第15話

文字数 2,575文字

 そして昨日、科捜研に下鴨署から血痕鑑定の依頼が舞い込んだ。六年前の事故は下鴨署管内だ。岡部発見の連絡を受けて引き継ぎ、科捜研に依頼したらしい。
 鑑定品は、女性物の一枚の古びたハンカチ。スーパーなどにある、半透明の袋に綺麗に畳んで入れられており、元の色が分からないほど全体的に薄汚れていて、一部分がどす黒く変色していた。角にはラベンダーのような細長い植物がプリントされており、その横に文字が刺繍されていた。糸がかなりほつれてしまっていて、かろうじて読めたのは「か」と「る」の二文字だけ。
 近藤は、まず血液型鑑定を行った。すると岡部とは血液型が違っており、別の人物のものだと判明。そこで、女性物のハンカチであることと刺繍の文字が気になり、調べたそうだ。拡大し繋げると、出てきたのは「かおるこ」。佐々木の名前だ。しかもかなり古いものであったため、まさかと思い八幡署に連絡をして遺留品を届けてもらい、ハンカチと届いた遺留品の血痕をDNA鑑定で照合した。
 結果は、佐々木の父親のDNAと一致。
 昨日、下平との電話をさっさと切ったのは、この鑑定をしていたからか。
「あのハンカチは、中学の時に父が出張で北海道に行った時のお土産で、刺繍は母がしてくれたんです。事件の日に、母にほつれたところを直してもらうように頼んでいました。事件からしばらく経って無くなっていることに気付いて、てっきり押収されたのだとばかり思っていたんです。まさか、犯人が持っていたとは思いませんでした」
 明が言った。
「岡部は――犯人は二十四年間、証拠を持ち歩いていたと」
「はい。熊さんたちとも、それについて話しました。犯人が、証拠をわざわざ袋に入れて保管しておくなんて、普通なら考えられません。ましてや拾ったなんてことは有り得ないでしょう。しかし、岡部には昔付き合っていた恋人との間に、一人娘がいます。おそらく、名前が同じだったのではないかと」
「なるほど……、それは有り得ますね」
 岡部は、娘に会うために京都に戻ってきたと言った。手の施しようがないほど病気が進行していたのなら、自覚していてもおかしくない。痛みや苦しさを押してまで娘に会いに来るほど思っていたのなら、十分考えられる。
 二十四年前、佐々木に頼まれて母親は刺繍を修繕し、居間かキッチンのテーブルに置いていたのだろう。それを岡部が見つけ、こっそりポケットに入れた。どちらが父親を刺したのか分からないが、現場から逃走後、手袋を外す際に血が手についてしまい、思わずハンカチで拭いてしまった。
 そして、娘と同じ名前の「かおるこ」と刺繍が施されたハンカチを、あたかも自分の娘の物のようにして持ち歩いた。娘を思って、何度も何度も眺めたのかもしれない。
 生き別れた娘を思う父親の姿。普通ならば涙を誘う光景なのだろう。しかし、岡部がどの順で罪を犯したのかは分からないけれど、娘がいるにも関わらず、三度の窃盗と佐々木の父親の殺害、さらに栄晴をも殺害した。あの録音といい、どう考えても反省しているとは思えない。本当に反省していれば、ほとぼりも冷めているかと思った、などという言葉は出てこない。どんな感動的な光景も、茶番に見えてしまう。
 罪を犯し罰を受けても、どれだけ大切に思う人がいても、懲りずに同じことを繰り返す奴は確かにいるのだ。
「では」
 宗一郎が口を開いた。
「再捜査になりますね」
「はい」
 えーと、とごく小さく呟いて宙に視線を投げた大河に、宗史が言った。
「岡部は犯歴があるから、経歴は分かるだろう。そこから交友関係を辿れば、共犯者が割れる可能性がある」
「あ、そっか」
 大河と同じく「そっか」と呟いたのは弘貴だ。顔を見合わせて、共感するようにへらっと笑う。
 そんな二人を見て微笑ましげな顔をしていた佐々木が、自嘲気味に笑った。
「二十四年です。さすがにもう無理だと諦めていました。ですが、皆さんが六年も岡部を追っていたと知り、自分を不甲斐なく思いました。警察官なのにと。だから、この事件が終わったら調べ直そうと思っていたんです。そしたら、思いがけない展開に」
 佐々木はぐるりと見渡し、明と陽に視線を戻した。
「皆さんのおかげです。ありがとうございました」
 力強く告げて、深く頭を下げる。
 もし、明たちが岡部を探していなければ。もし、途中で諦めていたら。そうしたら、佐々木の事件は永久に犯人の手掛かり一つ得られないままだったかもしれない。もちろん、どちらの事件も起こらなかった方がいいけれど、起こった事件をなかったことにはできない。
 六年の月日をかけて犯人を追いつめた明たちの執念が、佐々木に大きな心境の変化をもたらした。そして二十四年ぶりに、諦めたはずの手掛かりを得るきっかけとなった。
 明が言った。
「そう言っていただけると、我々も報われます。何かお手伝いできることがあれば、遠慮なくおっしゃってください。協力は惜しみません」
 佐々木は驚いた顔を上げ、視線を巡らせた。宗一郎をはじめとした全員が、無言で大きく頷く。それを見て佐々木はわずかに目を細め、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
 諦めなければなんでも叶うなんて、さすがに思わない。けれど、こうして目の前で起こった奇跡のような出来事は間違いなく現実で、明たちが諦めなかった結果だ。
 大河は、少し興奮気味に両手を握り締めた。
「では、始める前にもう一つ。紺野さん」
「はい」
「北原さんの容体は」
 大河たちが期待顔で少しだけ身を乗り出した。
「目覚めたときは記憶が混濁していたようですが、今は落ち着いているようです。ただ、検査もあってまだ面会は難しそうだと言われました。許可が下りれば聴取もありますし、とりあえず会合が終わってからもう一度連絡してみようかと」
 あからさまに残念な溜め息が漏れ、紺野は苦笑いした。
「分かりました。このとおり、皆心配しているので、様子が分かればご報告をお願いします」
「了解です」
 では、と宗一郎は改めて視線を巡らせた。
「会合を始める」
 その言葉が合図かのように、顔付きが当主のそれに変わる。とたん、わずかに空気が張り詰めた。下平と熊田は、どう見ても宗一郎より年上だ。その彼らでさえ、少々緊張した面持ちで宗一郎を見つめている。
 この存在感と威圧感は、いつ見ても圧倒される。
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