第5話

文字数 5,455文字

 一斉に視線が注がれる中、入ってきたのは、顔を真っ青にした樹とそれに付き添う怜司だった。
「すみません、遅れました」
「怜司、どうした」
 宗一郎が問うと、怜司は樹を席に座らせながら言った。
「気分が悪いそうです。休むように言ったんですが、大丈夫だと言うので」
「平気だよ。華さん、あったかいコーヒーちょうだい、甘いの。牛乳にして」
 腰を下ろすなり机に突っ伏した樹は、どう見ても大丈夫そうには見えない。
「いいけど……大丈夫なの? 余計に気分悪くならない?」
「うん、大丈夫だから」
 早くちょうだい、と言いたげに言葉を切られ、華は戸惑った顔でキッチンに入った。
「熱はないようなので、もしかしたら霊力を使い過ぎた後遺症かもしれません」
 怜司が見解を述べると、宗一郎と明は逡巡した。
「以前、大河くんも力が入らなくなっていますし、考えられますね」
「ああ。樹、無理だと思ったら部屋に下がって構わない」
「うん」
「宗史、事件の説明はお前がしなさい」
「分かりました」
「藍、蓮、自分の席に戻りなさい」
「はい」
 素直に返事をした双子を、柴と紫苑が抱え上げて床に下ろした。小走りに自席に走り、よじ登るようにして椅子に収まる。夏也と香苗もお茶を配り終えて席についた。
 大河は気だるそうにテーブルに伏せる樹を見つめ、わずかに眉を寄せた。
 確かに、明が言うように初陣の時は巨大結界を行使して力が入らなくなった。霊力を行使し過ぎた後遺症は人によって違うのかもしれない。けれど、それだけだろうか。
 樹は嘘をつかない。先立って宗史から送られてきたメッセージの内容は、全部が全部嘘というわけではなかったけれど、樹にとっては嘘をつくことに変わりはない。あの体調不良は、嘘をつかなければならないことへの、拒否反応だ。
 説明は宗史がすることになったが、聞く分には平気なのだろうか。
 樹は華からコーヒーを受け取って一口すすると、長く息を吐き出した。少しだけ肩から力が抜けたように見えるが、顔色は悪いままだ。
 全員が腰を落ち着け、式神らは主の背後に控え、最後に華が席につくと宗一郎が口火を切った。
「では始める。まずは宗史、昨日の報告から」
「はい」
「あの、その前にちょっといいですか」
 小さく手を上げて遮ったのは弘貴だ。
「どうした?」
 宗一郎が問うと弘貴たちは顔を見合わせ、今度は茂が口を開いた。
「柴、紫苑」
 名指しされた二人に、大河は視線を向けた。表情を変えることなく皆を見据えている。やっぱり受け入れられないと言いだすわけではないだろうが、やけにかしこまった空気だ。再び茂へ視線を戻す。
「改めてお礼を言わせてもらうね。公園の時も、藍ちゃんと蓮くんが迷子になった時も、そして昨日も、助けてくれてありがとう。これからよろしく」
 そう言って頭を下げた茂に倣うように、樹と怜司以外の全員が一斉に頭を下げた。示し合わせたような態度に大河は一瞬きょとんとして、相好を崩した。部屋に籠っている間に皆で何か話したのだろうか。柴と紫苑を見やると、二人もまさか礼を言われると思わなかったのだろう、目をしばたいている。宗一郎と明、昨日の帰還組、いつもは無表情な式神らも微笑ましそうな笑みを浮かべてその様子を見ていた。
「皆」
 不意に柴が口を開き、皆がゆっくりと頭を上げた。
「大事に至らず、良かった。私たちの方こそ、改めてよろしく頼む」
 軽く会釈をした二人に、皆から笑みが漏れる。朝の時点で分かってはいたけれど、これで正式に皆が二人を迎え入れてくれた。そんな気がした。
「一安心だな」
 ええ、と明の同意を聞いて宗一郎はぐるりと全員を見渡し、笑みを収めた。一瞬にして空気が引き締まる。
「では、本題に入る。宗史」
「はい」
 宗史の口から語られた報告は、アヴァロンで流れていた樹の噂は省かれ、かつ紺野、北原、下平の存在を隠されたものだった。
 少年襲撃事件に遭遇した同日、樹と怜司は下京署での聴取を終えて哨戒に戻った。そして烏丸駅の方へ向かっている時に、偶然樹が昔の仲間と再会。それが冬馬、智也、圭介の三人だった。
 場所が変更されているのは、樹が木屋町周辺に行きたがらないことが理由らしい。樹と冬馬らの関係は、昔つるんでいた仲間であるということ以上、三年前のことも含め詳しくは語られなかった。
 樹は三人から仕事を手伝わないかと誘われ、その際に「男子中学生を誘拐し殺害する」と聞いていた。迷うことなく樹は断って再び哨戒に戻った。しかし、あの三人がそんな仕事を請け負うとは考えられないと不審に思っていたところに、陽が誘拐された。
 報酬や良親の存在、人質にされていた女性、冬馬たちが良親に脅されていたこと、また平良に関して、何者かに依頼を受けていたこと、譲二との関係などはそのまま伝えられた。ただ、良親の携帯を確認し持ち帰ったことは省かれ、「樹の実力を計るため」は「こちらの実力を計るため」に変えられ、「樹の顔を見るため」という本来の目的は伏せられた。敵側も陰陽師であると確定している。土御門家と賀茂家のことはもちろん両家を探れば寮のことも分かる、ということは容易に想像が付く。しかし寮の者たちの名前までも事前に知っていたとなると、内通者の存在を隠した意味が無くなるからだ。
 大河は、隣で淡々と話す宗史の声を聞きながら、視線を落とした。
 今回の事件で、陰陽師が関わっていることは確定事項となった。ならばせめて、内通者がいると断定されたことは隠さなければいけない。そのための嘘だ。
 静かな溜め息が漏れた。賀茂家での会合以降、皆に隠し事をしっ放しだ。必要だと分かってはいても、やはり気は重い。
 樹の気持ちが少し分かる。大河は膝の上の拳をきつく握った。
「――以上です」
 強襲した悪鬼との戦闘を説明してから宗史が締めくくると、ダイニングテーブルの方から重苦しい息が漏れた。
 皆、しばらく考え込んだ様子で沈黙し、やがて華が言った。
「つまり、依頼主が平良に依頼した時点で、陽くんを誘拐すればあたしたちが動くと踏んで、陽くん殺害と同時に実力を計ろうとした。戦力を削げればなお良しって感じだったのかしら。そして刑務所で知り合った譲二に協力させて、譲二は良親に協力させた。冬馬って人たち三人は、良親の私怨で完全に巻き込まれたって形になるのね?」
「その通りです」
「じゃあ、あのアミューズメント跡地や処刑場の浮遊霊たちは、足止めと居場所を知らせるためにわざわざ悪鬼化されたってこと?」
「おそらく。偶然、樹さんが冬馬さんたちから話を聞いていたので、悪鬼よりも早く椿と志季が廃ホテルに向かう形になりましたが、あれだけの規模です、もし情報がなければ悪鬼の気配を追うことになっていたと思います」
「罰当たりなことするわね……」
 華が渋面を浮かべて嘆息すると、顔を歪めた弘貴が言った。
「つーかそれ、完全に千代に操られてますよね。悪鬼がそこまで揃った動きするなんて有り得ないっすよ。てことは、千代の復活確定かぁ」
 弘貴は天井を仰ぎ、マジかぁ、と盛大な溜め息をついた。と思ったらすぐに宗史を振り向いた。
「じゃあ、あの時樹さんが言った関係性が分からないってやつは、その冬馬って人たちと事件の関係性のことで、心当たりがあるって言ったのは良親って奴のことですか?」
「ああ。厳密に言うと、関係性が分からなかったのは、良親を含めた彼ら四人だ。元々平良と繋がっていたのは譲二という男で、樹さんは奴を知らなかったからな。ただ、実際に陽が誘拐されて、もし彼らの仕業だと考えるなら、俺でも主犯は良親だと思う」
「そういう感じの人なんですか」
「邪気が強かったというのもあるが、まあ、発言から見ても少し問題があるように思えた。だが、さすがに初めから鬼代事件と繋がっていると考えられるかと言われたら、難しい。一般人だからな」
「じゃあ、あの時の電話は冬馬さんたち三人のうちの誰かに?」
 春平が尋ねた。
「そうだ。だが繋がらなかったそうだ」
 そうですか、と春平は椅子の背にもたれて目を閉じたままの樹をちらりと見やった。
「関係性も分からない上に男子中学生というだけでは、確かに判断に困りますね」
「そうよね。それに、四人とも霊感がないのよね?」
 夏也に追随した華に、宗史がええと頷く。
「その依頼主って、本当にいるのかな?」
 うーん、と唸る茂に問うたのは昴だ。
「平良という人が嘘をついているということですか?」
「そのうち分かるって言ってたのなら嘘じゃないと思うけど、でも証拠がないんだよね?」
 視線を向けた茂に、宗史がはいと頷いた。
「平良と繋がっていた二人は悪鬼に食われ、現場にいた男たちも身元が不明ですし、探りようがありません」
「そうだよねぇ……」
 茂はどこか腑に落ちない面持ちで首を傾げた。
 すでに紺野から下平へ携帯の件が伝わっているはずだ。依頼主が一之介であれ別の者であれ、もし良親が携帯、あるいは自宅に何か証拠を残していたとしたら、こちらが探っていることを知られるわけにはいかない。先に証拠を消されるか、あるいは逃走の恐れがある。それとも、もう気付いているだろうか。
「茂さん、何か気になることでも?」
 口を挟んだ明に、茂は曖昧に返事をして顔を上げた。難しい表情だ。
「単刀直入に言って、草薙さんかなと思ったんですよ」
 茂の明言に、ああ、と皆から同意に似た声が漏れた。
「実は俺も思った」
「実はあたしも」
 弘貴と華に続いて、実は、と昴と夏也、美琴(みこと)、香苗が便乗した。考えることは皆同じらしい。
「根拠は」
「もう皆気付いていることですが、草薙さんは土御門家を邪険にしていますよね。もし草薙さんだとしたら、高額の報酬も頷けます。しかし、以前の会合で事件から外そうとしていた。矛盾するんです。草薙さん以外で、一千万もの報酬を支払えることができて、土御門家に恨みを持つ者、となると、ちょっと見当がつきません。ですから、依頼主はいないのでは思ったんです。しかしそうなると、わざわざ架空の依頼主を作り上げる理由が分からない。初めから彼らを悪鬼に食わせるつもりだったとしたら、報酬の金額はともかく、お互いのことをよく知らないのなら、お金の出所は家が金持ちだとかいくらでも言い繕えます。それなのに依頼主がいると言ったのなら、やはり依頼主は存在する。では誰が、と堂々巡りになってしまって……」
 茂は疲れたように溜め息をついた。
「草薙かもとは思ったけどそこまでは……さすがしげさん、すげぇ」
 弘貴から羨望の眼差しを向けられて、茂は照れ臭そうに頭を掻いた。
「実は、その可能性は私たちも考えました。けれど、茂さんが仰るように何の証拠もなく、草薙さんの行動も矛盾します。先程宗史くんから説明があったように、依頼主についてはこれ以上調べようがありません。確かにこれまでの草薙さんの言動には問題がありますが、先入観で物事を見ると他の手掛かりを見落とす危険があります。頭の隅に留めておく程度にしてください」
「はい、分かりました」
 明の注意を素直に受け入れた茂に、皆も続く。
 大河は弘貴と同じような眼差しで茂を見つめる。自分であんなに考えられる上に、年下である明に反発を覚えた風でもなかった。正しいと思った意見は、年齢など関係なくきちんと受け止める人なのだ。
「他に質問がある者は?」
 明の問いに、皆は首を横に振った。
「今回の事件同様、いつまたどんな仕掛けをしてくるか分からない。十分注意し、報告を怠らないように」
 はい、と硬い返答が響く。
「では次だ。樹と怜司が遭遇した事件の犯人が分かった」
 さらりと告げられた報告に、えっ、と皆が小さく驚きの声を上げた。
菊池雅臣(きくちまさおみ)という、十八歳の少年だ。一年前から行方不明になっているらしいが、詳細はまだ正確に分かっていない。家族から捜索願が出されていて、平良の顔写真と一緒に彼の写真も送ってもらった」
 明がそう言うと、陽が鞄からクリアファイルを取り出して二枚のコピー用紙を差し出した。平良の方を茂が、雅臣の方を紫苑が受け取った。
 柴と紫苑はじっとそれを見つめると、すぐに晴へと回した。晴は宗史へ渡し、三人で覗き込む。送られてきた写真を印刷したものだ。
「……なんか、平良と逆のタイプだね」
「……地味だな」
 大河と晴がぼそりと呟き、宗史は無表情のまま手元を見つめる。
 平良は、いかにもやんちゃしてますといった容姿だった。金髪に染められた髪、たくさんのピアスに気が強そうな目、口調、自分に自信があるタイプだ。反対に雅臣は、野暮ったい髪型に一重の細い目、彫りの浅い顔立ちで、目立たない優等生タイプに見える。けれど。
「大河」
「あ、うん」
 宗史に差し出され、大河は腰を上げてダイニングテーブルの方へ持っていく。樹を置いて、一斉に皆が覗き込んだ。
「え……っ」
 いの一番に驚きの声を上げたのは弘貴だった。
「ほんとにこいつ?」
「……ちょっと、意外」
 言葉通り目を丸くする春平が呟き、他の者たちからも意外そうな声が漏れる。
 大河はソファに戻りながら眉を寄せた。旅行に行った時に撮ったものだろう、雅臣はとても穏やかな笑顔で写真に収まっていた。
 カツアゲをされる前は、本当に幸せな日常を過ごしていたのだろう。だからこそ、そんな日常を壊された雅臣の怒りは計り知れず、未だ収まることはない。犯人の生き残りを襲うほどに。
「公園での白い鬼同様、特徴をよく覚えて哨戒に当たってくれ」
 はい、と皆が重苦しい声で返事をした。
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