だった。
 当時、刑事課と合同で、少年少女らが絡んだ薬物売買の事件を担当しておりかかりきりになっていた。半グレ集団の末端に数名の少年少女らが浮上し、一斉検挙をすべく内偵調査を進め、トップ共々検挙した。氷山の一角に過ぎないと分かってはいても、とりあえず肩の荷が下りたとほっとした矢先の出来事だった。
 すぐに自宅を訪ねたが、あるはずのアパートはなく、すでに更地になっていた。
 そう言えばと樹の話を思い出した。古い木造アパートだから耐震性が理由で取り壊しが決まり、大家から立ち退きを要求されている。引っ越し先を決めなければならない、と言っていた。
 しかし、冬馬たちは「いなくなった」と言った。探したけれどいない、と。引っ越したとしても、冬馬たちに黙っていなくなるはずがない。
 呆然と立ち尽くす下平に声をかけてきたのは、近所の住民だった。
 知り合いが住んでいて久々に来てみたんですが、と間違ってはいない理由を述べ、話を聞いた。さすがに樹の行方は分からなかったが、一つだけ分かったことがあった。
「二ヶ月、いやそんなに経ってないかな。自殺した人がいたんですよ、女の人。しかも息子さんが発見したらしくて。可哀相にねぇ」
 足元から這い上がるように、全身が粟立った。まさかと思った。
自殺者のデータは警察に残る。調べてみると、樹の母親だった。死亡日は、樹が失踪した時期と重なっていた。
 通報者や事情聴取、現場検証、検視などの書類のサインは樹のもので、母親の遺体は共同墓地に埋葬されたらしい。だが、そうするにしても金はかかる。安くても十万程だと聞いたことがあるが、その金はどうしたのかと疑問に思った。引っ越し費用に加え、あの頃の樹に、十万もの大金が払えるとは思えない。ちょうど二十歳だったからローンも組めただろうが、定職に就いていなかったし、保証人は誰がという疑問が残る。誰か身内がいたのだろうか。
 けれど調べる当てはなく――いや、母親の自殺が原因で姿を消したとは思えない。だとしたらアヴァロンで何かあったのかもしれない。その可能性が、探す手を止めた。
 結局多くの疑問を残したまま、三年の月日が過ぎた。
 今思えば、あの時すでに土御門家、賀茂家のどちらかが関係していたのだろう。何がきっかけで知り合ったのかはまだ分からないが、樹を寮に迎え入れるための経費として援助したのかもしれない。
 あの時、もっときちんと探していれば、こんなことにならなかっただろうか。もう二度と、冬馬たちと関わらせずに済んだだろうか。
 あの時、見逃しさえしなければ――。
 下平は後悔を噛み締めるように、固く目を閉じた。
「まだか紺野……っ」
 喉の奥から声を絞り出すように呟くと、狙ったように携帯が鳴った。
「俺だ」
 弾かれるように体勢を戻しながら携帯を鷲掴みにし、小声で鋭く応じる。
「すみません遅くなりました」
 声色は冷静だが、ぶれている。走っているのか。背中に悪寒が走った。
土御門陽(つちみかどはる)が誘拐されたそうです」
 ガタッ、と椅子を揺らして立ち上がった下平に、榎本たちの視線が注がれた。
 まさか、と言う声さえ出なかった。
「下平さん、今動けますか」
 尋ねてはいるが有無を言わせない声に、下平は我に返った。
「ああ、ちょっと待て」
 下平はきょとんとした顔でこちらを見上げている榎本たちに視線を向けた。
「お前ら、適当なところで上がれ。ちょっと出てくる」
「出てくるってどこへ……下平さんっ」
 榎本の動揺する声を背中で聞き、下平は少年課を飛び出した。
「それで」
 脇目もふらず駐車場へと向かう。すれ違う職員らが驚いて道を譲った。
「目撃された犯人は男三人。式神が先に現場に向かっていて、樹たちが車で追いかけている状態です。樹が、心当たりがあると言ったそうで、おそらく冬馬たちかと」
「だろうな。行き先は」
「宇治市の宇治川沿いにある廃ホテルです」
「宇治川沿い、ってあのホテルか? 心霊スポットの」
「はい。俺たちも今向かっています」
「分かった。俺も行く」
 通常なら高速を使って四十分ほど。飛ばせば三十分ほどだろうが、帰宅ラッシュのこの時間帯だと通常より時間がかかるかもしれない。
「下平さん」
 携帯から耳を離そうとした時、硬い声で呼ばれた。
「陽が攫われた時、式神が介入してきたそうです」
 この誘拐は、鬼代事件と関連がある。言外に告げられ、下平は眉根を寄せた。
「……分かった」
「では、後ほど」
「ああ」
 返事をするとほぼ同時に耳から離し通話を切った。駐車場へ向かい、いつも使っている車に乗り込む。
 一体、どうなっている。
 鬼代事件、アヴァロンの噂と少年襲撃事件だけなら紺野たちの推理が成り立つが、そこに誘拐事件が加わると矛盾点が増える。樹が犯人側であってもなくても、全てが綺麗に繋がらない。
「ああクソさっぱり分からん!」
 誰が誰とどう繋がっているのか、何を隠しているのか、何が目的なのか。本当に関わっているのか、こちらの杞憂なのか。
 唯一分かるのは、現場に行けば全て明らかになるということだけだ。
 午後六時半過ぎ、混み始めた烏丸通りに下平の盛大な舌打ちが響いた。
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