第13話

文字数 2,790文字

「おー、お帰り。どうだった?」
「柴主。お疲れ様でございました」
 柴の姿を見るなり、志季と紫苑が声をかけた。大河たちがいない間に、話などしたのだろうか。
「特に、何もない」
 平然と体勢を戻して答えた柴に続いて、大河たちがほっとしたような顔で背筋を伸ばす。
「めっちゃ寒かった。あんなに寒くて臭かったっけ」
「どうだったかな。意外と覚えてないもんだな」
 狭く生臭い場所から抜け出した解放感は心地よく、新鮮な空気が美味い。洞窟の中が肌寒かったせいで、いつもは不快なむっとした暑さが快適に感じる。
 砂地に全員は入り切らず、人外組が岩場へ移動した。
「腰にきた、腰に」
 いたたた、と渋面を浮かべて腰を叩いたのは晴だ。
「情けねぇな。つーか、やっぱなんもなかったか」
「ああ。普通の洞窟だな」
 懐中電灯を消して大河に手渡しながら、宗史が軽く首をほぐした。
「まあ、もともと龍穴の可能性は低かったからな」
「海に沈む龍穴なんて聞いたことねぇもんな。こういう場所なら、何かあるにしても海賊のお宝くらいだろ。そんな話しねぇのか?」
 神ともあろう者が、また生臭い話を。茶化すような笑みで見下ろされ、大河は呆れた顔で懐中電灯をバッグにしまう。
「お宝の話しはないけど、昔海賊に襲われてたって言い伝えはあるよね」
「ああ。向島に墓も残ってるしな」
「は?」
 間の抜けた声を揃えたのは、宗史、晴、志季の三人。
「おい。その話、本当か?」
 珍しく志季が率先して食い付いてきて、大河はボディバッグを後ろへ回しながらきょとんとした。
「うん。観光スポットとしても紹介されてる。何百年か前に、退治した海賊の呪いで疫病が流行ったから、祠を建てて祀ったって……、あっ!」
「それだよ!」
 打てば響くような早さで、志季が人差し指で大河を指した。
「あいつら、墓を掘り起こしやがった!」
「どこから連れて来たんだと思ってたけど、生前は海賊か。根性入ってるわけだ」
「海賊なら人数も多いだろうし、疫病を流行らすほどの恨みなら、あの邪気も頷ける。だが、罰当たりがすぎるな」
 何てことすんだと志季が憤慨し、晴と宗史が溜め息をつく。
「でも待って。てことは、千代が来てたってこと?」
 襲撃直前まで、悪鬼の気配はしなかった。ならば、その場で墓を暴いたことになる。従わせるのは千代しかできない。
「いや、千代が来ていたのなら参戦してもおかしくない。それに、柴と紫苑は千代の気配を知っているだろう」
「断言はできんが、奴の気配は感じなかった」
 紫苑が答えた。
「なら、おそらく冬馬さんたちの事件と同じ手段だ。箱に封印していたんだろう」
「じゃあ、千代は一度、向島に来たかもしれないんだ……」
 口にして、ぞっとした。悪鬼で移動できるのなら、向小島へ渡れたはずだ。もし渡っていたら――いや、牙が何とかしたかもしれない。してくれたと思いたい。
「あれだけの邪気だ。さすがに影唯さんが気付いただろうから、いない日を選んだな」
「いない日って……ああ、俺を迎えに来た日」
 そうだ、と宗史は頷いた。大河を迎えに京都へ行った日のことだ。昴から刀倉家が無人になると聞き、戦いのための下準備をした。じゃあついでに独鈷杵も、と思ったけれど、それこそ牙を警戒したのだろうと、今なら分かる。
「そんな前から……」
 省吾がぽつりと呟いた。
 慎重に慎重を重ね、戦うための準備をしていたのだ。万事予定通りというわけではないにしろ、その時々で柔軟に計画を練り直し、そしてそれは、着々と進んでいる。
 そうまでして、この世を滅ぼしたいか。
 晴が呆れ気味に嘆息した。
「とりあえず、あの根性が入った悪鬼の謎は解けたな」
「ああ。さて、帰って報告をしないと」
「あの」
 誰からともなく踵を返した大河たちを、省吾が止めた。足を止め、全員が振り向く。
「今日、犯人たちが襲ってくることはないんですよね」
 意外な質問だ。どうしたのだろう。宗史が頷いた。
「ああ、さすがにないと思うが。どうした?」
「じゃあ、大河を連れて漁港の方から帰ってもいいですか? 風子たちとも話しをしておきたいので」
「あ、そっか」
 便乗したのは大河だ。ここから連絡して合流した方が、行ったり来たりしなくて済む。
「そうしていい? 独鈷杵も霊符も持って来てるし」
 宗史と晴が顔を見合わせた。
「いいんじゃね? こいつら慣れてるし、海に落ちなきゃ大丈夫だろ」
「そうだな、分かった。二人とも、気を付けろよ。何かあったらすぐに連絡しろ」
「うん、ありがとう」
「ありがとうございます」
 さっそく、行こうと省吾を促して、大河は背を向けた。
 倣うように晴たちが来た方へと引き返す。そんな中、先に連絡しといた方がいいかな、と言いながらボディバッグを漁る大河と、携帯落とすなよと注意する省吾の背中を、宗史はじっと見つめた。
 新幹線の時間を考えると、遅くても六時半には島を出なくてはならず、残りは四時間もない。敵襲の可能性は極めて低く、大河たちにとって島は庭のようなものだ。ならば、却下する理由がない。
 それに、次はいつ帰って来られるか分からない。
 今後牙が干渉してくる可能性が高いことをはっきりと伝えなかったのは、期待させるわけにはいかないからだ。大河自身が望んだとはいえ、彼の力を頼り、戦い方を教えた以上、何があっても守らなければならない。それでも、少しでも事件のことを忘れて穏やかな時間を過ごせればと思うのは、勝手だろうか。
「宗、行くぞ」
 晴に促され、宗史は身を翻した。
 先の方で、何か見つけたのか、これ食えるのか? と潮だまりを覗き込む志季たちを眺めながら、不意に晴が口を開いた。
「いいのか、大河にあのこと話さなくて」
「ああ。今のところ問題ない。話す必要はないだろう」
 そうか、と晴は特に反論することなく口を閉じた。
 昨夜、寿命が近いのではないかという質問に、柴は端的に答えた。おそらく、と。ただ、こうも言った。
『あとどのくらいの命なのか、私にも分からぬ。しかし、人と比べれば、ずいぶんと長かろう。この姿であることが、その証拠だ』
 と。
 確かに、柴の姿は二十代にしか見えず、鬼とはいえ生物である以上、老いは避けられない。まさか、ある一定の時期から一気に老いるなんてことはないだろう。ならば、柴の言葉に嘘はない。
 私情を排除するなら、戦いに支障がないことに安堵した。だがその先、この戦いに勝利し、平穏な日常が戻ったあと、二人の処遇をどうするか。再び封印することは、大河が絶対に許さない。この島で暮らすにしても、彼らの「食事」の問題がある。
 この時代は、鬼にとって生きづらいのだ。
 興味深そうに潮だまりを覗き込む柴と紫苑の姿はどことなく無邪気で、他人から見ればコスプレにしか見えない。そんな彼らを見て、誰が想像するだろう。あれが、人を食って生きる鬼だと。
 宗史は、少しだけ悲しげに目を細めた。
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