第12話

文字数 3,413文字

「それともう一つ、香苗ちゃん」
「あっ、はい」
 香苗も何か思うところがあったのか、弾かれたように顔を上げた。
「それも、と言っていましたが、他に何かあるんですか?」
 回ってきた下書きにハサミを入れながら、春平は香苗を見やる。視線は、新しい和紙に下書きを書く藍と蓮だ。言い辛そうに口ごもると、香苗はぽつりと言った。
「公園の件、なんですけど……」
 あ、と思い当たる節があるような声を出したのは昴だ。下書きが半分も埋まっていない和紙に視線を落とし、下書きに夢中な双子を盗み見る。
「隗が、一掃するって言ったやつ……?」
 窺うような声色に、香苗は小さく頷いた。
「実は、僕も気になったんだけど、言い辛くて。あれ、元々は寮に来る計画だった、んですよね?」
 陰陽師たちを一掃すると言って、隗が襲撃するはずだったのは寮。しかし、双子を連れた昴と香苗を見つけた。顔を知られていたのか、それとも寮を出た時からつけ狙っていたのかは分からないが、隗は計画を変更して昴たちを標的にした。おそらく昴たちを殺害した後に寮を襲撃するつもりだったのだろう。ゆえに皓は知らず、柴と紫苑の到着が遅れた。
 ハサミを握ったまま話を聞いていた夏也が、ええと静かに頷いた。
「そうなります」
 香苗と昴は顔を歪め、体を縮ませた。体中から申し訳ない雰囲気が漂っている。
 もしあの時近くの公園に行っていたら、襲われたとしても寮からは目と鼻の先だ。同じように大河たちが先に救出に来ていても、寮には樹と怜司と華もいた。皆はもっと早く到着していただろうし、柴と紫苑も間に合ったかもしれない。影正は、殺されずに済んだかもしれない――そう考えて、申し訳ないと思ったのか。
「あたし、大河くんに甘えてたんです。大河くんが、笑って話してくれるから……あの時のこと、無意識に、考えないように……」
 香苗は声を詰まらせて、小さく肩を震わせた。
「僕も、同じだよ。大河くん、事件が起きる前と全然態度が変わらなくて、優しいから……僕も、甘えてた……」
 昴は握ったままの鉛筆をきつく握り締めた。型紙に添えている手が、小さく震えている。
 流れる重苦しい沈黙に、藍と蓮が気付いて春平たちの顔を見渡した。沈痛な面持ちな大人たちを見て、不安気に眉尻を下げて夏也を見やる。
「大丈夫ですよ、何でもありません。ほら、藍ちゃんと蓮くん、どっちがたくさん書けますか?」
 夏也は気を紛らわせようとするが、双子は表情を変えない。仕方ないですね、と夏也は呟き、香苗と昴に顔を向けた。
「お二人は、どうしたいのですか?」
「え……」
 香苗と昴は同時に呟いて、同時に顔を上げた。
「あの件の真相が分かった今、どうしたいのですか?」
 香苗は視線を落とし、泳がせ、目を伏せて唇を結んだ。昴はじっと手元を凝視したまま微動だにしない。
 あの時の自分たちの行動を後悔して、大河や影正たちに後ろめたい思いを抱いたまま、ただこうして俯き続けるか。それとも――。
 先に顔を上げたのは、昴だった。
「僕は、大河くんにきちんと話をして、謝りたいです」
 真っ直ぐに夏也を見据えて言い切った昴を見て、香苗も顔を引き締めた。
「あたしも、大河くんときちんと話したいです。話して、謝って……もし、許してもらえなくても……」
 だがすぐに力なく言葉尻を濁した香苗に、昴がつられるように視線を落とした。
「そうか……あのことは話したくないって、言われるかも……」
「それは、ないと思います」
 再び意気消沈した二人に、夏也が断言した。
「あくまでも私の意見ですが」
 顔を上げた二人を見やり、夏也はそう前置きをして言った。
「大河くんの中で、おそらく整理は付いていると思います。そうでないと戻ってきたりはしませんし、あんな風に……普通、と言っていいかは分かりませんが、影正さんのことを口にできないのではないかと」
 大河は朝食の時、挨拶の話題で影正のことをさらりと口にした。まるで、あんな事件はなかったかのように。
「柴と紫苑もそうですが、ここに来る以上、覚悟はしていたと思います。影正さんのことにしろ、例のお話にしろ、私たちから聞かれるかもしれない、お話しなければいけないと。同時に、私たちの反応も、想像していたと思います」
 影正にしろ鬼の習性にしろ、おいそれと話題にできないくらい繊細で重い内容だ。聞く方も聞かれる方も、それなりの覚悟が必要だ。大河も柴も紫苑もその覚悟をして、今ここにいる。
 覚悟。
 春平は口の中で呟いた。やっぱり、彼らとは背負う覚悟の重さが違うのだ。大河も柴も紫苑も、他の皆も。家族を殺された者としての、陰陽師としての、鬼としての、覚悟。どうすればあんな風に強くなれて、覚悟ができるのだろう。
「ですから、大河くんはきちんと聞いてくれますよ。二人の気持ちを聞いて、答えてくれると思います」
 夏也は、まるで笑みを浮かべるように目を細めた。
「彼は、そういう人です」
 いつもは単調な口調が、その時だけは、少し柔らいだように聞こえた。
 昴と香苗は顔を見合わせて頷いた。
「できるだけ早い方がいいよね」
「はい。できれば会合が終わった後に」
「そうだね。様子を見て声をかけよう」
「はい」
 まるで重要任務でも任されたエージェントのごとく真剣な面持ちで打ち合わせる二人を見て、夏也は肩の荷が下りたように静かに息をついた。
「春くん、昴くん、香苗ちゃん、藍ちゃん、蓮くん」
 順に呼ばれて顔を上げる。夏也は皆を見渡して、いつもの無表情のまま言った。
「皆さん、大好きですよ」
 思考が止まった。ハサミと鉛筆を握り締めたままフリーズする春平と昴と香苗をよそに、藍と蓮は顔を輝かせた。
「好き!」
「大好き!」
 子供の純粋さが羨ましい。満面の笑みで夏也に答える双子の声で我に返った三人は、揃って頬を染めた。夏也らしいと言えばらしいが、無表情で言うことなのか。というより、この状況でいきなりどうしたのだろう。
「あ、あの、夏也さん、いきなりどうしたんですか……?」
 思うところは同じらしい。昴が声をひっくり返すところを初めて聞いた。藍と蓮の頭を撫でていた夏也は、視線を三人に移した。
「先程の大河くんの告白を聞いて、素敵だなと思ったんです。羨ましかったので、見習ってみました」
 あれは告白というより、何だろう。日頃の感謝の気持ちというか、むしろ尊敬の意味だと思うのだが。いやしかし夏也の「好き」も似たようなものか。恋愛感情はないだろうから、弟妹に言うような感じで言ったのだろう。とはいえ、夏也は元々言うべきことは率直に言うタイプだし、突然言われると驚くし照れ臭いからやめて――。
「――えっ!?」
 弾かれたように同時に驚きの声を上げた三人に、夏也が首を傾げた。羨ましい?
 率直に物を言うタイプの夏也が羨ましいと言った。それは言いたいけど言えないということで、つまり。
「かっ、夏也さん、す、す、好きな人がいらっしゃるんですか!?」
 こんな時、女の子は容赦がない。しかしそこは香苗だ、どもりまくっている。聞くの!? と気後れする男二人を置いて前のめりに食い付いた香苗に、今度は夏也が無表情のまま固まった。しまった、と言った雰囲気が漂っている。
 妙な空気が流れる四人の間を藍と蓮の視線が行き来し、しばらくして夏也がふっと目を双子に落とした。
「擬人式神は、何体くらい作った方がいいんでしょう?」
 スルーした! 三人はがっくりと肩を落とした。
 これ以上突っ込んでくれるなという意思表示だろうから、さすがにこれ以上聞くのは憚られる。だが否定しなかったということは、いるのだろう。
 春平と昴と香苗は、消化不良を起こしたような居心地の悪さのまま、手を動かす。
 年齢的に考えると、明、樹、怜司、昴、宗史、晴の若い成人男性組だ。本人がいる前でうっかりあんなことは言わないだろうから、昴ではないのだろうか。と、春平はさっきの夏也の声を思い出した。大河のことを語っていた夏也の声――いやまさか。大河と初めて会ってまだ十日やそこらだ、恋愛感情が生まれるには早過ぎだ。と思う。
「ああ、上手に書けましたね」
 いつもの単調な声で藍と蓮を褒める夏也をちらりと盗み見ると、同じく上目遣いで見ていた昴と香苗と目が合った。自然と、お互いにへらっと笑って作業に戻る。
 三人は、きゃっきゃと楽しげに笑い声を上げる双子とは反対に、悶々とした気持ちを抱えて黙々と手を動かした。
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