第3話

文字数 4,771文字

        *・・・*・・・*

 昨夜のことだ。
「六年か……。すごい執念だね」
 簡単に野菜炒めで夕食を済ませ、片付けをしながら全ての報告を終えると、近藤は感心したようにそう呟いた。送った写真を眺めながら、コーヒーの入ったマグカップに口を付けて逡巡する。
「犯人の標的基準からしたら筋は通るけど、でもさぁ、土御門家への復讐や断絶って共通の目的があるのに、ここで手を切るのはどうなの? 警察の動きを把握してもしょうがないとは思うけど、何か利用できる情報が手に入るかもしれないのに。犬神事件もそうだったし」
 先日下平に言った台詞を今度は自分が聞かされ、紺野は複雑な顔をした。
「やっぱ気になるよな」
「なるでしょ。まあ、加賀谷管理官はともかく、草薙がいてもいなくても一緒って気は、する……」
 帰りにコンビニで調達したらしい。ダイニングテーブルの真ん中に置かれたプチシュークリームに伸ばした手が、ぴたりと止まった。同時に、カップに口を付けようとしていた紺野の動きも止まる。
「どうした」
 キツネ色をした小さなシュークリームをじっと見つめたあと、近藤はふいと顔を上げた。
「あのさ、その楠井道元って人は、何をしてる人なの? 仕事くらいしてるよね」
「それについては聞いてなかったな。でも、草薙たちが知ってたとしても本当かどうか怪しいところだ。自宅にすら招かれてねぇし、携帯も持ってねぇって嘘つかれてたしな」
「なるほどね、確かに。潜伏場所が分かるような仕事……は、ちょっと思い付かないけど、そういう仕事なら余計に言わないかもね」
「ああ。でも、何でだ?」
 紺野はカップに口を付け、近藤はシュークリームを一つ口に放り込んだ。もごもごと口を動かして、んー、と曖昧に唸り飲み込む。
「例えば、隗と皓、あと千代もかな。この三人以外の全員が携帯を持ってるとしたら、いくら安いプランにしても、結構な金額になるよね。平良は二台持ってたみたいだし。それに、別々にいるのか一緒なのか知らないけど、どちらにしても生活費はかかる。それはどこから捻出してるんだろうね。全員が地道にバイトしてたら面白いけど」
 虚をつかれた。
 何が面白いのかはともかく、言われてみれば確かに謎だ。悪鬼や式神がいるため移動には事欠かないようだが、向小島への移動は船を使っている。所有しているにしろレンタルにしろ、維持費やレンタル料、燃料費は馬鹿にならない。さらに潜伏場所の確保に日々の食費。生きている以上、金はかかるのだ。つまり。
「まさか、あいつらと手ぇ組んでたのは、資金調達のためか?」
「その可能性もあるって話し。何せあの草薙製薬だからね、お金は腐るほど持ってる。それに、縮緬(ちりめん)の件もあるし」
 言われて思い出した。橘詠美の母親と玖賀真緒が公園で会っていた時、防犯カメラを覆った高級な布だ。
「なるほどな。手を切るのはやっぱりおかしい……」
 いや待て。紺野は口に手をあてがってテーブルに目を落とした。
 土御門家への復讐や排除に関して、近藤が言うように草薙がいてもいなくても同じだ。陽の誘拐事件は、もともと樹だけが狙いだった計画に、ここぞとばかりに草薙が無理矢理捻じ込んだのだ。さらに冬馬と良親の確執が絡み、あんなにややこしい構図になった。そしてリンとナナの件。龍之介のせいで無関係の人間を巻き込むことになり、手を煩わせた。
 草薙親子は、二度も計画を変更させている。さらに戦闘では役に立たない。いつか手を切るにしても、これ以上は足手まといだと思われたのだ。それでなくても、標的の条件に当てはまっている。忌々しく思って当然だろう。
 とはいえ、資金調達も組んだ理由の一つだとしたら、やはり手を切るのは時期尚早ではないのか。
 だが、例の日が近い。その日に全てを終わらせるつもりなら、草薙を切っても不思議ではない。こちらに阻止されることを承知の上で、力づくで突破する気なのだろうか。しかし、ここまで手の込んだことをしておきながら、最後は力づく、というのは何だか違和感がある。
 紺野は眉間に皺を寄せ、口にあてがっていた手を離して腕を組んだ。
「例の日さ」
 不意に近藤が口を開いた。上げた視線の先で、頬杖をついてシュークリームをつまんでいる。
「犯人側のメリットは?」
「メリット……?」
 そ、と短く答えて口にシュークリームを放り込む。
 紺野は、もう一度「メリット……」と口の中で反復した。成功すれば、当然目的は達成される。しかし、失敗すれば捕まる。――いや。
 近藤がシュークリームの容器をついとこちらへ押しやった。紺野は誘われるように手を伸ばし、一つつまんで口に入れた。とろりとしたカスタードクリームの甘さを感じながら再考する。
もともと、こちらが阻止するのは想定内。だとしたら奴らのことだ、逃げる算段も付けているはず。ここまで計算づくでやってきた奴らが、一か八かの賭けに出るとは思えない。何かメリットがあるからこそ強行する。逆を言えば、強行してでも得たいメリットがある。
 奴らの目的、阻止、強行、メリット――総力戦。
「――そうか」
 紺野は閃いた顔を上げた。
「あいつらの実力」
「よくできました」
 ふふふと笑った近藤に、紺野は顔をしかめた。得意顔が小馬鹿にされているようで腹立つ。紺野は渋い顔で残り一つのシュークリームを口に放り込んだ。甘いが美味い。
 ブラックコーヒーで甘さを相殺し、再び思案する。
 つまり、成功すればよし。しなくても寮の者たち全員の実力が測れる。廃ホテルの事件でも、樹の実力を測る目的があったのではと見られているから、十分有り得る。さらに、考えたくはないけれど、対峙する相手によっては戦力を削げる。どちらに転んでもメリットがある。もちろん、こちらとしてはその場で全員逮捕が理想だし、明たちもそのつもりだろう。しかし犯人たちは、必ず失敗した時のことも考慮して――。
「……ああ、そうか。失敗した時のことを考えてるなら、資金面で援助を受けてた草薙たちを切るのは不自然だよな。てことは――」
 そ、と頷いて、近藤は背もたれに体を預けた。
「この事件、長引かない可能性がある。ただ、どのくらいの額を草薙から受け取ってるのか分からないから、断言できないけどね」
 要するに、資金面での援助が必要なくなった、ということだ。だから草薙たちを切った。
 そこから導き出される可能性は二つ。一つは、あらかじめ事件に目処を付けていて、その日までの資金を草薙からすでに引き出した。もう一つは、目処は付けていないが大金を引き出したから必要なくなった。どちらにせよ、その目処と受け取った額が分からないため正誤の判断は非常に難しい。
 ただ、初めから草薙を金づるにするつもりだったのは間違いなさそうだ。そう考えれば、何故標的基準に当てはまる奴らと手を組んだのか腑に落ちる。
 しかし、それでも相変わらず平良の「依頼」発言には違和感が残る。やはり、平良個人の認識と解釈するべきだろうか。
「里見怜司の件で草薙の銀行口座調べてたんだよね。隠し口座ならそっちを使った可能性の方が高いでしょ。不審な送金とか、気になる形跡はなかったの?」
「いや、それは聞いてねぇ。明に聞いてみるけど、どうだろうな……」
「どうって?」
「草薙たちは、楠井だけじゃなくて平良たちのことも知ってただろ。金の受け渡しで会ってんじゃねぇかと思ってな」
こちらに教えるためにあえて、とも考えられるが、こちらが平良たちに辿り着くことは計算のうちだっただろうし、わざわざ草薙たちに教える必要はない。
「手渡しだったの?」
「多分な。初めから草薙と加賀谷の不正を暴くつもりだったのなら、金の流れを調べることくらいは想像できるだろ。てことは、正当な捜査ができるから、送金先に名前が残っていれば誰であっても確実にすぐ身元が割れる。他に仲間がいるならそいつらか、あるいは隗たちの体の持ち主が、潜伏場所を特定できるような身元なのかもしれん。それに、あいつらは犯罪者を恨んでんだ。草薙と共犯って思われるのは心外だろうよ」
「何それ。目くそ鼻くそなのに」
 少々下品な台詞を吐いて、近藤は嘆息した。下品ではあるが、正論だ。犯罪者を恨んでおきながら、自分たちもその仲間になっているということに、気が付いていないのだろうか。
「まあ、これも所詮憶測だけどね。楠井家や他の誰かがお金持ちだったら成り立たないし」
 ここまで考えさせておいて自分で否定しやがった。しかし、可能性としては有りだ。
 そもそも、椿が潜入しているし、長引けば長引くほど潜伏場所を特定される恐れがある。さらに、健人は顔を晒しており、下手をすれば公開捜査にはならずとも全国に指名手配くらいはされるかもしれない。決定打となる証拠がないため逮捕状は下りないだろうから、確率的にはかなり低いが。
 あくまでも可能性ではあるが、楠井の自宅が分かればはっきりする。それまではひとまず保留だ。もしかすると、明たちも気付いているかもしれない。
 それにしても。紺野はコーヒーをすする近藤を盗み見た。頭が回ることは知っていたが、携帯一つでここまで推理できるとは。
「お前、刑事だったら大手柄上げて出世街道まっしぐらだったかもな」
 それでなくても過去に二度、別件だと思われていた事件の共通点を見付けて解決に導いているのだ。凄腕の刑事として名を馳せたかもしれない。
「やだよ。汗水たらして街中走り回るとか僕の性分じゃないもん。あ、でも紺野さんの上司になってあれこれ命令するのは面白そうだよねぇ」
 しまった、その可能性があったか。紺野はこれでもかと渋面を浮かべた。
「お前が上司になった時点で警察辞める」
「えー、何で。一緒に凶悪犯捕まえようよー」
 近藤はけらけら笑いながらカップを置き、テーブルに身を乗り出した。
「お前は椅子にふんぞり返って偉そうに指示出すだけだろ」
「だって上司だもん。こら紺野、手掛かり見つかるまで戻ってくるなー、とか?」
「パワハラもいいとこだ。想像しただけで殴りたくなる」
 紺野は渋面を浮かべたまま腰を上げた。そろそろ風呂の支度だ。すでに栓も蓋も閉めてあるから、ボタン一つ押すだけだが。
 ははっと短く笑って、ほんと凶暴すぎると付け加えた近藤を軽く睨みつけてキッチンへ回り込む。
「ねぇ、紺野さん」
「うん?」
 ガスコンロ側にある給湯器の電源を入れて、お湯張りのボタンを押す。
「例の日なんだけどさぁ」
「駄目だ」
 言うと思った。食い気味に拒否すると、近藤はむっと唇を尖らせてカウンター越しにこちらを振り向いた。
「まだ何も言ってないでしょ」
「どうせ連れて行けとか言うんだろ」
 横目で睨みながらキッチンを出ると、近藤は席へ戻る紺野を横目で睨み上げた。
「ケチ」
「誰がケチだ」
 ちぇ、と一つぼやいて頬杖をつく。ここで以前のように食い下がらないのは、近藤なりに事件の危険性を理解しているからだろう。何せ、直接平良の攻撃を食らっている。樹に喧嘩を売るレベルの男の蹴りをよくぞ防いだものだ。
「つーかお前、その髪どうにかなんねぇのか。また何かあった時、周りが見えなかったら危ねぇだろ」
「んー、そうなんだけど、理容室って苦手なんだよねぇ」
「だったらせめて前髪上げるとか分けるとかしろよ」
 んー、ともう一度気乗りしない返事をして突っ伏す近藤に、思わず溜め息が漏れる。
 そういえば、柴や紫苑をはじめ、大河と晴もさっぱりしていた。大河たちはともかく、柴と紫苑は誰が切ったのだろう。まさか店でということはなかろう。術を見せろだの髪をくれだのと騒ぐ姿が目に見えるため、あまり近藤と彼らを会わせたくないが、安全を考えるなら。仕方ない、聞いてみるか。
 まったく、とぼやいて携帯を持ち上げた時、下平からグループメッセージが入った。
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